第82話 不法侵入者になったった
冒険者ギルドの買取窓口でミスリル製の武具を売却し、この街の顔役に密航の斡旋を頼むための資金を調達した俺こと、ハーフエルフのジョシュ改めヨシュと、ドワーフの女戦士ベレッタ改めブレタ。
大金を持って何をするのか探りを入れてきた熊獣人の冒険者・ミハイロフには、気を逸らせる意味もあって、市場の雑踏で見かけた『褐色肌の女性』の調査を依頼した。
未来の記憶では、ガイエナ諸王国の中央部やや南寄りに位置する『暗黒竜の巣窟』を根城にしていた『闇神竜・アルタミラ』。
肌の色とほんの一瞬垣間見た横顔だけで、あの女性が『アルタミラ』と断定するのは気が早いかもしれないが、彼女が人族社会を遍歴していた(というか、あちこちでトラブルを起こした)という話も聞いているので、この時期に帝国領内に居たとしても不思議ではない。
何より、すれ違った瞬間に衝撃を受け、胸の鼓動が高鳴った、あの感覚。
(――彼女に、間違いない)
俺の直感が、そう告げていた。
そもそも、俺が再び転生して足掻いているのは、アルタミラとカゲミツと共に過ごす未来を勝ち取るため。
ここが剣と魔法の異世界ではなく、変わり果てた未来の地球だという真実を知った今でも、彼女たちを幸せにする、という決意に変わりはない。
そんな俺が、彼女を見誤るはずがないのだ。
(きっと会える。俺の、愛する女に。)
……まぁ、コルスの安全を確保するまでは、浮かれている場合じゃ無いんだけどね。
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赤ん坊の頃から気功を鍛錬し、武術の練習の中で他人との間合いや相手の気配に敏感になった俺は、《殺気》を『白い輝線』として認識する能力に目覚めているわけなんだが。
「……ジョシュ、キョロキョロしすぎ」
「き、気のせいだよ」
今絡みついてくる《気》は、『殺気』ではなく、もっとネットリした別のモノ。
午後遅い時間帯、そろそろ陽の落ちかけてきた街角には、やたらと露出度の高い服装のオネーサンたちが立っていて、こちらに視線を投げ掛けてくる。
目が合うとウインクしたり意味ありげな笑みを浮かべたりする彼女たちが向けてくる《気》とは――要するに、『お色気』だ。
俺たちが目指す建物は、ベーザルゴの街のいかがわしい一画、つまり歓楽街に在った。
エルフ公使のジェロームから、この街の裏の顔役だと教えられた男、『イル・イーロ』。
表向きは商工ギルドの長という立場だが、帝国内でも有数の奴隷商として大きな財を成している人物だという。
不思議なのは、それだけの財を成しながら本店を帝都には移さず、相変わらず旧ルメール領のベーザルゴを拠点としていることだ。
聞けば娼館を何軒も経営しているらしい。
この街に駐留する帝国兵相手に、そういった商売をするのが本業なのだろうか。
しかし、まだ明るいうちから、あんなスケスケの格好で呼び込みやるなんて、なんというけしからん……、もっとやれ!
「……ジョシュ、いやらしい。鼻の下が伸びてる」
「そそそ、そんなことないっ。ぁ、ほら、あそこだ!」
ブレタの冷たい視線を浴びながら、一際目立つ豪華な建物に到着。
見上げた看板には、『帝国奴隷商会』の文字。
(……なんというか、後ろ暗い商売の割に、堂々と看板上げてるんだな。)
ここだけ瀟洒な造りの館は、周りの雰囲気から浮いている。
スラムの一画に、金持ち向けの高級ブティックが一軒だけ紛れ込んでる感じだ。
ちょっと気圧された俺たちが入口で突っ立っていたら、
――ギィッ、バタン
中を覗き込もうとした鼻先で、『一見さんお断り』的な重厚な扉が、タイミング良く閉ざされた。
っていうか、絶対俺たちを見て閉めたよね?
ゴンゴンゴンッ
インターホンも呼び鈴も無いので、扉の前にある金属の輪っかを打ち付けて鳴らしてみるが、小さな覗き窓から鋭い視線が投げかけられたかと思うと、その覗き窓も閉ざされた。
ジェロームから紹介状を貰ってるんだけど、これは入りづらいなぁ。
「奴隷商館って、相当恨み買ってるのかな。なんか警戒し過ぎじゃない? あと、妙な威圧感があるんですけど」
「……まるで、砦」
ブレタの一言で腑に落ちた。
建物の周りに巡らされた濠、石造りの分厚い壁、小さい窓に嵌った鉄格子。
閑静な住宅街の中にある組幹部の自宅が、外観はキレイにしていても監視カメラや鉄柵によって居住者がピリピリと警戒しているのを隠せないように、この奴隷商館にもザラつくような違和感を覚えた。
俺の《気》を察知する能力が、押し殺された複数の『気配』が内部にひしめいているのを、おぼろげに感じている。
こちらに明確な殺気や敵意が向けられているわけではないが、まるで、襲撃者に備えているかのような緊張感が、館全体を包んでいるのだ。
「……ジョシュ、これでも顔役に会いに行くの?」
「ああ。正直言って廻れ右して帰りたいけど、コルスを無事に密航させるためには顔役に会わないとね」
事情も分からないまま虎穴に入るのは気が進まないが、帝国から脱出するためにもグズグズしていられない。
というわけで、多少強引でも中に入らせて貰うとしよう!
