第37話 お肌つるつるになったった
ギリギリ、と歯を噛み締める音が聞こえる。
自分が奥歯を噛み締める音だ。
馬に鞭をくれ、アイギスの街へと街道を急ぎながら、マウザーは、己の無力さに屈辱と怒りを覚えていた。
(己の剣は、誰かを守るために磨いたのではなかったか。
己の体は、誰かの盾となるために鍛えたのではなかったか。)
それなのに、大恩ある聖者アイザルトを置き去りにして、尻尾を巻いて逃げるはめになったのだ。
マウザー達冒険者だけならば、確実に全滅していただろう。
彼らが逃げおおせることができたのは、たまたま、元勇者と聖者のPTに同行していた、という奇跡の賜物だ。
理性では、あの場に留まっても戦力にならないばかりか、足手まといになることが分かっている。
6連発の元勇者と、かつて勇者PTに参加していたと思しき獣人の従者。
聖者アイザルトと、彼の従える2体の強力な魔物。
彼らに任せておけば、諸王国軍のアイギス駐屯兵団が来るまで持ちこたえてくれるだろう。
……しかし、聖者アイザルトは、人目に付くことを極力避けていたはず。
彼らだけでモンスターの大群を足止めする、などという目立つマネはしたくなかっただろうに、マウザー達を逃がすための防波堤となってくれたのだ。
そもそも、彼らだけで十分な戦力であるにも係わらず、聖者アイザルトがマウザーPTに護衛を依頼したのは、集落の人々の誘導や移動中の世話も目的としていたかもしれないが、武力行使した際の隠れ蓑、という心積もりがあったようだ。
(あのモンスターの大群が想定外だったとはいえ、その隠れ蓑としての利用価値すら無いほど、弱いのだ、自分は。)
「マウザー! 何ボサッとしてんだぃ!? 馬を止めるんだよ!」
背後にしがみつくコルスに注意を促される。
「ラドムのPTの斥候のハンドサインが見えなかったのかぃ?
近くにモンスターが居るよ!」
隣を走っていたはずのシグとブレタの馬は、既に停止していた。
ラドム達も馬を止めて、武器を抜き、或いは詠唱準備に入る。
シグは既にモンスターの居場所を探知したらしく、弓に矢を番えて待ち構えている。
だが。
「シグ、ブレタ、何してるんだ! 早く馬を降りろっ!」
この馬は、あくまで馬車を引くための荷役用の馬。
戦場を駆け回るために訓練された騎馬ではないのだ。
マウザーとコルスが馬を降りた瞬間。
ガサリ。
「グルアァァァァァァッ!!」
モンスターの咆哮によって恐慌に陥った馬が、棹立ちになり、或いは乗り手の言うことを聞かず遁走する。
低木の藪をかき分けて、姿を現したモノ。
それは、右手に巨大な棍棒、左手に撲殺した熊猪狼の死体を引きずった、身長4mはあろうかという食人鬼だった。
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シグとブレタは、棹立ちになった馬から何とか飛び降りたようだ。
コルスを後方に庇い、盾を構えて筋力強化、物理防御上昇と反応速度上昇を唱える。
マウザーとブレタが前衛、コルスが後方から魔法を放ち、シグが攪乱を行うのがマウザーPTの連携だ。
だが、コルスが詠唱に入った途端、オーガは左手に掴んだヴォーグの死体をコルスに投げつけた!
ブレタが間に入ったものの、勢いを殺すことができず、コルス共々吹き飛ばされる。
気絶するコルスと、右腕が変な方向に曲がっているブレタ。
ハルバードは片手では使えない。
どうやら、魔術師から潰しに来ているようだ。
「ブレタ、コルスを守って後ろに下がれ!」
逃げ惑う馬の1頭が、オーガの振り回した棍棒で吹き飛ばされると、ラドムPTの短槍使いのスミスという中年の男と、詠唱中だった魔術師のウェスという若い女を押し潰す。
ラドムPTスカウトのウィルバーは、咄嗟に投げナイフを投擲したが、棍棒で打ち払われる。
慌ててショートソードを抜き構えようとするも、上から棍棒を振り下ろされ、血と泥濘の中に沈んだ。
双剣使いのレミィという女は、必死に棍棒を避けているだけで、剣の間合いに近づくことすらできない。
ラドムは盾で棍棒を受け止めようとしたが、そのまま吹き飛ばされて木に激突し、戦線離脱。
このままでは!
