3 女神様
教室に入ってきた秋本が、猫目先輩と目を合わせて、声を上げた。
「おはようございまーす! なんでうちのクラスに?」
秋本は、クラスの中心で人気者、さらにはイケメンの男子生徒だ。彼を嫌いなクラスメイトはいないと断言できるくらい、良いやつだ。
夏にも関わらず長袖を着ている手を、こちらに振ってくる。
「あ、秋本くん」
猫目先輩は、慌てたように、椅子から立ち上がった。そそくさとスカートをはたいて、整える。
時計を見れば、遅刻ギリギリ。
「猫目先輩! そろそろ教室戻らないと、遅刻しますよ!」
「えぇ〜? しょうがないな〜」
教室の出入り口まで、スクールバッグを肩にかけた猫目先輩の背中を押す。
「じゃあ、また来るね。ご主人様?」
ウインク一つ。
彼女は嵐のようにやって来て、可愛らしく去って行ったのだった。
次は会えるのは、明日かな。
早く、猫目先輩の心が元に戻りますように。
そんなことを思いながら、僕はチャイムの音を聞いていた。
そして昼休み。
『また来るね』の宣言通り、彼女は昼休みになるや否や、僕のクラスまでやってきた。
お昼ご飯のお誘いに、僕は承諾して教室を出て、今、僕と猫目先輩は、購買でご飯を物色していた。
「それだけでいいんですか?」
「うん。あんまり、食に興味がなくて」
購買でパンを買うと言った猫目先輩が手に取ったのは、チョココロネ一つ。
栄養もなければ、量もない。
小柄で痩せ気味とはいえ限度が……。
「……僕の弁当、少し食べますか?」
「え〜? いいの〜?」
あんまり嬉しくなさそうだった。
食に興味がない、と言っているのに食事を勧めるのは、筋違いかもしれない。
本当にただ食欲がないのだとしたら、ありがた迷惑もいいところだ。
「……すみません」
「え? なにが?」
僕の謝罪がなんのことか伝わらなかったみたいだ。言い直す必要もない。
チョココロネを持った猫目先輩と僕は、ラウンジの一席を陣取った。
購買の横はラウンジになっている、というより、ラウンジの端に購買が設置されている、といったほうが正しい。
購買もたいそうなものではなく、駅のホームによくある売店と大差ない。
昼休みになれば、弁当を持たない生徒が大挙して押し寄せるので、午前授業間の休み時間に買っておかなければ、大した食べ物が手に入らないのが欠点だ。
我が校に食堂というものはなく、代わりに、長机と椅子がたくさん並べられた、ラウンジと呼ばれる広い自由なスペースがある。
ラウンジの用途は特に決められていない。
ご飯を食べる者、勉強をする者、時間を潰す者と、さまざまな過ごし方をする生徒がいる。
「いただきま〜す!」
「……いただきます」
猫目先輩が小さな口を開けて、チョココロネを頬張る。
それを見ながら、僕は自分で弁当にぶち込んだ冷凍食品を口に運ぶ。
チョココロネをお尻からかぶりついた猫目先輩は、「ん〜」と美味しそうに、頬を手で押さえる。
「チョココロネはいつ食べても美味しいよね〜。わたし、今川焼きもたい焼きも、中身はチョコ派〜」
「チョコ、美味しいですもんね」
チョコレートとは程遠い味のする唐揚げを食べながら、僕は話を合わせた。
猫目先輩は、チョコが好きなんだ。
「先輩、チョコがついてますよ?」
「ん!」
猫目先輩が無言で顔を突き出してくる。
これも『ご主人様』の役目かな。
僕はティッシュをポケットから取り出し、猫目先輩の口元を拭う。
も、もちもちだ……!
ティッシュ越しでもわかるもちもちほっぺに、永遠に触っていたい衝動に駆られる。
「まだ〜?」
「も、もうちょっとです」
猫目先輩のもちもちを堪能していると、
「おい、猫目」
男の声が、馴れ馴れしく猫目先輩を呼んだ。
僕らは声の主へと、顔を向ける。
知らない人だ。
しかもかなりでかい。
太眉の坊主頭。程よく筋肉のついた肉体。
野球部の先輩かな?
