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6 好きな人の好きな人

 昼休み後、五限目の授業は自習だった。


 期末テストが近づいていることもあり、各々、勉強したい教科の教材を机に広げて取り組み始める。

 中には、仲がいい者同士で席をくっつけるやつもいる。教科書やノートの貸し借りがあるのだ。


 自ずと人が集まってくる秋本の背中を見つめる。

 自習を宣言されて五分も経っていないのに、彼の席には三人ほどの男女が集まっていた。


 さすがクラスの人気者。


 清潔感のある短髪。帰宅部なのに、筋肉も程よくついているし、身長も百七十後半はあるだろう。

 コミュ力が高くて、男子とも女子とも、明るいタイプとも静かなタイプとも、分け隔てなく接している。

 顔もいいし、性格もいい。

 少なくとも、このクラスに秋本を嫌っている人間はいない。


 難点と言えば、バイト三昧で付き合いが悪いことと、ほとんどの授業を寝ていることくらいだろうか。とはいえ、それも人それぞれの高校生活の形だと思う。


 完璧美少女が恋をする相手は、完璧イケメン男子だったというわけだ。


 ……羨ましいなぁ。


 僕が秋本だったら、母さんからも愛されて、期待されて、猫目先輩にも……。

 不意に秋本が振り向いて、バチッと目が合った。


 やば、見てるのバレた。


 気まずくなって目を逸らす前に、秋本は笑顔で俺の名前を呼んだ。席から立ち上がって、こちらにやってくる。


「なぁ、昨日の世界史のプリント持ってるって聞いたんだけど、答え写させてくれないか? 俺、授業中、寝ちゃっててさ」

「え? あ、あぁ……世界史、ね。うん、いいよ。ちょっと待ってて」

「おう」


 僕はロッカーに向かった。

 中に入っていた世界史のノートを取り出し、挟んでいたプリントを取り出す。


 ……もしかして、今、秋本の好きな人を聞き出すチャンスなんじゃないか?


「はい、これ」

「サンキュ! すぐ返すから!」

「あ、まって、秋本」


 受け取ってすぐ自席に戻ろうとする秋本を呼び止める。不思議な顔をして立ち止まる秋本を手招きして、耳打ちした。


「友達がさ、秋本のこと気になってて……。秋本に彼女がいるか、聞いてこいって言われたんだけど……」


 嘘は言っていない。

 友達じゃなくて、先輩ってだけだ。


「あ〜……」

 秋本は困った風に、頬をポリポリと掻いた。


「彼女はいないけど、好きな人はいるって、その子に言っといてよ」


 苦笑すら、爽やかな男だった。


 ──好きな人?


「え? だ、だれ? 猫目先輩?」

 反射的に訊いてしまった。

 図星だろうと思う僕とは裏腹に、秋本は心底訳がわからないという顔をした。


「なんで猫目さん?」

「え、いや、だって、知り合いみたいだったから……」

「知り合いは知り合いだけど、本当にただの知り合いだって。あぁ、そっか、お前は猫目さんと仲が良いんだっけ?」


 仲が良いと一言で片付けることができるほど、長い付き合いはできていないけれど。


「じゃあ知ってるか? 猫目さんの親友の、春川さんって三年生の女子」


 春川先輩。

 この前、猫目先輩と一緒にいた綺麗系の先輩だ。

 握手を交わした春川先輩を思い出しながら頷くと、秋本は照れ臭そうに笑った。


「俺、春川さんのことが好きなんだ」


 ……え。

 ……春川先輩が好き?


 猫目先輩が好きな秋本は、猫目先輩の親友である春川先輩が好き?

 それは、あまりにも、不憫な話じゃないか。


「あ、秋本は」

 なんとか声を絞り出す。

「うん?」

「春川先輩とも、知り合いなんだ?」

「あぁ、うん。前、バイト先が一緒だったんだ。春川さんはもう辞めちゃったけど。そのとき、家の悩みとかいろいろ聞いてくれて……。それだけなのに、好きになっちゃったんだよな」


