第2話 天狗になったった
広人が最初にいた場所は、二つの谷が直角に交わる地点だった。
二つの谷は不自然なほどまっすぐで、ちょうど、十字路の真ん中にいたようなものだ。
谷底の幅は200mくらいあるだろうか。
両側に立ちはだかる岩壁の高さは、谷底の幅と同じくらいか、もっとあるかもしれない。
垂直の壁では無いものの、かなり傾斜がきつく、ロッククライミングの技術も体力もない広人がよじ登るのは、やめておいた方がよさげである。
幸いにも、出発地点の十字路付近が一番深くなっているようで、谷の浅い所まで行けば地上に出られるかもしれない。
東西南北は分らない。
太陽の位置から時間や方位を推測するつもりだったが、灰色にくすんだ空は全体が薄ぼんやりと明るい感じで、太陽は見えず、自分の影も見えない。
「全方位探知で何か分るかもしれない。
ということは、MPが必要でつね。
……もはやアレを使うしか無いのか。」
悲壮感を振り払い、意識を集中して視界の中にアイテムインベントリを開き――。
スロットから赤い天狗の面を取出す。
「天狗レェッッッド、見、参ッ!」
被りつつ叫んでみた。
自棄になってやってみたが、反省している。
面を被っても視界が塞がれないのは不思議仕様だな。
そんなことより、今は探知だ!
「全方位探知!」
必要ないかもしれないが、声に出して叫んでみた。
孤独な時の独り言は精神の安定に役立つ、って医学部へ行った同期生が言ってたが、多分本当だと思ふ。
瞬時に、視界の中に、地形が等高線で表示されたマップが現れた!
画面で見る限り、生物などの反応は無いようだ。
真上から見る2D画面の状態で出てきたが、視点の位置を変更できるようで、上から斜め下に見降ろす3D画面や、本人が前方を見るのと変わらないVR画面にもできる。
探知範囲は拡大縮小ができるようで、2D画面は数百m~数km、3D画面で数十~100m、VR画面は10~30mくらいの範囲で表示できる。
自分を見降ろしつつ立体的に周囲を見ることができる3D画面は、戦闘時とか役立ちそうだ。
……戦闘力0の俺には関係無いがな。
VR画面が真価を発揮するのは、洞窟探索とかだろう。
明るい場所なら自分の目で見た方が早い。
地図として使うには2D画面が一番かな。
ちなみに、現在地の地名も表示されているステキ仕様だ。
「現在地:死の大空洞」
まぁ、地名が分っても、どっちに行けばいいか分らない事に変わりはないけど。
とりあえず、谷底から上がれる場所を探すため、2D画面を範囲最大にして地形を確認し、4方向にある谷の一つを選んで歩き出した。
足元に岩がごろごろしているので、結局、高下駄も出すことにした。
慣れないうちは転倒しそうで怖かったが、足が長くなったのと同様に歩幅が大きくなったせいか、慣れるとかなりの早さで歩くことができた。
アイテムのステータス補正:速さ+5も効いてるかもしれない。
不思議なのは、俺には体力のステータス値が無いにも係らず、空腹のまま、競歩並の早さで数時間歩き続けても、全く疲れないことだ。
汗ひとつ掻いていない。
以前ならとっくにバテているはずだ。
魔人というのは、回遊魚のようにもともと持久力が高い生物なのだろうか?