「なに?」
猫目先輩を名字で呼び捨てし、それに対して猫目先輩もタメ語で返す。
猫目先輩の知り合いの三年生のようだ。
「そいつ、誰だよ」
両手はポケットに突っ込んだまま、坊主頭の先輩は、くい、と顎で僕を示した。
なんか、怖い人だな……。
僕が彼の威圧感に怯えているのを、知ってかしらずか、
「わたしのご主人様にゃん〜」
ご丁寧にも、グーにした両手を頭に当てて、猫耳を表現しながら言い放った。
「なっ……!?」
案の定、坊主頭の先輩は顔を歪めた。
僕を睨みつけて怒鳴る。
「なんでこんなナヨナヨしたやつと! どういう関係だよ、ご主人様って! 俺のほうがお前にふさわしいだろ!」
彼の怒鳴り声に、ラウンジにいた生徒達の視線が集中した。
「なんでお前みてぇなやつが、猫目と一緒にいんだよ!」
「うわっ」
坊主頭の先輩は、僕の胸ぐらをつかみ上げた。
椅子に座っていた僕は、片腕だけでなんなく立たされてしまう。
彼と視線が混ざる。
太眉を中央に寄せ、血走った両目は、どこか泣き出しそうだった。
力強そうな拳が振り上げられる。
──殴られる……!
反射的に、目をギュッと瞑った。
「しーっ……」
猫目先輩の小さな声が、ラウンジに響いた。
おかしな話だ。小さい声なのに、広いラウンジに響くなんて。
それくらい、彼女の声には存在感があった。
ゆっくりと目を開けて、猫目先輩を見ると、人差し指を唇に当てていた。
わずかに伏せられ、長いまつ毛がかぶさった瞳は、瞳孔が閉じていて。
まるで、猫のようだった。
彼女から発せられるオーラに、僕を殴ろうとした坊主頭の先輩の手から、力が抜けていく。
猫目先輩は立ち上がって、三年生に近づいた。
背伸びをして、鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離で、囁く。
「わたし、言ったよね? あなたのものには、なれないって」
「…………」
「しつこい人は、嫌いなの」
背伸びをしていた彼女は、踵を床につけた。
そして、にこりと笑う。
その笑顔は、可憐で、儚くて。
──女神かと思った。
「消えて」
美しい雰囲気とは、真反対の、死刑宣告。
坊主頭の先輩は、しばらくポカンとしていた。
しかし、彼女に言われた意味がわかると、
「……っくそ!」
盛大に舌打ちをしてどこかへ去って行った。
僕はそれをぽかんと口を開けて見送ることしかできない。
僕を守ってくれた。
誰からにも期待されない、こんな僕を。
猫目先輩は、僕の女神様なんだ。
「ごめんね、ご主人様。怖かったよね」
「いえ……」
僕に振り向いた猫目先輩は、僕の知っている猫目先輩に戻っていた。
「あの人ね、一ヶ月前くらいに告白されたんだけど、断ったの。でもまだ諦めてないみたいで……。巻き込んじゃってごめんね」
「そ、そうなんですね……」
氷山の一角だろうな、きっと。
他にもいるんじゃないだろうか、あの人のように、猫目先輩に想いを寄せて破れたものの、諦めがつかない男子生徒は。
そんな中、ぽっと出の僕がご主人様と呼ばれ、彼女の近くを陣取っているんだから、僕をよく思わない男子は、数えきれないほど存在していてもおかしくない。
ぶるり、と寒気がする。
学校中の男子からボコボコにされる未来を想像してしまった。
「ぼ、僕、ちょっと、トイレに行ってきますね」
「わかった〜」
猫目先輩に断りを入れて、僕は男子トイレに向かった。
向かったのだが。
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