「やむをえん、喰らえ、アルティメット・フォース・シャイニン……、うぐっ!?」
ゴィィンッ!
横なぎの棍棒の一撃を、辛うじて盾で上方に受け流す。
後方から手斧を投げるブレタ、牽制するシグやレミィを無視して、大技を放とうとした自分に的を絞ってきたのだ。
オーガの体勢が一瞬崩れるが、こちらも体勢を崩し、必殺技を放つことはできなかった。
こちらに連携をさせないオーガの知能は、馬鹿にならない。
なによりも、ヴォーグの死体を片手で投擲して、ドワーフであるブレタの防御力をものともせず腕をへし折るなど、筋力だけでも想像を絶する。
ヒュームがまともに剣で撃ち合っても勝ち目は無い。
魔術師が潰され、攻撃魔法も使えない。
となれば、神伝無双最強無敵勇者流剣術の奥技、アルティメット・フォース・シャイニング・ブレイドを叩き込まなければ!
だが、頼もしい前衛のブレタが抜けた今、攪乱役のシグ達だけで大技を放つための隙を作らせるのは無理だ。
ギリッ、と奥歯を噛み締める。
「私に、もっと、力があればっ!」
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無数のモンスターの屍が横たわる街道。
馬を解き放たれ、残された6台の馬車と、街道に立ち尽くす数人の人影。
今、シリアス要員不在の街道某所では、期待と不安が渦巻いていた。
足を大きく開いて、「どうぞ」と言わんばかりにお尻を突き出す毛むくじゃらの小柄なマッチョと。
「コォォォ~、ホォォォ~。
コォォォ~、ホォォォ~。」
その後ろで、気息を調え、内功を練るメイド服の大女。
変わり果てた俺と、熊獣人のベアトリスである。
そして、見守る俺の嫁と娘と中年と幼女と白い狼、もとい駄犬の姿が、そこにはあった。
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勇者流拳法、『魔当流空手』。
かつてこの世界に転移した勇者の一人が、「ツーシンキョーイク」で極めていたとされる『真当流空手』。
その勇者は空手の遣い手(白帯5級)であるだけでなく、高LVの格闘技スキルと、膨大な魔力の持ち主だった。
この世界で軽視されていた『気』の存在。
その有用性は、徒手格闘術の使い手でなければ気付くことはなかっただろう。
気の流れと魔力の流れを合致させた打突が、桁外れの威力を生み出すことに気付いた勇者。
彼が、格闘技でも魔法でもない新たな武術を生み出すことになったのは、魔物との戦いに明け暮れるこの非情な世界において、もはや必然であった。
魔力を纏った拳や脚を用いた表面からの破壊と、巡らせた気を相手の体に浸透させることによる内部からの破壊。
防御力無視の物理攻撃にして無属性魔法でもある一撃必殺の拳法。
それこそが、勇者がこの世界に編み出した武術、『魔当流空手』である。
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「や、やさしくしてね。」(震え声)
俺がベアトリスにお尻を差し出しているのは、『蹴られる』ためであった。
決して、そーゆー趣味に目覚めたわけでは無い。
俺の体に入り込み、「華奢(貧弱?)ですべすべ」だった俺を、「マッチョでもふもふ(わっさわさ?)」へと変質させた『赤くて半透明な光の玉』――仮に、『魔王の種』と呼ぼう――を、体から取り出すための試みである。
実体の無いエネルギーの塊である『魔王の種』を、魔力の意識的な操作によって体外へ排出することは、現時点の俺には不可能である。
それをやってのけた元狛犬の駄犬は、誠に残念なことに、言語力と表現力と性癖に難がありまくりだった。
今も、白狼からお尻に変な視線を感じる。
せわしない息遣いと、打ち振るわれる尻尾の意味を、深く考えるのはよそう。
そして、外部から他人の魔力を操作するような魔法やスキルを持つ者は、ここには居なかった。
そこで、ベアトリスが習得している勇者流拳法、『魔当流空手』の出番である。
相手の体内に自らの『気』を浸透させることで、相手の『気』の流れを導き、操作することができるのだ。
気の操作によって『魔王の種』を分離し、そこに魔力を纏った打撃を打ち込むことで、一気に体外へ排出する。
完璧な作戦だっ! ……たぶん。
「アイザルトさま、心の準備はできましたか~?