履き慣れない高下駄で足の指が擦れることを心配していたが杞憂だったし、歩き詰めで足が痛くなることも無い。
やはり人間に比べると素の耐久力が高い肉体なのかもしれない。
それとも、あのステータス値が戦闘時の防御力と自然回復力のみを表し、日常生活での持久力などとは関係ない値ということなのだろうか。
考えても分らないことだが、生前よりも体力があることは、素直にありがたい。
探知スキルについても、謎がある。
スキル使用時に常時MP消費(小)と表示されていたので、天狗面の補正分のMP10が消費されたら、電池切れみたいな感じで自然に画面が消えてしまうものと思っていた。
あれから数時間、探知画面を出しっぱなしにしているが、全く消える気配が無い。
想像以上にMP消費量が少ない省エネスキルなのか、それとも天狗面自体にMP自然回復能力があるのか。
まぁ探知スキルが使える間は考える必要もないか。
そんな雑念で気を紛らわせながら、黙々と足だけを動かし続けた。
時計も携帯も無いので正確ではないが、もう半日くらいは歩き詰めだ。
空腹は、耐えがたいのを通り越して無感覚になった。
今は喉の渇きの方がやばい。
体が一向に疲れていないのだけが救いだ。
相変わらず、探知マップ画面に川や池などの水場は見当たらない。
既に谷を抜け出しているが、谷底と代り映えの無い荒涼とした大地がどこまでも続く。
途中、崖のどこかに湧水などが無いかと注意していたが、見つけることは出来なかった。
「死の大空洞」なんて大げさな地名だと思ったが、草一本、虫一匹見なかったことから考えて、本当に生物が生きていける場所ではないのかもしれない。
ん、そういえば、「大空洞」って地名、洞窟とか地下とか、何かの内部じゃないとおかしいよね?
太陽が見えないとはいえ、そこそこ明るい空の下、開けた地面の上な訳で、地名に引っ掛かりを覚える。
そんなことを考えながらも、機械のように一定の速さで歩き続けていた俺は、不意に、探知画面の変化に気が付いた!
探知画面の隅、進行方向から15度くらい左にそれた地点に、二つの黄色い輝点が表示されたのだ。
ほぼ同じ位置にある二つの輝点、それは生物の反応だ。
この世界で初めて生命の存在を感じた時、どんな相手かも分らないのに、最初に覚えた感情は「安堵」だった。
考えないようにしていたが、自分以外の生命が居ない可能性もあったのだ。
「生命の死に絶えた世界での完全な孤独」という可能性に、無意識にストレスを感じていたらしい。
もしかしたら危険な生物かもしれないが、相手に気付かれない距離まで近づいて観察するぐらいなら大丈夫だと思う。
――っていうかどうしても見てみたい。
探知画面の中央(現在地)から端までの距離は、多分2kmくらいだろう。
生前なら徒歩30分というところだが、今の移動速度なら、15分も掛からないはず。
「一体、どんな生物だろう?
wktkするぞ!」
身を苛んでいた喉の渇きすら忘れ、俺は進路をそちらに向けると、速度を上げた。
目標まで約500mを過ぎた地点で、歩く速度を落とした。
相手に探知能力があるか、あるとしたらどの程度か分らない。
俺と同じくらいの探知能力があるなら既に気付かれているかもしれないが、用心はしたほうがいいだろう。
下駄の足音で相手に気付かれないように、ここで下駄を収納する。
足の裏の皮が厚いのか、裸足でも痛みは感じない。
地形は平坦で、ごろごろと岩の転がる荒野がどこまでも続いているが、多少の起伏がある。
しゃがんだままで近くの起伏の頂点付近に移動して腹這いになり、頭だけ出して肉眼での目視を試みた。
地面の起伏に遮られているようで、この地点から目標は見えないようだ。
逆に言えば、こちらも直視されることは無い。
300m程先にある小高い丘まで移動することにしよう。
丘の手前まで移動し、そこからはさらに慎重に、四つ這いのまま丘の上を目指す。
探知画面では目標に動きは無い。
丘の上で腹這いになり、慎重に前進する。
やがて、俺の視界に入って来たのは、黒くて大きくてごつごつした何かが蹲っている姿だった。
最初、距離の見当を間違えたのかと思ったほど、ソレは近くに見えた。
探知画面で距離を確認するまでもなく、勘違いに気付く。
(こいつは、――デカい!)
それは、生物と呼ぶには、あまりにも巨大だった。
地球の生物で、現在これほど大きい生物はいないだろう。
最も大きいクジラでも全長30mくらいだったはず。
恐竜で竜脚類などと呼ばれる種類のものなら、この大きさのものもいただろうか。
しかし、丸く蹲った状態で50mくらいの大きさがある。
そして、角が生えた巨大な頭部、がっしりした首、太い尻尾、何よりも背中から生える蝙蝠のような翼。
ゴジ○とかウルト○マンとタメ張れそうな威圧感だ。
どう見ても怪獣。
「あれは、……どう見てもドラゴン!?」