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27 星空の約束

「え……」


 僕にスマホの画面を向ける。

 おびただしい量の不在着信は、全部『パパ』と表示されている。


「きっと、仕事終わりのお父さんが、家に帰ってきたんだ」


 猫目母の死体が見つかった。

 猫目父は、きっともう警察にも救急にも連絡したのだろう。

 そして、猫目先輩に電話をかけてきたんだ。


「……どうしよう」

「……ヒイラギ」

 猫目先輩は手を伸ばして、テーブルの上にある僕の手を握る。


「わたしに、考えがあるの」

「考え……? 家出るときに言ってたやつですか……?」

「うん」


 息を吸い込む。

 猫目先輩の手を、強く握った。


「わたしが、自首する」


「ダメです!!」

 大きな声を出して、立ち上がる僕に、カフェにいる人達が注目した。


 しーっ、と人差し指を唇に当てるジェスチャーを猫目先輩にされて、僕は「すみません……」と言いながら座り直した。


「本当にダメですよ? それなら、僕が自首します」

 ヒソヒソと提案したが、猫目先輩の表情は険しいものだった。


「いいの。わたしが犯人で筋が通るから、ヒイラギは口裏を合わせて」

「そうかもしれませんが……! そんなの許されるわけ……!」

 僕の両目に、涙が溜まっていく。


「わたしが、ヒイラギの全部を許すよ」


「……っ!」

 僕は息をのむ。

 かつての夜、駅のホームで猫目先輩は、僕に懇願した。


 ──「わたしを愛して! お世話して! 大切にして──わたしの全部を許してよ!!」


 猫目先輩を愛した。お世話もした。

 でも、最後だけは叶えられなかった。

 許しを乞うのは、僕のほうだった。


「包丁の指紋は、ヒイラギがシャワーを浴びている間に拭いて、わたしの指紋を付けてきたの。できる限りの準備は出かける前に整えたよ」


 僕だって、駆け落ちは、一瞬の夢だとわかっていた。

 でも、猫目先輩は先まで考えて……!


「わたしの家庭問題に、ヒイラギを巻き込むのは嫌だから」

「でも……!」

「ヒイラギ」


 引き下がらない僕に、猫目先輩は僕の名前を強く呼んだ。

 それだけ、それだけなのに。

 これ以上、何も踏み込めない圧を感じた。


「……っ」


 猫目先輩の真剣な瞳が僕を捉えている。

 僕は顔を伏せた。


 ……猫目先輩を幸せにしたかっただけなのに。

 どうして、こうもうまくいかないんだろう。


「……じゃあ、一つだけ、お願いしてもいい?」


 猫目先輩の優しい声色に、僕は恐る恐る頭を上げる。


「……なんでしょう?」

 鼻を啜りながら、僕は尋ねる。


「わたしが少年院から出てくるまで、わたしのことを待っていてよ」

「そんなの、当たり前じゃないですか……!」


 猫目先輩が全部言い終わる前に、僕は答えた。

 涙と鼻水でびしゃびしゃになった顔のまま、約束する。

 いくらでも待つ。

 僕の罪を代わりに背負いたいという彼女を。


「じゃあ、指切り」

「はい……」


 小指を絡ませて、僕達はゆびきりげんまんをした。

「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたら、はーりせーんぼーん、のーます」

 猫目先輩の歌声は、涙で彩られていた。



 僕たちは、猫目先輩の家に帰ることにした。

 渋谷から出発して、乗り換え駅で電車を待つ。


 夜空の下で、駅のホームに猫目先輩と手を繋いで並ぶ。

 猫目先輩と出会った当初と同じ状況で、懐かしい気持ちが湧き上がってくる。


「なんだか、会ったばかりのときを思い出すね」

 猫目先輩が笑う。


「……僕も、同じことを考えていました」

「あのときは、まさかこうなるなんて思わなかったなぁ」

 恋人繋ぎをしている手を持ち上げて、猫目先輩はしみじみと言った。


「……猫目先輩、秋本のこと好きでしたもんね」

「……うん。自分でも、馬鹿な恋してたなぁ、って今なら思うよ。きっとね、彼と恋人になれば、自分も彼みたいに、頑張れるんじゃないかって、勘違いしてたんだと思う」


 猫目先輩は、もう十分頑張っているというのに。


「でも、もういいんだ、ヒイラギがいるから」

 肩を寄せてくる猫目先輩。

 ほのかな温もりが、肩を通して伝わってくる。


「屋上で撮影会したのも、楽しかったね」

「はい。僕、実はこっそり壁紙に設定しちゃいました」


 スマホを取り出して、ロックを解除する。

 アプリが並ぶ後ろに、僕と猫目先輩のツーショット。

 猫目先輩は目を細めた。


「嬉しい。わたしは三人で撮ったプリクラ、ずっとお財布に入れてるよ。なんだか、お守りみたい」


 お守り、か……。

 僕も春川先輩も、猫目先輩に幸せになってほしいと思う気持ちは、きっと同じだ。


「そうですね。猫目先輩になにかあったら、僕と春川先輩が助けに行きますよ」


 猫目先輩が逮捕されたって、その気持ちは変わらない。


「…そっか。ありがとう……」

 嬉しそうで、どこか悲しそうな雰囲気を纏う猫目先輩。


『急行列車が通過します。ご注意ください』


「……ねぇ、ヒイラギ」

 猫目先輩の声が、駅のアナウンスにかき消されそうになる。

 僕は、猫目先輩の口元に耳を寄せた。


「わたし、ヒイラギのことが好き」


 猫目先輩からの告白に、囁かれた耳と胸が熱くなる。

「……はい。僕も、大好きです」

「うん、ありがとう」


 猫目先輩は微笑んだ。

 やっぱり、女神みたいだった。


「だから、わたし、ヒイラギを縛るようなことはしたくないの」


「え……?」

 猫目先輩は僕の正面に回って、僕を抱きしめた。

 強く、強く。


「ごめんね、死にたくなっちゃった」


『急行列車が通過します。ご注意ください』


 そして──離れた。


「バイバイ、シュウ


 猫目先輩は、笑みを浮かべたまま、背中から線路に飛び込んだ。

 あだ名ではない、僕の名前を呼んで。


『急行列車が通過します。ご注意ください』


 猫目先輩の鮮血が舞い散る。


 星空だけが、こんな僕らを照らしていた。

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