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番外編 夢だったかもしれない夜のはなし

湖畔は、昼でも静かだった。


風が水面をなでるたび、光がゆっくり揺れる。

あの夜と同じ場所。

でも今は、こわくない。


「ここね」


わたしは、隣にいる小さな手を引いて言った。

自分のこどもだ。


「ここで、むかし、迷ったことがあるの」


こどもは、きょとんとして湖を見る。

なにも特別なことは起きていない、普通の午後。


「こわかった?」


「うん。とても」


正直に答えると、こどもは少し目を丸くした。


「でもね」


わたしは、湖のほうを指さす。

水と空の境目が、ゆらゆらと溶けている。


「ひかりが、いたの」


「ひかり?」


「うん。ちいさくて、やさしいひかり」


こどもは、空を見上げる。

昼の空には、なにも光っていない。


「それ、ほんと?」


「……わからない」


わたしは、少し笑った。


「夢だったかもしれないし、

 こわくて、そう思っただけかもしれない」


でも。


あの夜、たしかに歩けた。

泣かずに、帰れた。

だから、それでいい。


こどもは、湖畔の草にしゃがみこんで、

小さな石を拾った。


「でもさ」


ぽつりと、言う。


「もし、ほんとだったら、いいね」


胸の奥が、あたたかくなる。


「うん。いいね」


風が吹いて、湖がさざめいた。

一瞬だけ、きらりと光った気がしたけれど、

それはたぶん、水の反射。


それでも、わたしは思う。


あの夜の光は、

今もどこかで、

誰かの足元を照らしている。


そう信じられることが、

いちばんの贈り物なのかもしれない。


湖畔は、今日も静かだった。


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