21 許された嘘
僕は目を見開いた。
春川先輩と一緒に移動しているところを、なんなら、昇降口からここまで連れていかれるところを見られていたのか。
だが、『デート』と言えるような甘ったるいもんじゃない。
もっと、ドロドロして、ドス黒い関係だ。
「確かに、春川先輩に目的地まで案内してもらいましたが、デートじゃないですよ」
言葉を選んで、濁して、否定する。
ぱっちり二重の猫目先輩の目は、細くなったままだ。
「だって、付き合ってるんでしょ? 春川と」
後悔の波が押し寄せてくるのを感じた。
嘘はつくもんじゃない。
春川先輩のみならず、猫目先輩にまで知られてしまったのか。
誤魔化してしまいたい気持ちが、ふつふつと芽生える。
「それは、誤解で……」
「誤解?」
猫目先輩のつり目が、僕を見据えていた。
彼女の瞳に、誤魔化しが通用するとは到底思えない。
僕は、大きく息を吐いて、白状した。
「……春川先輩と付き合っている、というのは、嘘です」
「……嘘? 誰が嘘ついたの?」
「僕です」
「……ヒイラギが春川のことを好きだから、嘘ついたってこと?」
「違います。春川先輩のことを好きなのは、僕じゃなくて、秋本です」
「え…………」
さすがに、言葉を失っていた。
「そう、だったんだ……」
猫目先輩は、ショックを受けているようだった。
自分の好きな人が、親友を好きだと知ったら、誰だってそうなる。
猫目先輩が傷ついた表情はほんの数秒で、すぐに質問責めを再開した。
「じゃあ、なんでヒイラギは春川と付き合ってるなんて嘘ついたの?」
「……っ」
浅はかな僕の考えを自白するのがとても恥ずかしい。
──「人間関係をパズルみたいだと思ってるんだね」
春川先輩に言われた言葉が蘇る。
浅はかな考えの僕を猫目先輩に知られるのが怖い。
「ヒイラギ」
逃げられない、猫の目。
「……秋本が、春川先輩への恋心を諦めたら、猫目先輩にもチャンスが回ってくるんじゃないかと思って……嘘をつきました」
結果、秋本をいたずらに傷つけただけだった。
「すみません」
ブランコに座ったまま、猫目先輩のほうに首だけ向けて、頭を下げる。
長い沈黙のあと、猫目先輩は口を開いた。
「……わたしのために?」
「……そうです」
「…………」
知られてしまった。
猫目先輩に幸せになってほしい気持ちが、から回っていること。
嘘をついていたこと。
他人を巻き込み、傷つけたこと。
猫目先輩は、こんな僕をどう思うだろうか。
軽蔑した?
嫌いになった?
もう会いたくない?
──もう期待してくれない?
僕は怯えて彼女の返事を待った。
「なーんだ、そんなことだったの」
猫目先輩はあっけらかんと言った。
拍子抜けしてしまう。
「そんなことって……」
「ヒイラギが、春川と付き合ってたり、わたしに嘘ついてたりしたら、嫌だったけど。わたしのためなら、許してあげる」
猫目先輩は、ブランコからピョン、と立ち上がった。
大きく伸びをする。
「あ〜! スッキリした〜!」
天に響きそうな声量だった。
猫目先輩は僕に振り返る。
「じゃあ、また明日ね、ヒイラギ」
公園から出て行こうとする猫目先輩。
僕は慌ててブランコから立ち上がる。
そばに置いていたスクールバッグを肩にかけて、彼女の背中を追いかけた。
「送りますよ」
「いいよ、悪いから」
「でも、すぐ近くなんですよね?」
「うん、だから、一人で帰れる」
「送らせてください」
「うぇ〜……?」
明らかに渋られてしまい、ちょっとだけ心が痛む。
僕に送られるのがよほど嫌なのか。
「お願いします!」
「……じゃあ、近くまでね」
「はい!」
なんとか妥協してもらい、猫目先輩が背負っていたスクールバッグも持って、隣を歩く。
どちらからともなく、自然と手を繋いだ。指が絡み合う。
夕陽が僕らを照らし、二人分の影が長く伸びる。
……幸せだなぁ。
猫目先輩を幸せにするはずが、僕が幸せになってしまっている。
僕にできることがあれば、なんでもしよう。
彼女のためなら、僕の人生だって惜しくはない。
「……この辺で、いいや」
猫目先輩が、足を止めた。
住宅街の真ん中で、どの家が猫目先輩ん家なのか、まったくわからない。
この道沿いにあるのかもしれないし、曲がり角の向こう側なのかもしれない。
本当は、玄関に入るところまで見届けたかった。
だけど、ただでさえ、妥協してもらったのに、一緒にいたい、なんてワガママはこれ以上言えるはずもなく。
「……わかりました」
猫目先輩の指が離れていく。
持っていた彼女のスクールバッグも、猫目先輩に取り上げられた。
「ありがと、ヒイラギ」
ぎゅっ、と。
一瞬、ほんの一瞬だけ。
猫目先輩が僕を抱きしめた。
抱き返す暇もなく、彼女の温もりが離れていく。
「また明日、ね?」
小首をこてん、と傾げる猫目先輩に、僕は頷くことしかできなかった。
夕陽が眩しくてよかった。
きっと、真っ赤になって、みっともない顔面をしていただろうから。
手を振って、猫目先輩が歩いていく後ろ姿を見送る。
彼女は、真っ直ぐ歩いて、すぐに左に曲がってしまった。
僕が向かうべき駅とは、反対方向だった。
……大丈夫かな。
だって、日も沈んできている。
星空恐怖症がいつ発症するかもわからない。
僕は、そっと猫目先輩のあとをつけた。
建物の影に身を潜め、猫目先輩を見守る。
彼女は、一軒の家の前で足を止めていた。
……あそこが、猫目先輩のお家だろうか?
猫目先輩が家に入るのを見届けたら、僕も塾に行こう。
しかし、猫目先輩は、玄関のドアに手を伸ばし、引っ込めた。
え……?
帰らない、のか……?
彼女は、再び、歩き始める。
どこへ向かっているのか、見当もつかない。
見失わないように、距離をあけて彼女を追いかけようとすると、猫目先輩の進行方向から、一人の買い物帰りの女性が歩いてきているのに気がついた。
猫目先輩がその女性と目が合うと、びくりと肩を震わせた。
「お、お母さん……!」
猫目先輩のお母さんか。
じゃあ、安心だ。
お母さんと一緒に家に入るだろう。
僕は踵を返して、駅のほうへ向かおうとした。
だが、猫目母の発した台詞は、予想外のもので。
「あんた、なんでここにいるの?」
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