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20 誰も幸せにできない

 歩きながら、春川先輩は語る。

「秋本は二人兄弟で、下に小さな弟がいるの。すっごく可愛くて、世界で一番大事な弟って笑ってたのを覚えてる」


 秋本と春川先輩がまだ同じバイト先で働いていた頃、二人が仲良くなって知り得たエピソードらしい。


「秋本のお母さんの彼氏が、気に入らないことがあると、秋本達を殴るんだってさ」

「…………」

 なんとなく、察しがついた。


 秋本が毎日バイトをしているのは、家族を養うためだったんだ。

 話からすると、そのバイト代すら、お母さんの彼氏とやらに、奪われていそうだけれど。


 彼が夏前のこの時期でもずっと長袖なのも頷ける。

 たとえ運動して汗をかいても、頑なに長袖を脱がないのは、お母さんの彼氏に振るわれた暴力の痕を隠すため。

 きっとあの逞しそうな両腕は、痛々しいアザだらけなんだろう。


「そこの公園」

 春川先輩が指したのは、小さな公園だった。

 ブランコと鉄棒しかない。

 かろうじて、ベンチとゴミ箱が設置されているだけの、子供達があまり遊び場にしなさそうな公園だ。


「猫目が夜に出歩いていたときに、そこの公園で、コンビニまでパシられてた秋本と出会ったそうよ。こんな時間に外にいるお互いが無視できなくて、少しだけ喋ったんだって。それで、こんな家庭環境でも前向きに、弟を養って独り立ちする、なんて夢を持っている秋本に惹かれたって、猫目は言ってた」


 秋本の家庭環境と、猫目先輩の背負う病気。

 それらが重なって、猫目先輩は秋本に惹かれたんだろうな。

「そう、なんですか……」

 相槌を打つしかできない僕に、春川先輩はやっぱり諦め切ったように笑う。


「分かったでしょ? 秋本には、猫目を幸せにはできない」


 もう僕は、反論する術を持っていなかった。

 秋本に、他人を幸せにする余裕なんてない。

 彼がするべきは、まず、自分の未来と弟の無事の確保だ。


「……秋本にできないなら、僕が猫目先輩を幸せにします!」


 隣を歩く春川先輩に向き直り、僕は高らかに宣言する。

 猫目先輩を幸せにしたいという気持ちは、なに一つ揺るいではいない。

 春川先輩は僕の視線を正面から受け止めて、なお、小さく息を吐いた。


「……あんたには、できないわよ」

 それでも否定する春川先輩に、僕はなにも返せない。

「私にも……できない……」


 言い残して、彼女は帰って行った。


 僕はただ一人、猫目先輩と秋本が出会ったという公園に残される。

 明るかった太陽が、だんだんと西日に変わっていく。


 僕はブランコに、腰を下ろした。ゆらゆら揺れる。

 春川先輩だって、猫目先輩の幸せを願っている。

 でも彼女は女で、猫目先輩が異性愛者だから、諦めているのだ。


 どうしたら、猫目先輩を幸せにできるんだろう。


 猫目先輩の恋が成就すれば、幸せになると思ったのに、秋本にその余裕がなかった。


 じゃあ、もう、僕しかいないじゃないか。


 僕は、猫目先輩のために、どう動いたらいいんだろう。

 猫目先輩の幸せって、なんだろう。

「……星空恐怖症」

 口をついて出ていた。


 彼女の星空恐怖症を治してあげたい。

 治せなくても、支えてあげたい。


 そのために、僕に、なにができるだろう……?


「……ヒイラギ?」


 たった一人にしか呼ばれないあだ名を呼ばれて、僕は顔を上げた。

 学校帰りの装い。いつも通り、長袖の制服に腕を通した猫目先輩が、公園の出入り口で立ち尽くしていた。


「猫目先輩……」

 深夜に秋本と猫目先輩が公園で出会ったということは、二人は近所に住んでいるということになる。

 近所の公園に、いるはずのない後輩がいれば、それは驚くだろう。


「なにしてるの? 家、こっちだっけ?」

 猫目先輩は公園に足を踏み入れ、近づいてくる。

 そうするのが当たり前のように、隣のブランコに腰掛ける。


「……ちょっと、用事があって」

 秋本の家庭環境を視察しに行ったなんて、言えるわけない。

「…………ふーん」

 不服そうに、猫目先輩は目を細めた。


「それって、春川と放課後デートってやつ?」

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