「……分かったわ。なら、武器防具を用意して」
「OK、準備しよう」
2人とも、これから会う相手を警戒させないよう、皮鎧に皮のグローブとブーツ、その上に外套という旅の冒険者然とした軽装で、弓や槍斧などの目立つ武器は魔道具の袋に仕舞っていた。
だが、不法侵入するならそんな気遣いは無用だろう。
一旦、路地に引っ込んで装備を整えることに。
まず、狭い屋内で戦うための武器を装備しておこうか。
俺は、いつも両親の形見の短刀(大型ナイフ)を2本、腰の後ろに交差させて差し込んでいるので、後は飛び道具だな。
棒手裏剣を8本ほど、左右のブーツに仕込んでおく。
ブレタはトマホークを右腰に下げ、投げナイフを3本左脇に吊るし、スモールシールドを左手首に固定。
あと、ミスリル製の鎖帷子や、同じくミスリル製の手甲や脛当てを着込んでおく。
鉢金や鎖編みフードなど頭を守る防具も欲しいところだが、魔道具の照明が行き渡っている王侯貴族の屋敷でもない限り、明るいとは言えないこの時代の屋内では、視界を狭められる装備は一長一短ある。
アラクネの糸を編み込んだバンダナだけで我慢しよう。
「とりあえず、中に入れて貰えるかどうか、もう一度交渉しよう。
突入する場合は(物理)障壁魔法を踏み台にして上の階から、殺しは無し。
ブレタもそのつもりで」
「……了解」
エルフの里で『槍の勇者・青野三郎』に鍛えられた俺とブレタが、並みの冒険者や用心棒に後れを取るとは思わないが、
(ブランカは無理だけど、せめてアイシャだけでも連れてくるべきだったかもしれないな)
乱戦になれば万が一ってこともある。
ビビり過ぎかもしれないけど、用心に越したことはない。
――――――――――――――――――――
ゴンゴンゴンッ
「たのもう! イル・イーロ殿にお取次ぎ願いたい。ここに紹介状もある!」
再び扉の輪っかを打ち付けて、呼び掛けてみたものの。
「返事が無い。ただのしかば――じゃなくって、完全に無視する気らしいね。
んじゃ、プランBいこっか」
コクリ、と頷いたブレタは、俺の横に出現した複数の透明な板――無詠唱の魔力障壁で作り出した階段を一気に駆け昇って、2階建ての建物の屋上に降り立つ。
《風精霊よ、風の翼を我に》
間髪入れず、無詠唱の浮遊魔法と風精霊の移動補助魔法によって跳躍した俺も、ブレタの隣に降り立った。
「な、なんだテメェら、どっから!? ――ゴフッ」
見張り台の弓を持った男が、俺たちに気付いて矢を番えようとするが、ブレタが瞬時に距離を詰め、右手のトマホークを一閃させて弓の弦を断ち切ると同時に、握った矢を突き立てようとする男の右手を小盾で跳ね上げながら、鳩尾に左拳を突き刺した。
即座に崩れ落ちる見張りの男。
見た所、普人族のようだ。
「ご苦労さま。殺してないよね?」
「……問題ない」
炭鉱族は温厚で争いごとを好まない種族だが、男女ともに頑強で、若い女性であるブレタも腕力ではそこらの普人族男性を遥かにしのぐ。
背は低く決してガチムチマッチョな外見では無いのに、握力200kgは軽く超えているだろう。
手加減しなければ、普人族など簡単に殴り殺してしまうのだ。
悶絶している男の脈を取って瞳孔を確認し、命に別状の無いことを確かめてから縛り上げて猿ぐつわを噛ませる。
見張り台の床には取手の付いた蓋があり、開けるとハシゴが掛かっていた。
「入口は、ここ1ヶ所か。俺が先にいくから、合図したら降りてきて」
「……了解。気を付けて」
中で待ち伏せしているかもしれないので、いつでも障壁魔法を展開できるよう身構えながらハシゴを降りて行く。
降りた場所は狭い部屋になっており、幸いにも無人だった。
安全を確認し、対象をブレタだけに絞った指向性の念話で合図を送ろうとした途端。
(ッ――!?)
ズキリ、と激しい痛みが頭を襲う。
発動しようとした念話が乱され、発しようとした魔力が掻き消されてしまった。
(なんだ、今のは?)
とっさに障壁魔法を張ろうとしたが、同様の頭痛と共に魔力の流れが妨害され、術式を形成することなく拡散していく。
「ショシュ! どうしたの?」
頭を抱えて蹲った俺を見て、ブレタが血相を変えてハシゴを降りてくる。
合図するまで降りて来るなって言ったのに、ハシゴの半ばから飛び降りるようにして床に着地した。
「駄目だ、逃げろブレタ。ここは、魔法が使えない……」
どういう仕組みなのか、魔法が使えないとなれば。
属性攻撃魔法・無属性補助魔法は元より、精霊魔法、そして切り札である『精霊合体』や『聖域』も使えない。
魔道具類もダメだし、身体強化すら使えないとくれば、長耳族以上普人族未満のハーフエルフの体力で肉弾戦をするしかないわけで、俺に残されているのは、青野氏から教わった武術と2本の短刀のみ。
なにげにピンチじゃんよ!?
「ジョシュを置いて行けない。私に掴まって、脱出を」
「くっ、済まない」
魔法さえ使わなければ頭痛は生じないらしく、なんとか痛みも治まってきた。
建物の外――屋上まで行けば、また魔法を使えるだろう。
一度撤退して、計画を練り直すしか……
「魔力反応があったのは、この部屋だ!」
「待ち伏せに気を付けろ、盾職を先頭にするんだ」
バタバタと複数の人間が駆け付けて来た。
ハシゴを昇って逃げる暇もなく扉がぶち破られ、重装備の男たちがなだれ込んで来る。
その背後には、短い弩のようなモノを構えた男たちが、盾の隙間からこちらに狙いを定めている。
……これは、ガチでピンチかも。




