13♯
上条江怜奈のお話です。
『江怜奈!あなたのせいよ!』
「ちが・・・ママ!ママッ!」
上条江怜奈が泣きながら叫んではっと目を開ける。辺りは真っ暗だった。思わず起き上がって江怜奈は自分の体を確認するように抱きしめると、大きなため息を吐く。汗をべっとりかいている。嫌な汗だ。気持ち悪い。いつの間に眠ってしまったのだろう。
「またか・・・。」
そういって大きくため息をつく。昔からよく何かにつけてこの夢を見る。姉茉利奈が亡くなった時の夢だ。あれからもう20年がたつ。あの時のことは今でもトラウマのように怜奈の心にこびりついている。
江怜奈は双子だった。同性だが二卵性で同時に2つの卵子が受精して着床してしまった、いわゆる姉妹が同時に生まれた双子である。それにしても江怜奈は姉にあたる茉利奈とはあまり似ていなかった。姉の茉利奈は江怜奈のややキツイ利発な顔立ちと比較すると丸く大きく見開かれた瞳と丸っこいややピンクに染まった柔らかな頬は天使のように愛らしく、まわりの人の目を一心に集めていた。だいたい、かわいいねとかまわれるのは茉利奈で、江怜奈は幼い時からかわい気のない子として定着していた。
しかし、茉利奈が周りの大人に特別扱いされるのにはかわいいだけではない理由もあった。生まれつき知能がちょっと弱いのだ。生まれたばかりの頃にはわからなかったのだが、次第に江怜奈との違いに気付いて病院で調べたところ、軽度ではあるのだが、先天性であることがわかった。日常生活には事欠かないレベルのようだが、同年の子供たちと一緒の知能の成長は難しいということだった。
それもあって、物心ついても茉利奈はいつまでも純真であどけなく、泣く、笑う、癇癪を起こすなどすべてが赤ん坊のようだった。江怜奈はいつもみんなの関心が茉利奈に向くのが酷く腹ただしく、時には両親が見えないところで茉利奈を泣かせたりもした。それでも両親は見ていなかったとしても江怜奈がいじめたと茉利奈を庇い、江怜奈をこっぴどく叱った。とくに母親は茉利奈に異常な執着を見せ、そのかわいがりようは尋常ではなかった。大きくなるたびに母親の江怜奈への叱り方はエスカレートしていった。父親は茉利奈の事情を考えるとそれもいたしかたないと見逃すばかりか、結局、自分も茉利奈が不憫と、傍から見ても特別に見えるぐらいに溺愛した。
そんな環境で育った江怜奈はますます茉利奈が憎らしくて、ことあるごとに茉利奈にちょっかいをだしては両親に叱られるというのを繰り返した。それでも、茉利奈は無邪気に江怜奈の傍にきて江怜奈にその天使のような笑顔を向けてくる。その愛らしいキラキラした笑顔を見るたびに江怜奈は酷く後ろめたさを感じて、心の中に何かが重くのしかかっていった。
起きぬけに昔のことを思い出しながらぼうっとしていた江怜奈はふと我に帰ると、大きくため息をついた。江怜奈はそんな思いをかき消すようにクビを何度か振ると、けだるい体を大きく伸ばしてベッドサイドのライトをつける。
「まぶしっ!」
一瞬、顔をしかめるが、ふと帰って来て着替えもしていないことに気付いた。
ああ、そうだ、今日はだるくてそのままベッドに倒れこんだんだっけ。今、何時だろう。
サイドテーブルに置いてある時計に目をやる。まだPM11:10だ。
それにしても蒸し暑い。エアコンも付けずに眠ってしまうなんて・・・。だから嫌な夢を見るのよ!
江怜奈はそんな思いを断ち切るかのように強引に立ち上がると、そのまま浴室へとなだれ込んでいった。べったりと張り付いた嫌な汗を流そうと冷たいシャワーを浴びてみる。お気に入りのローズのシャワージェルの香りに包まれても、途中、真藤澪の動揺した蒼白の顔を思い出し、思わずこみ上げるものがあって吐きそうになった。江怜奈は目に入ったシャンプーのボトルを浴室の壁に投げつけた。からになりかけたボトルは軽くバカにしたような抜けた音で転がった。
「なんなのよ!」
余計気分が悪い。結局、すっきり出来ずに江怜奈は深夜の街に繰り出した。
「よお、江怜奈、久しぶりじゃん。ご無沙汰だな。いい男捕まえたんだってな!もっぱら噂になってるぜ。」
江怜奈は大学時代から常連で通いつめているバーのカウンターで、1人面白くなさそうにアーント・アガサを傾けている。そんな江怜奈に一見イケメンに見えるホスト崩れの軽そうな男がなれなれしく隣の席に座って江怜奈に声をかけた。
「うるさいわね。」
江怜奈は男に視線もやらずに冷たく言い放った。男はほとんど無視する江怜奈に諦めのため息をついて背後にいた数人の連れに残念そうに首をふると店を出て行ってしまった。
江怜奈はこの界隈では有名だ。資産家の令嬢の上、容貌はややキツイ感じがあるものの、華やかで気品のある美女である。モデル張りのスタイルと大人の色香はどうしても男の目を引く。しかも、女王気質で、わがままがトレードマークで知られている。江怜奈はその人目を引く容貌から、ひとたび外に出れば取り巻きや男に事欠かなかった。それだけに声をかけてくるものも多い。しかし、江怜奈の機嫌が良い時は愛想も良いし付き合いもいいのだが、ひとたび機嫌を損ねると、気が短く、攻撃は容赦なく相手を突き刺す。そんな時は誰もがお手上げなほど江怜奈は激しいお天気屋だった。周りではせいぜい怒らせないようにそっとしておくのが関の山といった一種の腫れ物扱いである。
「ねえ、もう一杯頂戴。」
江怜奈お気に入りのバーテンが無表情のまま頷く。
このバーテンは年頃が30前後ぐらいだろう。もう江怜奈が通うようになって5〜6年たつが、その前からずっとこの店にいるらしい。長い髪を後ろで束ね、クールで知的な雰囲気で端正な顔立ちは美しく、その周りにまとった完璧なまでの静けさは返って強烈な存在感として誰かと話しをしている時にもずっと江怜奈の中にあった。さらにこのクールなバーテンはめったに笑わない。
美しい容貌も手伝って眺めるにも最高の男だと江怜奈は常に意識にとめていた。常に付かず離れずの距離を保ち、話しかけてくることもない。それでも、江怜奈はなぜか気に入っていた。近くに客がいないとき、その距離感と彼から漂うピリッとクールでけっして穏かではない静かな空気が妙に安心できるのだ。話をしたこともないし、笑いかけられたこともないのだが、そのバーテンは江怜奈がやや酸味のある味が好きなのを知っている。友達とふざけて互い同じ種類のカクテルを飲んだ時、味が若干違うのにここ何年かで気付いた。何を言うわけでもないが、自分の存在を少し離れたところからずっと気にかけてくれているような気がするのである。
今夜も江怜奈が不機嫌そうに座ると注文もしないのにすっとアーント・アガサが出てきた。やっぱりちょっぴりオレンジジュースの酸味が利いていてむかむかした嫌な気分を少し緩和させてくれた気がした。江怜奈がチラッとバーテンに視線をやると一瞬バーテンの深い夜の闇のような黒い瞳と目が合ったが、やっぱりニコリともしないで後ろを振り向いてホワイトラムを自分の後ろのボトルの群れに戻して、そのままいつものようにまるで気にをめる様子もない風に仕事に戻って行った。