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ぬるい一夜

作者: 伊勢あやめ

「ほれ、コーヒー買ってきたんだけど飲む?」

 先輩は俺と並んで車道沿いのガードレールに腰かける。田舎でもない、結構な大通りのくせして宴のあとのこんな時間だから、車の通りはほとんどない。駅から十分歩くだけでこんなにもマシな世界が転がっているのだと、ふと思った。両手で握った缶コーヒーは肌に冷気を流し込んでいる。

「プシュッ」という音が重なって、密閉された空気が外へ漏れ出る。垂直にたてたプルタブの、アルミを歪めて元に倒すグニャリという感覚が、指先に反発する。

「ぅはぁー」「あー」

 一口すすって、二人していかにもオヤジ臭い声を上げた。足をぶらぶらさせている。きっと酔ってるからだ。きっとそうだ。ちょっと体が揺れているような気がして、頭がゆらゆらする。

「幹事って大変ですよね」俺は何となくそう呟いていた。続けて、

「酔っぱらうために集まってるのに人の面倒みなきゃいけないし、例えば、俺みたいなやつの」と言った。

「……いやぁ、まぁねぇ」

 先輩は曖昧な返事をした。返事をするまでに、一瞬の間があったのは何か考えていたからだろうか。「でもねぇ」といってぽつぽつと俺らは会話をした。口の中に広がるのはコーヒーと言葉のサンドイッチ。俺たちの会話というのはたいがいこんな、スローペースなものだ。

「結構みんな手伝ってくれるし、正直、お金のことは会計がやってくれるし」

「はぁ」

「それにお酒飲まないわけじゃないし、いつもよりちょっと少なくして、最後まで正気保てればそれでよし」

「うぅん」

「飲み足りなかったら二次会いけばそれでいいわけで」

「おぉ」だからね――と、そこで区切って、

「大変でもなんでもないんだよ」そう言った。

「そう、ですか……」

「そう」俺の両足は依然ぶらぶらしている。

 お酒を過度に摂取すると人間いろんな風に豹変する。異様に笑い始めるやつ、声が過剰に大きくなるやつ、隣の女の子になりふり構わずからみ始めるやつ、鬱々とし始めるやつ。

 最後のほうになると、みんな自分勝手に動いて、好き勝手なことをいう。それはとても不思議なようにも、思える。

 俺も、勢いに乗ってガブガブやった暁には吐きたくなるは、泣きたくなるは、気分は落ち込むはで、面倒くさい奴の一人。

だから今日は幹事をやっていた先輩が介抱してくれている。

胃の中の物も消化されつつあるのか、あまり食べてはいないからなのか、胃の中にコーヒーが沁みわたるような気がした。

 どうしようもないくらい酔っぱらった奴らが夜の歩道を騒がせている。俺はそれを、自分の子供が遠くで遊んでいるのを、頬杖をつきながら眺めるような、そんな感じで見ていた。そうしたら、喉の奥のほうから抑制の利かない言葉たちが溢れた。

