ワード・エイト
「心配かけてごめん」
水野さんから聞いた、と結城は申し訳なさそうに言った。それに黒城は人のよさげな笑顔を向ける。
「いいのいいの。それよりさ、水野さんとは打ち解けたみたいだね」
「うん……慧くんみたいで」
忘れられるわけがない、そんな雰囲気で悲しそうに笑う。その表情を見た黒城は、そっと頭を撫でた。
「慧くんのこと、忘れられるわけないよね」
「うん、最後の愛する人だったから」
つう、と頬を涙が伝う。
「他の人と恋しようとは思わないんだね、未来は」
こくん、と結城は頷く。部屋に飾られた写真に目をやる。
楽しそうに元気に笑う結城と青年。結城はそれを見て過去に浸ることが多かった。
「でも、あの合コンに無理矢理連れ出してくれて良かった」
あの日連れ出すのすら難しかった結城を連れ出すことが出来たのは、黒城の嘘のためだった。合コンなんて口が裂けても言えない、言ったが最後締め出されて会えなくなる。
「ごめんね、友達あいつらだけって言ったのに」
「そのことは十分怒ったつもりだから、もういいよ」
ふふっ、と笑う。水野さんに出会う前はこんなに笑わなかったような、と黒城は内心呟いた。もしかしたら、本当に変えてくれるかもしれないと期待が芽生える。
「水野さん、少なからず好意は抱いてるよね、未来に」
「そうなんだ?」
恋愛に疎い結城は首を傾げる。これでよく彼氏が居たよなあ、と黒城は笑った。
「そうだよ。……彼は未来の力になってくれるよ、きっと」
黒城は用事があるから、と普段よりあっさりと結城の家を出た。その後夕方から水野と約束があったからだ。
隠れ家的なバーを訪れると、先に着いていた水野が手をあげる。
「黒城さん、こっち」
「どうも」
ジーンズにジャケットというシンプルな格好をした水野の隣に座る。
ここは良く仕事仲間と来る店だ、と水野は彼女に告げた。仕事内容を話しても問題ないから便利なのだとも。
「ワード・エイトを。黒城さんは?」
「私はアプリコット・クーラーで」
紳士的な雰囲気のマスターは微笑んで返事をすると、カクテルを作る準備を始めた。
水野が口を開く。
「そういえば、結城さんのところに行ってきたんですよね?」
「はい」
黒城は言葉を発しようとして一度迷い、でも口にすることに決めた。
「未来は、彼のことを忘れられないし、忘れたくないみたいです。彼――慧っていうんですが――慧くんのこと、『最後の愛する人』だって」
「それだけ大切な人だったんですね。それなら当たり前だ」
ことん、と黒城の前にグラスが置かれる。アプリコットの甘い、でも爽やかな匂いが漂う。
「でも、水野さんのことは信用してますよ。……慧くんに、似てるって笑ってた」
「俺もこないだ言われました。優しさが似てるって」
今度は水野の前にグラスが置かれる。柑橘系の爽やかな香りだ。一口、軽く口に含む。
「美味しい」
「ありがとうございます」
マスターはまた優しく笑った。彼の笑みと、水野の笑みは何処か似ていた。
「私が居れば大分出るようになったけど、自主的には無理そうです」
「俺の感覚的には、結構手ごわそうな感じがしたよ。頑なに、誰かと深入りするのを避けてる気がする」
そうそれ、と黒城が頷く。
「でも分かるよ、彼女の気持ち。大切な人を亡くしたら、誰も大切な人を作れなくなる」
……怖いんだ。
綺麗に照明を反射させるカクテルを見つめ、水野はポツリと零した。
そんな彼を黒城はただ見るだけしか出来なかった。
「もう少しだけ、立場昇格出来ればな……」
「駄目だと思ったら言ってください。お手間を取らせたくないですから」
その黒城の言葉に、目を少し見開いて苦笑した。
「むしろ、君は彼女を気にしていて下さい。万が一少しでも俺に深入りしそうになったら、離して。傷付けたいわけじゃないから」
その後、二人はポツポツと言葉を交わしながらも基本無言でカクテルを飲み進めたのだった。