第9話
間口が狭くて生徒達が前で整列できなかった。2階建てでクリーム色のコンクリート作りの建物だった。
隣の建物も工場だ。建物と建物の隙間はひと1人が通れるかどうかしかない。
正面から見上げた工場の建物の幅がお世辞にも立派に広いとは言えない位だった。ドアの脇にはすぐに資材が積まれていて空いた場所を見逃さず必ず荷物やら材料が積まれていた。工場の入り口に向けてコンクリート張りの通路に緑のガムテープが貼られ通路を示していた。そこは狭いので生徒達が並んでいるのは不可能だった。
そこで全員が幾つかのグループに分かれて順番に見学し、残りのグループは駐車場で待機する事になった。
教師に促された長谷が工場の長である父親を紹介する事になった。
工場の奥から姿を現した父親はずんぐりむっくりとしたにこやかなおじさんだった。
『うちの父というか、社長です。』
列の端に菜摘が並んでいる。 クラスのほとんどの者は長谷の父親を初めて見る。町工場と聞いてもっと職人然とした厳しい風貌を想像していたが汗を額に浮かべながらやや甲高い声で挨拶をする姿にみんなが親しみやすそうな印象をもった。
『いつも息子がお世話になっています、この工場は私の父親の代から鉄工所をしています。狭くてむさ苦しい所ですが見学に来て下さいまして有り難うございます。皆さんは高校を卒業したら大学に進むでしょうから鉄の加工工場を見る機会はあまりないとは思います。珍しいと思ったらなんでも質問して下さい。』
長谷の父親は生徒達が聞こえない振りが出来ない程の大きな声で挨拶をした。
生徒達を圧倒する元気の良い挨拶に生徒達が可笑しくてクスクスと笑うと長谷隆が照れながら父親を工場の奥へと引っばっていった。
動作も、その横顔も良く似ている。長谷親子は教師も生徒達も笑わせたのだった。
笑う生徒達の列の端には菜摘がいた。見つめるその瞳は人懐っこい笑顔の長谷隆を追っていた。
そして菜摘はこの風景を切り取ってしまいたくなった。
いつでも好きな時にポケットから取り出せる今のひと欠片にしたかった。入学式で見た時の忘れられない彼の最初の笑顔の記憶の隣に並べて見たり、頭の上にかざしてみたり、傾けてみたり一人きりで楽しみたくなった。
自分が信頼するクラス委員の相棒は、皆からも愛される好漢だ。
菜摘と長谷は中学校が別だったので高校生になって出会った。工場街の出身である長谷は坂の上に生家のある菜摘とは育った地区が違うのだ。小さなこの町では、坂の上の中学をでたものはほとんどが、同じように坂の上にある高校に進学するというある種の慣習があった。
長谷も工場街の近くにある工業高校へ進む方がより一般的だったのだ。菜摘はなぜ長谷がなぜ自分達の通う今の高校へ入学して来たのかは知らなかった。
まるで牛を追い立てるような教師の雑な指示の声で菜摘達は工場の奥へと進んだ。