 当時の記憶を思い出すように懐かしむ秋本。


「ね、猫目先輩は……」

「猫目さんは、夜、買い物帰りに公園に一人でいたから、話しかけたのがきっかけ。猫目さんも大変そうだったから、お互い頑張ろう、みたいな話をした気がする」


 気がする。


 その程度。


 おそらく、春川先輩との出会いは事細かに語れるであろう秋本は、猫目先輩との思い出はぼんやりとしか話せない。

 秋本の中での、二人の差をまざまざと見せつけられているようで、僕の心が痛くなった。


 黙ってしまった僕に、会話が終わったのだと察した秋本は、

「じゃ、これ借りていくな」

 と、世界史のプリントを持って、長袖の制服を翻しながら席へ戻っていった。


 僕は脱力して、自分の椅子に座る。


 ──秋本は、猫目先輩の親友が好き。


 猫目先輩の恋は、叶わない。


 僕はその事実を、猫目先輩に伝えなければならなかった。



 昼休み、もはや恒例のように猫目先輩と屋上で昼ごはんを食べていた。

 猫目先輩は、自身の手よりも二回りくらい大きなアンパンに齧り付く。


「このアンパンね、めっちゃおっきいの」

 顔の小さい猫目先輩がアンパンを顔の横に持ってくると、同じくらいの大きさだった。


 きっとアンパンが大きいんだろうけれど、猫目先輩の小顔が殊更に強調される。

 アンパンを見せびらかして笑う猫目先輩は、やっぱり可愛い。


 こんなに可愛い猫目先輩に想いを寄せられている秋本は、春川先輩のことが好き

 猫目先輩よりも春川先輩を選ぶなんて。


「見る目がないなぁ……」

「え? なにか言った?」


 口に出ていた。

「……なんでもないです」

 適当に取り繕うと、猫目先輩は「ふーん」と言って、アンパンを口元に持っていく。


 口を開いたときに、彼女のチャームポイントの一つである八重歯がチラリと見える。

 猫目先輩のチャームポイントなど、数えきれないほどあるのは大前提として。

 はむっという効果音が聞こえそうな齧り付き方をして、ほっぺがぱんぱんになってから、猫目先輩はようやくアンパンから口を離した。

 自分の口の小ささを自覚していないのか、と疑いたくなるくらい大きな一口だった。いや、僕からすれば、それでも小さいんだけれど。


 案の定、彼女の両頬は、胡桃を詰め込んだリスのようになっている。

 頬袋がないはずの猫目先輩は、苦しそうにするでもなく、もきゅもきゅとアンパンを咀嚼していく。


 普段お喋りな彼女も、口いっぱいに食べ物が入ってしまえば静かになる。

 しばらく沈黙が続いた。


 丸々としていた頬がだんだんと萎んでいき、数回、喉が上下する。それすらも、なぜか見惚れてしまう。


 そうやって、本人にとっての大口で食べていても、手に残っているアンパンはなかなか減らない。

 少食なのも頷ける。

 昼休み中に食べ切れるのだろうか。


 最初の一口をすべて飲み込んだのか、猫目先輩はまた小さな口を精一杯開けて、アンパンにかぶりつく。


 ──可愛いなぁ……。


 付き合うなら、絶対に、春川先輩より猫目先輩のほうがいい。

「猫目先輩」

「ん?」


「僕、猫目先輩の恋を応援します」


「え……? いいの……?」

 唐突な僕の決意表明に、猫目先輩は目をぱちくりさせた。


「はい」

「ふふ。ありがとう」

 ふわりと、花のように猫目先輩が微笑む。


 泣き顔も見たけれど、やっぱり、猫目先輩は笑顔が一番可愛い。

 彼女の恋が成就するよう、僕は全力を尽くそう。


「…………」


 麦茶を飲みながら、食事を再開する猫目先輩を横目で見る。


 ──仮に、もし仮に。

 猫目先輩の恋が成就しなければ、ずっとそれを応援していた僕に心が揺れる可能性が、一ミリでも発生するのだろうか。


 猫目先輩の恋を応援すれば、失恋したときに、もっとも存在が大きくなる男は、僕なんじゃないだろうか。

 秋本じゃなくて、僕にだって、猫目先輩を幸せにできる機会が巡ってくるかもしれない。

 そんな気持ちの悪い考えが、ふと頭をよぎった。


「秋本、彼女いないらしいですよ」

「えっ!?」


 アンパンを吹き出しそうになるのを、手で押さえて、猫目先輩は目を見開いた。

「聞いてきてくれたの!? はや!?」

「はい、自習の時間に、ちょろっと」

「彼女いないんだー……」

 ほっと胸を撫で下ろす猫目先輩。


 それから、次が本題とでも言いたげに、上目遣いで僕を見た。

「好きな人はいるか、聞けた……?」

 僕は回答に詰まった。


 秋本の好きな人……。


 ──「俺、春川さんのことが好きなんだ」


 言っていいのだろうか、真実を。

 猫目先輩は絶対に傷つく。

 僕は、僕の女神様にそんな顔をしてほしくない。

 しかも、今後猫目先輩と春川先輩の関係だって、ギクシャクしてしまうかもしれない。

 親友との仲まで影響してしまうんだ、僕がなんと答えるかで。


「秋本は……」


 猫目先輩は不安と期待が入り混じった瞳で僕を見つめている。

 僕はしばらく考えて、ふぅ、と一息吐いてから、言った。


「今、好きな人はいないって言ってました」


 嘘をついた。

 ……僕のバカ。


 途端に彼女の瞳が輝きを増す。


「じゃあ、わたしにもチャンスがあるってことだね! がんばろー!」


 猫目先輩は拳を高く突き上げた。

 そして、僕に満面の笑みを向け、右手を差し出す。


「ありがとう、ご主人様。これからもよろしくね!」

「はい」


 握手を求めてくる小さな手を、僕はそっと握り返して、微笑んだ。

 猫目先輩が僕を頼ってくれている。

 中学受験に失敗して、高校受験も補欠合格で──母さんに失望された、こんな僕を。


 きっといつか、猫目先輩が真実を知る時が来るだろう。


 それまでは、この恋を応援していたい。

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