7 春川先輩のアプローチ
猫目先輩の叶わぬ恋を応援すると決めた翌朝だったが、校門で僕を待っていたのは猫目先輩ではなかった。
「おはよ〜、一年生くん」
猫目先輩の親友で、猫目先輩の恋敵。
「おはようございます、春川先輩」
手入れの行き届いたロングヘアが、朝の風を受けて艶やかになびいている。
「猫目先輩は……」
周りを見渡しても、ボブヘアの美少女は見当たらない。
多数の生徒が続々と校門に入っていく。猫目先輩ほどではないとはいえ、美少女の先輩と一対一で会話している様子は、何人かの目を引いた。
「猫目はいないよ〜。男子に呼び出されてたからね〜」
「呼び出し……」
告白かな、と容易に想像がつく。
告白は一人一回までという決まりはない。一ヶ月に何回、彼女は呼び出されているんだろう。
「猫目もちょうどいないし、一年生くんに用があって〜」
「用、ですか?」
春川先輩はそのタレ目を細めて、小首を傾げた。
「一年生くんに、お弁当を作ってきたの〜」
お、お弁当……?
大して話したこともない可愛い先輩が、僕なんかのためにお弁当を作ってくれた?
「僕に、ですか……? それはまた、どうして……」
「だって、君と一緒にお昼したかったら〜」
と、春川先輩は可愛らしく言う。
「おい、あいつ、最近猫目と一緒にいる一年じゃないか?」
「今日は春川かよ。どうなってんだ」
通りがかりの男子生徒たちが舌打ちをしてから、校舎に入っていく。
猫目先輩と春川先輩を呼び捨てしていることから、おそらく三年生だろう。
嫉妬の視線に刺されて、居心地が悪い。
きっと、靴箱や机の中には、また嫌がらせの手紙が入っている。
これ以上、嫉妬の対象を増やしたくはない。
「すみませんが……」
僕が断り文句を言いかけると、春川先輩は心外だと目を見開いた。
「え!? 私のお弁当食べてくれないの!?」
「ちょ、声が大き……」
みるみる涙目になっていく春川先輩。
なんだなんだ、と、春川先輩の美貌に惹かれる男子生徒以外からも注目が集まる。
「え、三年生泣かしてる一年生いる〜」
「やば。誰、あの一年生」
囁き声がチクチク背中に突き刺さる。
先輩女子を泣かせたヤバい一年生として、学校中に顔を覚えられかけたところで、僕は降参した。
「わかりました、昼休みですね! 了解です」
ハキハキと喋り、春川先輩の要求を飲んだことを周りの生徒にアピールする。
春川先輩は、涙を拭うために目を擦っていた両手を顔から離した。
「本当? ありがと〜」
両手で隠れていたその表情は──笑顔。
う、嘘泣き……!?
「じゃあ、昼休みに迎えにいくね〜」
唖然とする僕に明るく手を振って、春川先輩は校舎の中に消えていく。
立ち尽くしたままの僕は、他の生徒から邪魔そうにジロジロ見られてしまった。慌てて昇降口に向かう。
ため息をついて靴箱を開けると、やっぱり「猫目ナツに近づくな」と書かれたルーズリーフが投げ込まれていた。
昼休み。
宣言通り、春川先輩は僕のクラスにやってきて、あれよあれよと連れて行かれたのは、屋上。
給水塔の裏──以前、猫目先輩とお昼を食べた場所と、まったく同じ場所だった。
二人は親友であるようだから、こういう居心地のいい隠れ家のようなスポットを共有しているのかもしれない。
「これ、早起きして作って来たの〜」
正座する春川先輩の膝に、女の子らしいパステルブルーの小さな弁当が乗せられる。
「あ、ありがとうございま……」
お礼を言って受け取ろうとするが、春川先輩はそれを拒否した。
「食べさせてあげる〜」
「えっ! 悪いですよ、自分で食べれ……」
「た、べ、さ、せ、て、あ、げ、る」
圧。
笑顔の圧だ。
優しそうなタレ目と、優しそうな微笑みなのに、なぜだか逆らえない圧力が僕にのしかかってきた。
拒否権はない、と顔に書いてある。
「……お願いします……」
「はい、あ〜ん」
春川先輩が、弁当に備え付けられている短い箸で、厚焼き卵を挟む。
それを僕の口元に持ってきた。
……誰にも見られていないよな……?