「酔っぱらって自分のことしか考えられなくなると、さぁ」

「うん」

「体中の感覚が、研ぎ澄まされたような変な感覚になりません? たとえば、唇、コーヒーで濡れてるなぁとか。なんだろ、なんかそれがイヤに、エロいよなぁ、っていうか」

「ぷぷっ」先輩、破顔。

「何笑ってるんですか」

「いやいや、フツー笑っちゃうと思うけどっ」

「そうですかね」

 スチール缶を手中でコロコロ、宙に浮いた両足はブラブラ、俺の周りの時間は止まってる。無言。それは信頼の証。あったまった無音空間は、クセになる。

「じゃあさ」「へい」阿吽の呼吸。

「人の顔見て、ああこの人より自分のほうが、顔の堀が深いなって思うのも、それと似てる?」

「……ううーん」

「あ、違う?」

「うん、なんか違うと思います、、、けど」

「へぇー」

「ていうか俺と自分、比べました?」

「(ぶっ。)いや、今日っていうかさっきなんだけどネ、コールかかって、ウイスキー一気飲み対決をしたときに、面と向かって思った」

「先輩って、外道」

「そうかな」

「そうですよ、多分」

 自分の口の中で、多分、たぶん、TABUN……とエコーがかかる。この呆けた空気がたまらない。コーヒーがカラになった。先輩のはとっくに空だった。

「このあとどうするんですか」

「帰るの面倒くさい」「……」

「ねぇ今、学校開いてるかな」

「開いてるんじゃないですか? 毎日学内で飲み会してるような学校だし」

あっ、と言ってから数秒続く無言が、やな予感を的中させた。

「……学校行かない?」

「えっ」

「よし行こう、今決まった」

「はぁ」

 存分に無茶苦茶だけど、そこにはスリルもテロルもない。


 二人で夜道を歩くのって、やたらとテンションあがる。

「あのさぁー、」「はい」「夜道歩くのって、っていうか夜遊びってテンションあがるよねぇ」

「……おんなじこと考えないで下さいよ」

「ははは、高校生が夜逃げしたくなる気持ち、わかるなぁ」

「ふむ」

「夜逃げしたことある?」

「えっ、いや、っていうかそれ。……家出ってことですか?」

「そう家出だ」

「……ありますよ。一回だけ」

「いけないんだぁー、不良少年め」

「……十五からたばこ吸ってる人に言われたくありません。っていうか今更酔いがまわってきてません? 酔ってますよ、ね」

「あっはは、酔ってるかもね。時間差攻撃! みったいなぁ~」

「わけ、わかりませんから」といいつつ笑ってしまう、俺。

 ちんたら歩いていたつもりだったけど、夜の時間がたつのはケータイの電池が切れるのよりずっと早い。3,2,1、ゼロ。学校の中では案の定、宴会してるグループがいくつかある。

「学内のコンビニ、しまってる、ジャン」

「そうですね」

「買いに行く?」

「あの、正直言っていいですか」

「ハイどうぞ」

「面倒くさい、です」

「だよねぇ~」

 面倒くさがりな俺らは、座り心地を考慮されてない木のベンチにどっかりと腰をおろした。少し離れたところで、真っ赤になった他人が、全裸で踊ってる。と思ったらトイレに向かって走り出した。そこには何もない、驚きも感動も幸福も。ただ視界の端に映っているだけの、別世界。

「トイレ」全裸男に釣られて、俺は幼児みたいに名詞を呟いて立ち上がった。この季節にしては、冷える。

 俺がトイレのドアに手をかけたら、隙間から「ゲロゲロ」って言う、カエルの鳴き声が聞こえたので、扉を開けずに二階のトイレに逃げた。

 用を足して戻ってくるとき、自販機によってジュースを買う。

 両手に缶を一本ずつぶら下げて、足取りは軽くベンチに戻る。酔いは完全に醒めきってる。先輩は完全に酔いつぶれてる。

「ん、おかえり……」

 一瞬顔をあげて、すぐ突っ伏して、寝そうな勢い。右のほっぺたが上になって、つついてくださいと言わんばかりの体勢。これは、つつきたくもなるでしょう。……つんつん。

「んん」つんつん。「ふぁ」

 起きる気配がないので、先輩のポケットを勝手にあさって煙草を取り出す。くわえる。火をつける。これって一人でやると、恐ろしく機械的動作だなぁ、と思う。

 けむりを宙に吐き出して、買ってきたジュースのひとつを先輩のほっぺたにピタリ。一方的にくっつける。

「うwくぁっ! t、冷たっ、ぉいっ」

 冷たくて起きることなんて百も承知。

「先輩、おはようございます」あさっての方向に、ぷしゅーって、煙を出す俺って機関車みたい。ぽっぽーっていう、アレ、汽笛。

「今何時」「ええと、一時くらい」

ケータイをサッと出して時間を確認する。

「あ、そぅ」

 未開封の缶ジュースを受け取って、腕枕にダイブ。夜ってまだまだ長い。朝は遠い。隣の人は俺を置いて眠りの世界へ今まさに旅立った。たばこの灰を落とす。このベンチの近くには灰皿がないから地面に積る。夜風で煙草の灰が散る。……以上を俺は繰り返す。

 全裸男が二人に増えた。

 ジュースを開けて一気に三分の一くらい飲み干す。湿ったノドに敏感に反応する。あ、酔ってなくてもこういう感覚あるんだ。たばこが短くなったので、地面と靴で圧殺。くしゃくしゃになって、勝手に貰ったたばこは天に召された。


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