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23 説得

 僕と猫目先輩は、猫目家に訪れた。

 玄関のドアノブを握る猫目先輩の手が、震えている。


「……大丈夫ですよ」

 その小さな手に、僕の手を重ねた。

 猫目先輩の震えが止まる。

「……うん」

 意を決した猫目先輩が、玄関扉を開けて、僕を自宅に招き入れてくれる。


 ただいま、と彼女は言わない。我が家と同じだ。

 帰宅を伝えたこと自体が、母のヒステリーの琴線に触れかねないのだ。なにがきっかけになるか、こちらでは予想できない。

 だから、できるだけ刺激するようなことはしないように努める。


 靴を脱ぎ、上がらせてもらう。「お邪魔します」と僕は小さく呟いた。

 猫目先輩が廊下を直進し、突き当たりのガラス窓がついているドアを開ける。


 ドアの先は、ダイニングキッチンだった。

 ダイニングテーブルに四つの椅子が並べられている。


 その向こう側、キッチンに、背を向けて料理をしている猫目母の姿があった。

 とん、とん、と包丁がにんじんを切る音がやけに大きく感じられた。


「……ただい」

「帰ってくるなって言ったでしょ」


 猫目先輩の「ただいま」に被せて、猫目母がこちらを見向きもせずに言った。

 言葉の冷たさ、強さに、猫目先輩が震える。


 そのか細い肩を引き寄せて、僕は息を吸い込んだ。

「猫目先輩のお母さん……、猫目先輩のことで、お話があるんです」


 僕の声に、ようやく猫目母は包丁から手を離し、こちらに振り向いた。

「……あんた、家にまで入ってきたの。関係ないでしょ、帰って」

 鋭い目つきに、圧に、怖くて負けそうになる。


 猫目先輩の肩に置いていないほうの手で拳を作り、グッと堪えた。

「関係あります。猫目先輩は病気なんです、話を聞いてください」

「ナツが病気? 適当なこと言わないで。医者でもない、ただの子供になにがわかるの」


 猫目先輩の星空恐怖症のことすら、猫目母は把握していないのか。

 猫目先輩が言い出せなかったのか、言う機会を得られなかったのか。

 そのどっちもだろう。


「僕も過去に罹ったことのある病気なので、わかります。病気を治さないと、猫目先輩は死んでしまうんです。お願いします、話を聞いてください!」

「……ナツが、死ぬ?」

 猫目母は僕から猫目先輩に視線を移動させる。


「そうなの? ナツ?」

「…………うん」

 訊かれた猫目先輩は、頷いた。


「……説明しなさい」


 死ぬという過激なワードチョイスが効いたのか、猫目母はコンロの火を消し、キッチンからダイニングまで移動してきた。


 なんとか話を聞いてもらえるフェーズまで漕ぎ着けられたことに、胸を撫で下ろす。

 僕と猫目先輩と向かい合うように、猫目母は着席した。


「……星空恐怖症、という精神病を知っていますか?」

 慎重に、話を切り出す。

「……名前だけは」

 と、猫目母は言った。僕は簡単に説明する。


「……夜になるにつれて、自殺念慮が強くなる病です。このままでは、猫目先輩は、いつか自ら命を絶ってしまいます。そうしないためには、お母さんの協力が必要なんです」

「私の協力?」


 なんでそこで疑問符が浮かぶんだ。

 娘が病に冒されているのだぞ。

 大事な娘じゃないのか!?


「単刀直入に言います。猫目先輩が病気になってしまった原因は、お母さん、あなたのせいです」

「……はぁ?」

 あからさまに、猫目母の表情が歪んだ。


「ヒイラギ……!」

 猫目先輩が僕の腕を押さえる。

 しかし、溢れ出す感情は止まらない。


「僕も、母がきっかけで星空恐怖症になりました。そのときの僕の状況と、今の猫目先輩の状況はまったく一緒なんです!!」

「……………………」

「お願いします! 猫目先輩を、いじめないでください……!」


 僕は座ったまま、深々と頭を下げた。

 しばらく、沈黙が流れた。


 考えて、くれているのだろうか。

 考え直して、くれているのだろうか。


「……いじめてなんか、いないわよ」


 頭を下げたまま、待っていた言葉は、期待していた返答ではなかった。

 本気で自覚がないのか、理解した上で認めていないのか。

 猫目母を説得する言葉に、さらに、力がこもる。


「いじめています。やめてください。そうでなければ、猫目先輩が死んでしまいます」

「ヒイラギ、もういいから……!」

 猫目先輩が、僕の腕を握って止めようとする。


 でも、ここで引き下がるわけにはいかない……!


「お願いします! 猫目先輩は、もう限界なんです!」

 椅子から立ち上がって、九十度腰を曲げた。

「…………」


 土下座したっていい。


 もう、猫目先輩への暴力をやめてくれ。


 健気な彼女に、僕はただただ、生きていて欲しいんだ……!


「私が悪いって言いたいの? ねえ」

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