僕は、恐る恐る口を開ける。
舌の上に、卵焼きが乗っかった。
甘い卵焼きかな。だし巻き卵かな。
どっちも好きだから、どっちでも美味しくいただけるだろうと噛み締める──
「……っ!?」
しょっぱすぎた。
塩と砂糖を間違えた、なんてレベルじゃない。
飲み込めない。
「ガハッ!」
目尻に涙が浮かんでくる。
僕は、弁当と共に持って来た水筒に手を伸ばした。
口の中を洗浄するように、冷たい麦茶を飲み下す。
それでも、口内の違和感は消えない。
「ゲホッ! ゲホッ!」
春川先輩に視線を移すと、彼女は先ほどと変わらない微笑みを浮かべいた。
「あれ〜? ごめんね? 塩ひと瓶は、ちょっぴりしょっぱすぎたかな?」
ワントーン高い声音で、すっとぼけたことを言う。
故意だ。
塩辛すぎる卵焼きを僕に食べさせるために、全部仕組まれていたんだ。
「な、なんで……ケホッ! こんなこと……」
春川先輩の顔から、スッと笑みが消えた。
「クソ童貞くんが、猫目の前から消えてくれるかと思って」
すべて察した。
僕の下駄箱や机に気味の悪いルーズリーフを入れて、嫌がらせをしていたのは、猫目先輩に好意を寄せている男子生徒の仕業なんかじゃなくて。
春川先輩だったんだ。
「僕が猫目先輩に近づいているんじゃなくて、猫目先輩が……」
「どっちでも変わんないよ」
事情を説明しようとしても、遮断されてしまう。
「猫目を拒絶しないのは、あんたでしょ」
「それは……!」
あんな人を、どうしたら拒絶できるって言うんだ。
あんな……ギリギリのところでなんとか踏み止まって生きている人を。
「あんたに猫目は幸せにできない」
春川先輩は、冷たい目をして言った。
正面から、根っこから。それを否定されたことに、僕はショックを受けた。
同時に言い返したい気持ちがふつふつとわいてくる。
どうして、僕と猫目先輩の間になにがあったのかも知らないこの人に、決めつけられなきゃいけないんだ。
「……僕にだって、やれることがあるはずです」
「ないよ」
ピシャリ。
「あんたには、なにもできない」
春川先輩は、考える素振りすら見せずに、一蹴する。
──「あんたには、もう期待しないわ」
小学六年生のときに言われた母の言葉が、脳内で響いた気がした。
自分を否定されるのは、もう、うんざりなんだよ。
自分が使えないなんて、僕が一番わかってる。
それでも、誰かに必要とされたっていいだろ……!?
ぎゅう、と拳を握りしめる。
爪が、手のひらに食い込んだ。
「猫目にはもう近づくな。猫目を幸せにできる人間なんていないんだから」
そう言って、春川先輩は広げたお弁当箱を全て片付けて、屋上を後にした。
「あっ、こんなところにいた! 探したよ、ご主人様〜!」
「猫目先輩……」
「さっき春川とすれ違ったけど、何話してたの?」
「……内緒です」
「え〜?」
昼ごはんは済ませたらしい猫目先輩は、僕の隣に腰を下ろす。
よく見たら、スクールバッグを持っていた。
「バッグなんて持ってきてどうしたんですか?」
僕の問いかけに「よくぞ聞いてくれた!」と言って、猫目先輩はバッグの中を探り始めた。
「これ! 秋本くんに渡そうと思って!」
猫目先輩が取り出したのは、半透明の薄ピンク色のラッピングに包まれた手作りクッキー。
美味しそうだ。
これを、秋本が食べるのか。
……いいなぁ。
「秋本って、休み時間はギリギリまでサッカーやってて、チャイムなってから戻ってくるんで、猫目先輩がクラスに戻れなくなるかもしれませんよ」
「えっ、そうなの!?」
「……よかったら僕が渡しておきましょうか?」
僕の提案に猫目先輩は目を輝かせた。
「いいの!? 助かる〜!」
クッキーを僕に手渡してくる猫目先輩。
僕はそのクッキーがボロボロにならないように、そっとポケットにしまった。
「ありがとう、本当に頼れるご主人様だよ!」
猫目先輩の言葉に、口角が上がる。
……ほら、僕は猫目先輩に『頼られている』。
決して、何もできない、なんてことはない。
猫目先輩を教室に送り届けてから、自分の教室に戻る。
予想通り、まだ秋本はサッカーから戻ってきていなかった。
僕は席に着いて、ポケットから猫目先輩のクッキーを取り出す。
猫目先輩は別れ際に「感想聞いておいてね!」と念を押してきた。
半透明のラッピングから透けて見える中身は、狐色と焦茶色の複数個の丸いクッキー。プレーン味とチョコレート味だろうか。
これ、猫目先輩が作ったのか。
彼女の愛情がたっぷり入っているクッキー。
……僕も欲しいなぁ。
ほとんど無意識だったと思う。
僕は、そのラッピングを開封した。
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