4 期待と脅迫
「どこまでついてくる気ですか、猫目先輩!」
「え?」
男子トイレのドアを開ける直前まで、猫目先輩はついてきた。
僕が止めなければ、中まで入ってきそうな勢いだ。
「男子トイレにまでついてこないでください!」
「ダメなの〜?」
「ダメです! せめてここで待っててください!」
猫目先輩が入り込めないように、僕は素早くトイレに入ってドアをバタンと閉めた。
ようやく一人になれた僕は、個室の中で、便器に腰を下ろす。
──「誰にも愛されないんだもん……」
夜の駅のホームで自殺しようとした猫目先輩は、誰にも愛されないと泣いていた。
猫目先輩の同級生の愛は、彼女にとって、愛とは呼べないらしい。
学校中の男子から愛されているはずの猫目先輩が、僕にだけ『ご主人様』を求めてきてくれている。
「期待、してくれているのかな……」
そう思ったら、たとえ学校中の男子生徒を敵に回しても頑張れる気がした。
中学受験に失敗し、高校受験も補欠合格だった僕に、なにかを期待をする親など、どこにもいないのだから。
期待してくれる猫目先輩のために、僕は『ご主人様』を演じ続けよう。
彼女がこの遊びに飽きるくらい、元気になるまで。
僕の女神様なんだから。
しっかり用を足した僕は手を洗って、トイレから出た。
「お待たせしまし……」
トイレのドア横で律儀に僕を待っているはずの女子生徒は、二人に増えていた。
猫目先輩のお友達かな?
ロングヘアーでタレ目の優しそうな、綺麗系の美少女が、猫目先輩と親しげに話していた。
「猫目〜。この一年生を待ってたの〜? どういう関係〜?」
お友達が、僕と猫目先輩を交互に見やる。
「わたしのご主人様になってもらったの! ね!」
猫目先輩は笑顔で僕に同意を求めた。
これ、同意していいやつなのかな?
「猫目のご主人様なら私がなったのに〜。ちゃんとお世話するよ〜?」
と、綺麗系のお友達は猫目先輩に抱きついた。
「あはは、春川は親友じゃん!」
「え〜? 私はあのときから、親友以上の仲だと思ってるのにな〜」
おでこをコツンと合わせて、笑い合う二人。
女の子同士の距離の近さに、無関係である僕がドキマギしてしまう。
「猫目のご主人様かぁ〜。私も興味あるな〜、一年生くん?」
お友達が、猫目先輩から離れて、僕に向き直った。
そして、右手を差し出される。
「私は春川。今度、私とも、お昼休みにご飯しようよ」
「あ、はい、ぜひ」
僕はその右手を握った。
ただの握手だというのに、その小さくて柔らかい手の感触に、僕の心臓が少しだけ速まった。
「え〜! わたしのご主人様取らないでよ〜!」
「いいじゃ〜ん、少しだけ〜」
猫目先輩が僕の左腕を取り、春川先輩が右腕を取る。
え? え?
二人の美少女から左右に引っ張られる状況に、理解が追いつかない。
「明日も、わたしとご飯食べるんだからね、ご主人様!」
と、猫目先輩。
「じゃあ、明後日は私とご飯しよっか、一年生くん?」
と、春川先輩。
「だめ! 明日も明後日も、ご主人様はわたしと昼休み過ごすの!」
猫目先輩がいっそう強く、僕の左腕を抱きしめた。
ささやかな胸の膨らみが、僕の二の腕に当たる。
──ニヤけちゃ、だめだ……!
猫目先輩は、そういう意味で僕を見ていないんだから!
