第15話
『夏休みなら、俺も時間が取れるから手伝えるぞ。もっときれいな向日葵畑にしたいとか、なんでも言ってくれよ。』長谷の声が上ずっている。
林の中の木々間を抜けたまあるい荒地に向日葵畑がある。お墓がこの向日葵畑を見下ろせる丘の上にある。この少し日常とかけ離れた場所は斉藤が作ったのだ。
それは、亡くなった母が好きだった花。眩しいほどの黄色の大輪が視界いっぱいに広がっている。
菜摘はこの花を見せるただけに斉藤が手を掛けた花たちを吸い込まれるように見続けた。
斉藤も眩しく見える気がした。
『お前、もっと早く言ってくれれば良かったのに。』長谷は、水臭いぞ、とでも言わんばかりに斉藤の肩をつかんで真剣なまなざしで言った。斉藤は、その顔を見て吹きだした。
『ありがとう。学校へ入れることが判っただけで十分だよ。ここは俺一人でも手に負える広さだよ。』
母のためを思って、という点でもう長谷は斉藤に感動していた。
斉藤は笑っていた。肩に力が入っているのが本人ではなく長谷の方だったからだ。
いつも澄ました顔の斉藤と半ば揶揄する者もいるが、長谷とは打ち解けて話している。
菜摘もつられて笑った。長谷はそれでも真剣で、それが斉藤をもっと笑わせた。
菜摘は斉藤を理解しかけていると思う。長谷も違った意味で斉藤の心の壁を開けることが出来るのだと思う。
『よし、わかった! 親父に言ってこの向日葵畑のまわりに立派な鉄柵を建てよう。風が吹いても安心だ』
身ぶり手振りを交えて長谷が言った。
『夏休みの間に完成させよう』等と一人で話を先へ進めている。
『柵なんか作ったら、向日葵が丘の上から見えにくくなるじゃないか』斉藤がやんわり否定する。
その表情はもはや苦笑の部類に入る。
斉藤は、こんな話し方もできるのだ。これまで菜摘は斉藤の事が心配だった。
女子の間では人気があったが、実は女子の誰もが斉藤には近づけていなかった。
休み時間にいなくなってしまう斉藤は、協調性のない転校生という見方をされていたと思う。
時折、何か欠落したものを感じることがあったが、こんな風に表情を崩して話ができる斉藤なら安心して見ることが出来た。
長谷は、もう自分も何か手伝わずにはいられないといった風で斉藤を前にあれこれ説明している。
『じゃぁ、俺のラグビー部の後輩を集めて手伝わせても良いぞ、これから暑くなるからさ、大人数でないと大変だぞ。』早くOKしろよ。長谷の表情がそう言っている。
『大変だとしても、それでも楽しいって事があるじゃないか』笑いながら斉藤が受け流す。
斉藤には壁が有るけれど、菜摘はむしろ長谷にはそういう壁を無効にする力が有るのだと思える。
この向日葵畑で一人でいる斉藤が、けっして一人ではなかった事が判った。
これまで斉藤に感じた欠落感が自分の誤解であったのかと思った。
母を早くに亡くすという、自分には無い環境が斉藤にどんな影響を与えてきたとしても、この向日葵畑で斉藤はその何かを埋めているのだとしたら。
その他人から見えない自分だけの時間を、周りの人間が壁のように感じていただけなのだろうか。
いまここにいる斉藤は欠落者には見えない。
『それより長谷の家の工場で夏休みの間バイトさせてくれないか?』斉藤が長谷に言った。
『俺は進学するつもりはないから、何か仕事を覚えたいんだ』
長谷はうなずいて、家族と相談することを約束した。
『私も時々、見学に行ってもいいかな。』菜摘が言った。
それは最後の夏休みを大切にするためだった。
気が付くと、蝉の声に交じっておおるりの鳴声が聞こえた。
辺りを見渡したが、ルルッルと聞こえるだけで姿は見えなかった。