ベアトリスを信じて、気を楽にして下さいね~。
では、行きますよ~。」
ふわり、と脱力して構えているのに、盤石の安定感を感じさせるベアトリスの立ち姿。
振り上げた右前脚を、ぽんっと俺の背中に軽く打ち下ろす。
まず、『気』の操作で異物を分離するのだ。
大した威力は無さそうなのに、内臓全体を揺さぶられるような衝撃が体を通り抜ける。
吐き気を覚えて前屈みになると、狙い澄ましたようなローキックが俺の尻をとらえた!
バゴッ!!
「ァーッ! ん、がっ、く、っく!?」
足が宙に浮き、ロケットのように前方へ打ち出された俺の口から、内臓……ではなく、赤い光の玉がシュポンっと飛び出した。
そのまま、地面にダイブした俺と、ぎゅーん、と飛んでいく光の玉。
しゅぅーっ、と霞のようなモノに体を包まれ、縮んでいく俺の体と、地面にばさりと落ちる大量のムダ毛。
(さようなら、俺の大胸筋、上腕2頭筋、そして大腿4頭筋。
いい夢見させて貰ったよ。)
元どおりの、もやしですべすべな体の俺に戻っていた。
「ああ、良かったわ、アイザルト! 元通りの貧弱な姿に!」
「おとーさん、これからもカゲミツのおにーちゃんで居て下さい!」
「成功したようで何よりだ。やっぱ俺っちのベアトリスは最高だぜ!」
「そのムダ毛、何か織物に使えないかしら?」
< ハッ、ハッ、ハッ。キュゥ~ン?(アニキぃ、何て情けないお姿に。でも、オイラずっと付いていきやすぜ?) >
「ぉ、ぉぅ。みんな、ありがとう……。」
「アイザルトさま、痛かったですか~?
いたいのいたいのとんでけ~、してあげましょうか?」
「とりあえず、ヒール掛けたんで、結構です。」
まぁ、魔王候補じゃなくなって、ホッとした。
ところで。
「あの光の玉、どこまで飛んでったんでしょうね?」
また誰かにぶつかって、吸い込まれてなきゃいいけど。
「ん~? 街道沿いに真っ直ぐ飛んでったなぁ。
もしかして、逃がした冒険者の誰かにぶち当たってたりして、……なぁ?」
「はっはっは、いくらなんでも、まさか、そんなぁ……。」
……フラグ、びんびんに立ってる気がする。
――――――――――――――――――――――――――――
シグの足を棍棒が掠め、地面に倒れ込む。
振り下ろされる棍棒の軌道を、私が盾でずらすのと、シグが転がって逃げるのが同時。
「足をやられた! もういい、マウザー、逃げてくれ!!」
コルスは昏倒したまま意識を取り戻さない。
レミィは既に倒れ、ブレタの手斧も尽きた。
「お前こそ、コルスを連れて逃げろ。ブレタも行け!」
片手で戦斧を構えたブレタが首を振る。
(この仲間達を失うのか?
また、守ることができないのか、この無力な腕は!)
盾を使い、棍棒の重い一撃を、いなし、そらし、受け流し続ける。
ときおりオーガの手足に斬りつけるが、深手には程遠い。
マウザーの反対側、オーガの背後に回ったブレタの戦斧の一撃が、オーガの左太腿に叩き込まれるが。
「ブレタ! 逃げろぉぉぉっ!!」
このままでは、身を捻ったオーガの棍棒がブレタの頭を粉砕する!
ブレタを突き飛ばすように割って入り、盾で棍棒を正面から受け止めた瞬間、重い衝撃を受けて宙に浮き、大木の幹に叩きつけられた。
「ぐ、ごふっ。」
折れた肋骨が肺を傷つけたのだろう。
口から溢れる血にむせ返る。
剣も盾も、手から離れてしまったようだ。
(ここまでか。)
オーガに死体を喰われれば、奇跡の蘇生魔法も効かないだろう。
聖者アイザルトに、一度助けられた命。
できれば、あの少年の役に立ちたかった。
そして、仲間を守りたかった。
「ぐふっ、もっと、力を……。」
頭上に棍棒を振りかぶるオーガ。
シグとブレタの悲鳴が聞こえる。
カッと体が熱くなり、最後の力を振り絞って避けようとした時。
ぎゅぅぅぅん!
飛んできた赤く輝く光の玉が、マウザーの口に飛び込んできた!
「ん!? がっ、くっ、く……、ごっくん。」
(飲んでしまったぁぁ!?)