周りの生徒達から羨望の眼差しを受けつつ、僕は必死で頬を引き締めた。
翌朝、猫目先輩を三年生の教室に送り届けたあと、僕は男子トイレの個室にこもっていた。
僕の靴箱に、一通の手紙が入っていたのだ。
手紙、と呼ぶのもお粗末な、四つ折りされたルーズリーフだった。
猫目先輩に気づかれる前に、手紙をズボンのポケットにしまった。我ながらファインプレーだったと思う。
トイレの個室の中で、ようやくその手紙を開く。
なんだか嫌な予感がした。
──『猫目ナツに近づくな』
靴箱に入っていた手紙は、決してラブレターなんかではなく、むしろ脅迫状だった。
筆ペンで雑に書かれた文字は、明らかに僕が猫目先輩と一緒にいることを憎たらしく感じている人間によるもので。
きっと僕に嫉妬している猫目先輩ファンの男子からだろう。
こういう誤解も、僕は受け入れると決めたんだ。
僕は手紙を再びポケットにしまって、男子トイレからクラスへと向かう。
……捨てちゃっていいよな。
教室に入ってすぐにあるゴミ箱に、手紙だったものを投げ入れて席に着いた。
「……ん?」
置き勉をしていない空っぽのはずの机の中に、なにかが入っていた。
掴み出してみると、また、一枚のルーズリーフ。
四つ折りを開けば、同じ文字列が並んでいた。
『猫目ナツに近づくな』
靴箱に、机の中。
他の場所にも同じような脅迫文が入っていたとしても、もはや不思議ではない。
嫌がらせが始まった、と理解するのに時間は掛からなかった。
犯人を突き止めようとするだけ、時間の無駄だろう。
仮に犯人を突き止め、嫌がらせを止めさせたとて、今度は別の男子からの嫌がらせが始まるだけだ。
一番に浮かぶ人物は、やはり、先日僕を殴ろうとしてきた坊主頭の先輩。
猫目先輩によって、完膚なきまでにその恋心を打ち砕かれた彼が、僕を恨んでいてもおかしくはない。
……ここまで、考えてみたけれど、結局、証拠がないんだから、言いがかりに等しい。
幸い、脅迫状は警告だけで、なにか危害を加えるなどとは宣言されていない。
ただ気味の悪い手紙が送られてくるだけ。
それだけでも、なかなかのストレスなのだけれど、僕が我慢すればいい話だ。
自殺を選択肢の一つに入れて、さらには実行してしまう猫目先輩に、自分のせいで僕が嫌がらせを受けているなんて、余計な気苦労をかけたくない。
理由を告げずに彼女を拒絶するのも無理だ。
傷つけることには変わりない。
そう、僕が我慢すればいい話。
簡単な話だ。
「ご主人様〜! お昼食べよー!」
昼休みのチャイムに乗って、猫目先輩は僕のクラスにやってきた。
すでに購買に寄ってきたのか、パンが入っているであろうビニール袋片手に、元気よく手をぶんぶん振る猫目先輩。
そんな彼女へ一斉にクラスメイトの視線が集まってから、その視線は、猫目先輩が呼ぶ僕へと移動する。
「猫目先輩、今日は屋上で食べましょうか」
「えぇ〜? ここがいいなぁ」
「ここは注目が集まりすぎて、ちょっと」
クラス中の好奇の目に晒されながら、僕は猫目先輩を教室の外に追い出した。
「わり、ちょっとロッカーに財布入れてくるわ!」
少し遠くから、知っている大きめの明るい声がした。
昼休みサッカー組の背中が見える。チャイムと同時に廊下へ飛び出し、校庭に急いで向かう途中のようだ。
そのうちの一人、秋本が教室に戻ってきていた。
これから運動するというのに、彼は相変わらず長袖のワイシャツで、腕まくりもしない。
「あ、猫目先輩、ちわっす!」
「秋本くん、こんにちは〜。お昼、食べないの?」
「早弁しました! 俺はこれからサッカー行きます!」
にかっと白い歯を輝かせて、秋本は教室に入っていく。
「それじゃあ!」
秋本はロッカーを開けて財布を放り投げると、先を歩く仲間たちを追いかけていった。
一度振り返って、僕と猫目先輩に手を振るのも忘れない。
爽やかなやつだ。
クラスの人気者が小さくなっていくのを見送った後、猫目先輩に視線を移す。
彼女はまだ秋本の後ろ姿を見送っていった。
「……猫目先輩?」
「あ、うん。屋上だっけ? いこっか」
声をかけると、猫目先輩はハッとした表情になった。
なんだろう、秋本に何か用事があったのかな……?
猫目先輩の様子が気掛かりになりながらも、僕たちは屋上へと足先を向けた。
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