第24話
海から吹いていた風が止んで、夕凪の時刻。長谷隆の部屋の窓から差し込む夕日が薄ら薄ら揺れ始めると、隆は机にペンを置き参考書を閉じた。手をひょいっと伸ばして蛍光灯の明かりを点けた。18:00を回っていた。
その日の朝から長谷精工は忙しく、全員が無言で黙々と働いていた。
いつもは陽気な社長も厳しい目で加工品の精度の検査を続ける。
「仕上げ用のバイト器か治具が狂ってきたのか。」額の汗をぬぐって社長がそう言った。
斉藤は、旋盤に材料を送り込む作業をただ続けた。時間当たり何度この工程を一定の精度で繰り返せるか。
それが量産という事だ。と社長は教えてくれた。
電子部品の蓋を止める金物を作っている。それ単体ではなんの役目も果たさないが多くの物と組み合わせて機能する。
それが人の役に立つのだから、金物にはきちんと意味があり価値があるのだと社長は言った。
長谷の兄が打ち合わせから帰ってきた。
「いや、まいったよ。納期が伸びちゃった。せっかく徹夜も覚悟してたのに向こうのラインが故障して回ってないらしい。」 そう言って手を洗う。
「3日間納品期日が遅れるから、それまでは仕上がった商品もこっち保管しておいてって。勝手だよなぁ。」
首に巻いたタオルで手をぬぐう。
美佐子が「あらそう、夜食まで作るつもりだったけどもういいわね。「斉藤君、晩御飯食べていけるわよね?」
シャツにジーンズ姿で顔をだした。毎日このような服装で仕事をしている。
男衆は作業服を着るのだが、銀行回りや仕事の合間に家事もこなす美佐子はややラフな格好である。
隆が部屋から降りてきた。居間へと入っていくところで作業着姿で汗を拭う斉藤とハイタッチ気味に挨拶をした。
「自宅には連絡してあるのかな?」社長は気にしたが、斉藤は先ほど祖母に電話したと答えて脱衣室に入った。
後片付けもそこそこに、社長は居間へ入ると隆に言った。
「それにしても斉藤君は優秀だなぁ。飲み込みも速いし作業に集中できる時間が長い。」
社長は帽子を取るともう白髪頭である。
「大抵は、長く集中できずに無駄口叩いたり作業ミスをしたりするんだが、そのどちらも無い。」
自分が連れてきた斉藤が気に入られて隆は誇らしげに感じた。
斉藤は、シャワーを浴びて私服に着替えた姿で居間に入ってきた。
時折、図面や部品の入った段ボールが置かれる事もある。しかし長谷家ではこの部屋のテーブルで食事をするのだ。
「まぁ、飲もうや。」社長は、明と斉藤にビールを注いだ。隆はその社長に注いだ。
お疲れさん。斉藤は、家族4人と自分とでテーブルを囲むのは少し落ち着かない感じで座っていた。
だが、斉藤が家族の誰からも好かれているようで隆はやはり嬉しかった。
注がれたビールを飲むとき、斉藤は働いたという実感を得ているように隆には見えた。
「仕事の方は楽しいかい? お陰様で忙しくて、斉藤君にも毎日遅くまで頑張ってもらってるけど。家の人は何か言っているかい?」社長はそう言って、ビールを飲んだ。隆は斉藤の父親の事は聞いていたから知っているが皆はそうではないのだ。
「一緒に暮らしている祖母は認めてくれているので少しくらい遅くなっても平気です。」
そう言いながら斉藤は隆の方をちらりと見た。口元で軽く判ってるよと、隆は合図をした。
斉藤の父親の事は誰にも言うつもりはなかった。
「私たちはね、きっちり仕事していかなくちゃならない。納期と品質が何より大切で、そのうえ値段もできるだけ抑えてやっていれば不景気でも仕事は取ってこれる。創意工夫も大切だね。」
社長は、大根の煮たのをつまんでそう言った。好きなものばかり食べるのだと美佐子に言われている。
「この前、麻生様が突然こんな家に来て下さったと言うので驚いたわ。」その時不在だった美佐子が言った。
斉藤が黙って箸を進める。
「今年は、3年ぶりに婚姻の儀が行われるらしいんだ。3組も引き合わせがあるから、地域役員は全員参加することになるんだって。」そう言うと社長は婚姻の儀の日取りや、何処の誰が選ばれたかまでは知らないとも言った。
そして斉藤が口を開いた。「この街では、みんなが翠光の会の信者、いや会員なんですか?」
斉藤から話しかける事は珍しくて隆は箸を止めた。「ほとんど皆そうだね。」明が言った。
明も隆も含めて長谷家は全員会員だったのだ。「昔から翠光の会の教会があって、町会長も学校の先生も会員なんだ。習慣的にこの街の人は会員になっちゃうんだよな。
「M電産の社長だって、そうだからね。社員も俺たち下請けもみんな会員さ。下請けは家族会社ばかりだから、総出で会員ってことになる。」美佐子も少し笑った。
「斉藤君はよそから来たから不思議に思うだろうけどね。会員といったって毎日お祈りばかりして暮らしてる訳じゃないのよ。働いて仕事して、工場に物を納めてね、普通に暮らしてるのよ。」
「 最初はお付き合いで会員になる。でもそのうち、お隣さんもお向かいさんも会員になってることを知るんだ。
それに婚姻の儀なんて珍しいやり方かもしれんが、俺たちはこの街で暮らしている限りそういう事にも翠光の会の会員として参加していくんだ。」ビールの盃を重ねた社長が話し始めた。
「明は工場を継いでくれるっていうからさ、会員の催しには連れて行くんだが、隆は別の世界に言って違うものをみて育ってもらおうと考えているんだ。だから東京の学校にやって工場とは関係のない仕事をしてもらって構わないんだ。」
隆は、また酔っぱらいの話が始まったとでも言わんばかりに首をすくめて見せた。
斉藤は気にしない素振りである。そういう社長が嫌いではないのだろう。
「斉藤君のお父さんは単身赴任なんだってね。会社員て言うのも大変な仕事さ。俺もM電産の人と付き合うこともあるけど、会社員ていうものは毎月の給料で会社に人生を預けるようなもんだね。
言いたいことも言わず、会社の方針に従って歯車となって自分の気持を殺していかなきゃいけないようなところがある。
でも斉藤君が物作りが好きなら、夏休みが終わっても来れるときは工場に来るかい?」
社長はまんざらでもなかったように見えたが、隆には斉藤が言葉を濁して答えなかったように見えた。
すぐに話題は違う事に移ったが、隆は夏休みが終わったら工場には本当に来ないつもりだろうと思った。
隆にはそれが、もう斉藤が遠くに行く事を決めているようにすら感じられた。
食事の後、斉藤は廊下と工場のリノリウムの床の掃き掃除をして、機械から切子をふき取った。
電源が落ちているのをしっかり確認して工場のあかりを消す。これが仕事が終わるという事だ。明が最終確認をする。
ドアの前で工場を眺める、対して広くもなくごちゃごちゃと加工機械が並んでいるがもう愛着のようなものも感じて眺めていられる。
部品の入ったプラスチックのパレットが4段ずつ並べられている。
上から布を被せている。同じように機械達もねぎらう様に一台一台布を被せていく。
まだ、熟れたとは思えないが何かを手から生み出す事が満足感を得ることが出来ることをこの数日間のうちで知りえた事が斉藤は嬉しかった。




