第6話
『この町は、道と道とが階段で繋げられている。』
斉藤裕紀が言った。横を歩くとその背の高さのために見上げる角度が違う。
あごの辺りしか見えないので、薄い唇が美しく開くのを見ながら菜摘は話した。
初めてだわ。こんな気持ちよく晴れた日にこの階段を降りるのは。私は自転車通学だから雨の日以外は階段を通らないから。
課外授業へ出掛けるため生徒達は、校門を出て急な階段を下りている。列を作るような作らないような、定まらない隊列である。
丘の上に建つ学校から出掛けるにはこのように階段を下りる必要がある。
車や自転車に乗ったなら、この日当りの良い斜面を綴れに折れながら緩やかに下方の町へと通された道路を通行する。
階段はそのS字に連なる道路を串に刺すように1本で貫くように作られていた。少し古いコンクリート敷きだ。
所々錆びた手すりが申し訳なさそうに左右共に1対ある。
『ここからだと、町工場や皆の家の屋根が見渡せるものね。』
菜摘と斉藤とが並んで歩く事も、このように二人での会話になる事も初めてだった。
大抵は隆や他の女の子も加えての談笑であったから、今日はなんだか照れくさい感じがしてきて菜摘は前だけを見ながら話した。
高い位置から陽の光が降り注ぐ。改めて広くはない町だと思う。階段にカクカクと折れ曲がった菜摘と斉藤の影が映っている。
列の先頭で階段を下りる長谷隆の短く刈り揃えた髪が見える。
『長谷の家が町工場だって知っていたかい?』艶のある中性的な声色を持つ斉藤裕紀。
『知っていたわ、偶然、私達は1年のときから同じクラスだから。』
菜摘の声は色で例えるならばブルー。性格そのままに冷静で落ち着きを与える弦楽器の音色。
『お父さんの事も知っているのかい?』
『うん、会った事があるの。すっごい元気で面白いお父さんよ。 いかにも長谷君のお父さんって感じ。』
菜摘は思い出したのか笑いながら言った。『長谷君は、皆が、お父さんの事を見てどんな風に言うか気にしてたわ。』
『誰でも、こういうときは照れるものさ。』
『それに、自分の家に社会見学だなんて聞いた事ないものね。』
先程からなんとなくやたら長い斉藤裕紀の指の動きを見ていた。やっぱり斉藤裕紀の顔をみるのは照れくさい。
『斉藤君の家に社会見学に行く事になったらどう?』
『俺の家は、工場とか店をやってるわけじゃないから、社会見学に行く事にはならないよ。』
『もしも、お父さんの職場に社会見学に行く事になったとしたら?』
斉藤は少し黙った。『俺のおやじは、単身赴任中だからね。見学には行けないだろうな。』
『やっぱり照れくさい?』菜摘が言うと斉藤は微笑んで頷いた。
斉藤は、おしゃべりが苦手と言うわけではなさそうだが、何か別の世界で生きているような距離感、接しても手応えの無さを感じる事があった。休み時間の行き場所の事はいまだに良くわからない。
これには、ミステリアスで良い。というクラスの女子の評価もあるようだが菜摘は賛同しかねた。
斉藤はクラスメイトであるのだから外見や、傍から眺めたときに受ける感じで評価するべきではない。
もっと斉藤に近づいたときに彼の中から自身の有様が見えてきて判り合えるようになる事を望むのが普通ではないかと思う。
振り返るまでもなく、数名の女子達の声が聞こえて来た。並んで歩く二人に追いついて来たのだ。
なんで、ツーショットで歩いてんの? ちょっと邪魔しようかと思って来ました!
などと言いながら会話に割り込んで来た。明らかに斉藤裕紀が目当てで来たのだと菜摘には判った。
二人は、いつでも仲良すぎるんじゃない? ひょっとしてなんかあるの?
冷やかされて菜摘は困った。
こちらの会話が聞こえている訳もないが、なぜか目だけで長谷の方を見る。
『もう、なんで急にそういう事を言うの?』菜摘の精一杯の牽制。
彼女達は、特に話題があるのでもなさそうだ。斉藤君の家ってどっちだっけ?などと聞いている。
菜摘も知らなかった。しかし、斉藤はそれには答えず1人だけ足を早めた。
『長谷と話してくる』あとは、長い足でどんどん歩いて行った。
クラスメイト達は残念がった。クラスの中にいる斉藤ファンは菜摘が思うよりも多いようだった。
ふと、菜摘は斉藤裕紀が1人で先に歩いていった訳が、クラスメイト達に冷やかされる自分に気を遣ったのだと思い当たった。
斉藤自身が、彼女達を煩わしく思って離れて行ったのではない。菜摘には、斉藤には、先程自分が感じた冷やかしに対する照れくささや、気恥ずかしさのような感情が欠落しているように思えるのだ。
むしろ斉藤裕紀をミステリアスというならば、こういう部分なのだ。
丘の斜面を覆う、楠の林から蝉の声が聞こえていた。
楠林そのものが菜摘の高校最後の夏に向けて、全力で夏の価値を唄っていた。




