靴ひもを結ぶワケ
昔にふと思いついて書いたものです。
短いですので気の向いた方が読んでくださるとうれしい気分になります。
電車は僕を駅まで運ぶ。ハキハキとした女性の声が天から聞こえ、それは到着点を知らせる。まるで天使が僕に御告げをしに来たかのように。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
小学六年生の時、僕はスリッポンをやめた。靴紐があるスニーカーを買うようにした。六年が経ったいまでも僕は紐付きのスニーカーを使っている。靴紐は長いものを選び、歩く時は強く地面を踏み締める。リボンの触覚は地面をずる。靴をまとめる紐は今にもその結束を緩めたそうだ。
友達は僕が度々靴紐を結び直すのを見かねて、絶対に解けない靴紐の結び方を教えてくれた。優しく丁寧に、僕の靴を使って実演もしてくれた。友達の見ていない隙を狙って僕はそれをほどいて結び直した。もちろん自分のやり方で。彼にもわかってほしかった。何故僕がこんなことをしているのかを。
面倒臭いから、あまり気にしていないから、そんな理由なわけがない。ぼくは結構、そういうところはちゃんとしている。面倒臭いの恐ろしさはそこらへんの人よりも知っていると自負できる。面倒臭いが人類最大の敵だとさえ思っている。ちょっと話がそれてしまったね。話を戻そう。
靴紐を結ぶ時、どんな格好になる?想像してみてほしい。しゃがみ、顔を下に向け、靴紐を持ち、結ぶ。そして、顔を上げる。その時にだけ、神から与えられるものがある。灰色の世界は、彩られる。
しろ、すかいぶるー、くろ、etc
スカートという身体を守りきれない、か弱い布の下にある生地にどうしてこんなにも引き込まれてしまうのか。否。か弱さにか弱さをかけるからこそ、美しさが生じるのだ。か弱さの二条、何をこれで守れるのか。そうじゃない。これが 守らせるのだ。女性という弱者の立場の存在が、いかにこれまで生き残れたかを全身で感じる。
景色が広がる時、僕は目を瞑る。神への感謝。一枚の布は価値の与えられぬ産物へと変わる。
あぁ神よ。あなたは罪深い。人をこんなにも醜く作った。でもありがとう。こんなに醜い私を私は愛している。
到着まで後二駅。天の声は少しずつ僕に近づく。いや、僕が天の声に意識を向けるようになる。ガタンゴトンガタンゴトン。プシュー
時たま褒美にはトラップが紛れていることがある。トラップに褒美が紛れているのではなく、褒美にトラップが紛れている。大抵は褒美だが(最初は全てが褒美であるが)、確認しに行くとそれは毒になる。一度でも喜んでしまう自分に吐き気がして、頭を抱え、寝込む者もいる。だから、むやみやたらにやってはいけない。しっかりと見定め、実行に移す。
こんなことを誰かに言っても理解してもらえないことは知っている。一度だけ、弟にこのことを教えてある。その時、弟は兄に向かってゴミを見るような目を向けた。怒りとか不快とかそういうのを凌駕していた表情だった。こいつと同じ遺伝子があるっていうのが1番のコンプレックスとでも言いたいようだった。でも、みんな(もちろん弟にも)勘違いしてほしくないのは僕がいつもこういうことを考えているわけじゃないってことだ。靴紐を結ぶ時にいつも思い出すだけで、それ以外はずっと忘れてる。記憶をなくした少女が思い出の詰まった何かをきっかけに記憶を取り戻すなんて感動ストーリーと同じだ。僕が少女で、靴紐がきっかけだ。未来の僕のために僕は靴紐を緩くしておく。だから、僕はいつもたまたま目の前に女の子がいて、たまたま靴紐がほどけて、それがたまたま階段とか坂とか高低差があるところで起きてしまうと思う。そして、靴紐を結ぶ時、僕が意図的にやったことを思い出す。そうすることで僕は責任から完全逃走できる。だから、僕を責められる人なんて誰もいない。こんなことを言っても理解できる人も共感できる人もいないことはわかっているし、いて欲しいなんてことも思わない。ただ、僕はそれで楽しんでいるのだから邪魔をしないで欲しい。肩を叩いて、靴紐がほどけていることを教えるなんてもってのほかだ。全てを思い出し、僕は自分を殺したくなってしまうだろう。
天は僕に到着したことを伝える。電車から降り、改札を出て、友達と合流する。
目前にはクラスメイトの女子がいる。顔も体型もしっかりと思い出せる。話したことはないが僕は彼女を知っている。足を長く見せるため、腰を取り囲む布はとても短い。なるべくじっとは見ないようにする。僕は紳士だから。
体が強く足を地面に押し付ける。足同士の間隔を狭くする。ストライドをせばめ、ピッチをあげた。行動に僕の意思はない。脳の命令が体の反応に敗北した。脳が自己の敗北を僕に知らせる。
階段まで後30メートル。
我が友よ申し訳ない。僕は少し、靴紐を結ぶ時間をもらうことになりそうだ。
どんな気持ちになりましたか?




