第10話
長谷父子が入って行ったのが、これから自分達が見学する長谷精工の作業場部分である。
そして、鋼鉄のやや錆びた扉を開けて菜摘達が工場の作業場に入った。斉藤裕紀も同じグループだった。
作業場はリノリウムの床が敷かれて天井の近い所に窓が有った。そのため思ったより随分と明るかった。
しかしながら、幾つかのパイプが壁に這っていたり、バルブのようなものなのか高校生の自分たちには理解できないような配置で並んでいる。
きっと恐らく全てが雑然と這っているのではなく、工場の作業の進め方に沿って配置されているはずだった。
『この機械は、鉄を削って加工する時に使う旋盤っていう機械です。それとこっちが鉄を切断するフライスっていう機械です。』
いつの間にか、説明役をする事になった長谷隆が皆に冷やかされながらガイドを始めた。
『旋盤は治具っていう刃先になるものを取り付けて、材料の方を動かして鉄を加工します。どれだけ難しい形や薄い加工品を作れるかで技術の差がでます。』
横で長谷の父親がニコニコしながら聞いていた。長谷は旋盤を試しに動かしてみたりした。
大きな音がして、声が聞こえないので長谷はすぐにスイッチを切った。
『次は、フライスです。旋盤と違って材料を固定し、鋭い刃先の方を動かして鉄を切断します。滑らかに正確に切断するにはやっぱり高い技術が必要です。』
機械の説明をする長谷は学校とは違った感じに見えた。菜摘はそれを素敵な事だと判った。
長谷も自分も1年生だった頃の事を思い出した。長谷はクラブを始めるのに熱中していた。
あの頃が今と比べて子供だったなどと振り返るのは極端すぎるだろうか。
しかし、もうすぐ3年生の夏休みが始まる。最後の夏休みだ。私は大人になれたのか。量る術も無いままここまで来た。
まだ、誰にも言えていない。私の青春の終わり。
長谷がボール盤の説明を始めた頃だった、工場の表に車が停まったのが聞こえた。
不意に長谷の父親が慌てたように工場の外へ飛び出した。長谷は困ったような顔をしたが、そのまま説明を続けた。
いつのまにか菜摘の近くに斉藤裕紀が立っていて道路側の窓を指差した。工場の小さな磨りガラスの窓の僅かに開いた隙間から見えたのは工場の作業とは関係のなさそうな大きなセダンだった。
駆け寄る斉藤の父親が見えた。ずっと背の高い斉藤は自分の頭越しに外を見ていた。
『この町には似合わない大きな車だな』斉藤が言った。
黒くて大きなセダンから運転手とおぼしきスーツ姿の男が降りて来て、後部座席のドアを開けた。
中から降りて来たのは、背のひょろっと高い薄紫の頭髪に黒い服を着たやや年配の女性だった。
胸には真珠の首飾りが見えた。長谷の父はその女性の前で深々とお辞儀をしながら挨拶をしているようだった。
それどころか、手を合わせて拝むような仕草すらしている。『誰なんだろう』斉藤裕紀が言った。
知っている。頭越しの斉藤の声を聞きながら菜摘は思った。
私はこの人を知ってる。私の青春の終わりを決める人だ。
その女性は穏やかな笑顔をもって長谷の父と話していた。
夏の太陽光が、その女性の背中越しに自分達全員を照らしている様に感じた。




