貴方の一番好きな場所
大切な場所に立っていたのは、"慧"ではなかったけれど。
確かに会いたかった人だった。
「なんで、ここにいるの……?」
結城は高台にポツリと立つ人に声をかけた。
一瞬慧がいたのかと思って涙が溢れてしまいそうになった。その姿は会いたい人じゃなかったけど、会いたかった人だった。
「ごめん」
「……現実から逃げたくなるときにね、ここに来るの。大切な慧との思い出の場所だから」
うん、と顔を合わせずに相槌を打つ。二人はただ前を見つめていた。
遠くには都会の光が煌めいていて、都会から距離があるわけでもないのに静かで隔離されているようで。
ここは、
『俺の一番好きな場所』
と言って慧が結城を連れてきて告白した場所だった。
「ここにいると、慧が傍にいてくれるような気がして。ここで待っていてくれる気がして」
結城は一歩踏み出して水野に近付いた。
「ごめん」
「一瞬慧に見えた。だけど水野くんは慧とは違うから、すぐ分かったけど」
水野は気まずくて口を噤んだ。昼間も煌めく光が遠くに感じた。
「でも水野くんに会いたかった。どうして居なくなっちゃったの?」
小さな、でも水野に届く声で尋ねる。彼は軽く息を吐くと言った。
「傍に居たら、また結城さんを傷付けると思ったんだ。でもまた優しくしてあんな顔されたら、俺も苦しい」
水野は『仕事』のことは何も言わなかったし、言うつもりもなかった。出来れば最後まで隠し通すつもりだった。
「ごめんなさい……傷付けるつもりは」
「謝りたくて。黒城さんに聞いたんだ。あと、ちゃんとお別れを言いたくて」
「え?」
水野は結城の方を振り返り、結城は水野の顔を見上げた。
想像以上の優しさを湛えた目に、結城は少したじろいだ。慧以外の愛情も、黒城たちからの友情以外も知らない、水野のような優しさを彼女は知らなかった。
「じゃあね……"未来ちゃん"」
水野は彼女の横を通り過ぎていこうとした。だけど結城は迷わずに叫んだ。
初めて呼ばれた下の名前があまりに自然で。それに、行かせたらもう後はないと思った。
「純くんっ!」
その声に、少し伏せて顔を上げて振り返る。名前、とでも言いたげに目を見開いていた。
足を止めた水野に、結城は近寄って腕を掴んだ。
「行かないで。もう、誰かに置いていかれるのは嫌だから」
涙目の彼女に水野は柔らかく微笑んだ。
「俺が居てもいいんだね?」
「うん、優しいのが嫌なんて我が儘も言わないから……」
「分かった」
必死な結城の頭を撫でる。彼女もそそれに少しほっとした表情を見せる。
だけど彼は少しの罪悪感を感じていた。
本当のことは言えないから。少しずつ彼女の気持ちが自分に向いているのに気付いていた。でも彼はプロの『忘れさせ屋』であった。
掟を破ることは許されない。
水野は今まで、依頼人とターゲットが同じVIPばかりを相手してきていた。だから相手は『恋愛禁止』も知っていたし、ただの愚痴相手・友達感覚でいた。偽装彼氏になることもあったが、やはり相手と恋に落ちることはなかった。
別れさせ屋と違って、別れさせることだけが仕事ではない。寧ろ忘れさせ屋はアフターケアの方を生業にしている。だから「ハイ、さようなら」で済むものではないと分かっていた。
依頼人とターゲットが別の依頼は難しい。それが忘れさせ屋の難点だ。
そこでターゲットが忘れさせ屋に恋してしまったら、結果忘れさせることが出来なかったと言える。だから本来なら深入りする前に切るのだ。
その切り方は別れさせ屋と同じで、至ってシンプル。何も言わずに、若しくは留学などと何かと理由を付けて、姿を消せばいい。
……だが、水野は彼女の腕を振り解けなかった。