大きなマグカップ
やっぱり休日は家族連れが多いなあ…。
俺はエスカレーターを降りながら、目の前のフロアに視線を走らせた。
ここは、幹線道路沿いにあるショッピングモール。本屋、CDショップ、レンタルショップと娯楽系から、衣料品に食料品等の生活雑貨系。もちろんレストランフロアもあって、1日中居ても飽きない上に、大抵のものは揃えられる店舗となっている。残念なのは駅からもバス停からも距離があることだろうか。でもその分、広い敷地に建つ店舗に併設されている立体駐車場は、大きめの車でもゆったりと停められるスペースがあり、大きな買い物をした客が、車に荷物を積み込みやすいようなっている。基本車が交通手段の俺からすると非常に利用しやすい店舗なのである。本屋も広いうえに品揃えがいいのも利用する理由の一つだ。
何といっても俺の趣味は読書。品揃えの良さは大事である。…とは言っても雑食タイプではく偏食タイプなので読むジャンルは広くない。読むのは大抵漫画か推理小説だ。そんなんで趣味は読書とか言うなと世の読書家に怒られそうだが、プライベートな時間は大抵本を読んでいるのだから十分趣味は読書で通用するだろう…多分。
そんなわけで日曜日の今日は、発売されているであろう新刊を求めて一人、愛車を走らせて来たわけである。
ああ…、そういえばこの前マグカップ割っちゃったんだよな。ついでに新しいの買ってくか。
いつもは真っ先に本屋さんに向かう足を方向転換して、ちょろちょろ走り回る子供を避けながら、食器類を取り扱っている雑貨屋さんに行く。綺麗に陳列された棚には形も色彩も様々なマグカップが並んでいるが、さて、どうしようか…。割れてしまったマグカップは長いこと使用していたけれど、一人暮らしをするときに実家にあった未使用のやつを貰ってきただけなので、特にデザインとかにこだわりがあったわけではない。それでもシンプルで大きめなサイズのそれはとても使いやすく、気に入っていた。
んー。あれぐらいの大きさってあんまりないもんなんだなぁ。
棚に並ぶ商品は自分が使っていたものよりもワンサイズ小さいものか、さらに小さいもばかり。長いことあのサイズに慣れていたため、なんとなく物足りない気分になってしまう。そんな時、隣の棚に視線を移した俺の視界に入ってきたマグカップは…。
なにこれっ。でかっ。
思わず笑ってしまったそのマグカップというには大きすぎて、丼ぶりというには小さすぎる物体。商品の横にちょこんと置かれている小さな手作りポップによると、お茶を入れてもいいし、スープを入れてもいいと書かれている。
なるほど。それでスプーンが入ってるのか…。
へえー、となんとなく面白くなって、俺は商品を取るため伸ばそうとした手を止めた。
一人の女性が商品を手に取って眺めていたからだ。その女性の品定めの邪魔をするのも嫌だったので、他の商品を眺めるふりをしながら、退くのを待っていたのだけど…。
どんだけ悩んでるのっ!お姉さんっ!
思わず心の中で突っ込んでしまった。
デザイン違いのでかマグ(と、勝手に命名)を全種類手に取って見た後、多分気に入ったのであろう二つのデザインのでかマグを、交互に手に取っては棚に戻しを何回も繰り返している。そして、やっと心を決めたのか、手に持っていたでかマグをゆっくりと大事そうに棚に戻すと、
結局買わないんかいっ!
商品を購入せずに去って行ってしまった。
背筋を伸ばして歩くその後ろ姿は、凄く綺麗で、だけど先程の一連のやり取りを見てしまった俺には、欲しいっ!けど、我慢!と叫んでいるように見えて…。
「…ふっ」
思わず吹き出してしまった。
足早に去ってしまったその背中が見えなくなると、俺は視線をでかマグに移し、お姉さんが悩んだ結果購入しなかった二つのでかマグを両手でそれぞれ持って、棚にある商品と見比べる。
うん。俺もこのデザインの中からだったら、この二つを選ぶかな。
俺は迷わず手に取った二つを持ってレジに向かった。
二つも買う必要はなかったし、値段もなんとなく考えていた予算より高かったけど、欲しいものを手に入れたときの高揚感に似た気持ちが胸に広がり、俺は上機嫌で本来の目的地である本屋さんへ足を向けた。
金曜日に発売されているであろうコミックスの新刊は後で見に行くとして、何か面白そうな本ないかなあと文庫本コーナーへ行くと、なんとそこにはさっきのお姉さんが。
お姉さんは決まったタイトルを探しているのではなく、どうやら面白い本を探しているようで、文庫本の裏のあらすじを読んだり、時には中のページを開いて読んだりしながら、いくつかの本を手に取っては棚に戻すを繰り返している。
また結局何も買わずにいっちゃったりして…。
そんなお姉さんの様子を、本を物色しながら視界の隅で観察しつつ笑う。と、なんとなくお姉さんの様子がさっきと違うような気がして違和感を感じた。でかマグを選んでいたときのお姉さんは、選んでいる間中ずっと近くに立っていた俺の存在にも全く気付く様子もなく、ひたすらでかマグに視線を注いでいたが、今はかなり多い回数で手元の文庫本から視線を逸らし、どこかに視線を投げかける。それは一定の場所でなく、その時々によって違う。なんだか凄く視線の先が気になって、お姉さんが文庫本から顔を上げるたびに視線を追うと、かならずその視線の先に現れる小さな男の子。
(迷子か?)
小さな足で本屋の中をテトテト歩くその男の子の近くに親らしき人の姿が見えたことはない。今日は家族連れも多いし、きっと親と逸れた子供も多いんだろうなあと他人事のように思った時、お姉さんが小さなため息を吐いた後、文庫本を棚に戻しその場を離れた。なんだか無性に気になって、俺も文庫本を棚に戻し、そっと後を追いかける。
「僕、どうしたの?」
お姉さんは、ずっと一人でいるから気になっていたのだろう。男の子の目線に合わせるようにしゃがみこんで話しかけていた。
「あっ……」
お姉さんの声に反応してバッと顔を上げた男の子の顔はこちら側からは見えない。
「お姉さんはねえ、今日一人で車を運転して来たんだけど、僕も今日は車で来たのかな?」
ゆっくりと質問をするその声は、なんだか聞いているこっちまで安心するような声だったが、次の瞬間俺の心臓はバクンと大きな音をたてた。
その後俺の取った行動ははっきりいって無意識だった。
男の子に話しかけた直後に現れた親の謝罪兼お礼に苦笑して対応した後、男の子に手を振ってその場を離れるお姉さんは、本屋フロアから出て行き、エスカレーターに乗った。後を追いかけた俺は、お姉さんから少し離れてエスカレーターに乗りこみ、そして、ふと視線を向けた鏡に映る耳まで真っ赤にした顔と、慌てて髪で表情を隠し恥ずかしそうに笑ったその口元に、本日二度目の心臓の音を聞いた。
お姉さんが初めて俺のアパートに来てくれた時、食器棚に飾られていた二つのでかマグを見て「あーっ!!」と大声を上げたのは、また別の話である。