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2 ご主人様の仕事

 猫目先輩の自殺を阻止した翌朝。


「遅〜い!」


 登校した僕を、校門の前で待ち構えていたのは、ホワイトヘアの美少女、猫目先輩だった。


「え、待ち合わせしてましたっけ……?」

「わたし、三十分も待った!」

「すみません……」


 約束した覚えはないが、先輩を待たせてしまった以上、一年生の僕は謝るしかない。


 昨日とは打って変わって元気な様子に、僕はほっと胸を撫で下ろす。

 猫目先輩は、本来は溌剌とした性格の女の子なんだな。

 僕の安心をよそに、猫目先輩は明るく続ける。


「待ってたのは、話があってね!」

 話、と聞いて、僕は背筋を伸ばした。

「昨日の」


 ずっと明るく高いトーンで声を発していた猫目先輩が、急に小声で囁く。


 昨日の夜、猫目先輩は泣き止んだら、すぐに次の電車に乗って帰ってしまって、今後の口裏合わせをできていなかったのだ。


 自殺未遂したなんて、誰が聞いても耳障りのいいエピソードじゃない。

 しかも、学校中に顔と名前が知れ渡っている猫目先輩だ。

 一人に知られるようなことがあれば、あっという間に噂になり、学校に来るのが気まずくなるかもしれない。

 その口止めをするために、わざわざ僕を待っていてくれたんだろう。


 合点がいった僕は頷いて、小声で返す。

「もちろん、先輩が電車に飛び込もうとしたことは誰にも言いませんよ」

 察しのいい後輩のつもりだったが、返ってきたのは、きょとんとした顔だった。


「え? なにそれ? そっちじゃないよ?」

「はい?」


 そっちじゃない?


 こんな重大事項以外に、なにかあったかな?

 クエスチョンマークが頭に浮かぶ僕を見て、猫目先輩はニンマリと笑った。


 ずい、と顔を耳元に寄せてくる。

 ち、近い……!

 その整った顔立ちと、リップで保湿された唇に、僕の心臓は簡単に跳ねた。


「わたしのご主人様になってくれるんでしょ?」


 確かに、そんなことも言った気がする。

 でも、それは、猫目先輩が『ペットの猫ちゃんになりたい』という願望を口にしただけで、『明日からハワイに行きたい』と同じ意味だと思っていた。

 今すぐ実現は不可能だけど、希望を言ってみた、なんて、誰しもが経験あるだろう。


 僕はそう捉えたつもりだったけど……。

 目の前のつり目美少女は、本気で叶えようとしている。

 夢を言葉にすれば叶うって、誰かが言ってたっけ。


「……具体的に、ご主人様って、なにをするんでしょう……?」


 恐る恐る尋ねてみる。

 僕にできる範囲なら、ある程度は協力したいと思った。

 僕はもう、幸せにはなれないと思うから。


 僕なんかと違って、猫目先輩のような人気者が自らの命を無駄にしないよう、力になれるなら、喜んで支えたい。

 せめて、人の幸せを手伝えるのなら、僕の人生だって、何かしら意味があったように思える。


「あのね〜……」


『ご主人様』、という呼ばれ方だけで連想するなら、猫目先輩が僕に仕えるのが妥当だけれど、猫目先輩の言う『ご主人様』はそういう意味じゃない。

 猫目先輩は、メイドではなく、『ペットの猫ちゃん』なのだ。


 照れ臭そうに伏し目がちになる猫目先輩。

 美少女って、まつ毛が長いんだなぁ……。


「カバンが重たいんだよね〜」


 と、猫目先輩は言った。

 彼女の右肩にかかっているスクールバッグは、華奢なその肩に、痛々しいほど食い込んでいた。


「わかりました」

 こんなことでいいのか、『ペットの猫ちゃん』って。

「やった〜! ありがとう、ご主人様!」


 ニコニコしている先輩の顔を見ると、なんだってできてしまいそうな気さえする。

 この笑顔が守れるなら、バッグの一つくらい。


 なんて軽い気持ちで受け取ったのが間違いだった。


 バッグが彼女の手から離れた瞬間、ずん、と腕が重力に吸い込まれそうになった。


「……重っ!?」

「そりゃあ、受験生だからね〜。なんの勉強したい気分になるかわからないから、常に全教科入れてるんだ〜」


 三年生は大体そうだよ、と猫目先輩はスカートを翻して、ようやく校舎へ進み出す。

 女子が持てる程度の荷物だと舐めていた自分が情けない。


「えへへ、本当に甘やかしてくれるんだ〜」


 振り返って笑う猫目先輩は、なんだかとても眩しくて。

 都合のいい『ご主人様』呼ばわりも、昨日の泣き顔からの元気具合を考えると、それでもいいか、と思ってしまう。


「精一杯『ご主人様』、やらせていただきますよ」

 僕はひらりと揺れるスカートの後を追って、昇降口へ向かった。



 学校一美少女の登場によって、僕のクラスはざわついた。

「猫目先輩だ……」

「すげ〜、初めて見たけど、想像以上に可愛い……」

「でも、なんでうちのクラスに……?」

 クラスメイトたちが思い思いに、ヒソヒソ話をそこかしこで繰り広げる。


 猫目先輩を三年生の教室まで送り届けるのかと思いきや、先輩は僕のクラスにやってきたのだ。


 僕は自分の席まで歩き、、ようやく、彼女の鉛のように重いスクールバッグと自分のスクールバッグを、机の上に置いた。


「ここ、座っていい?」

「いいですよ」

 律儀にも、僕に許可をとってから、猫目先輩は僕の席に座った。


「あのね、撫でて欲しいの」

 上目遣いで立っている僕に言う。

「撫でる?」

「うん、わたしの頭、撫でて?」

「こ、こうですか?」


 言われるがままに、猫目先輩の頭を撫でる。

 サラサラの髪が、指の間から落ちていった。

 猫目先輩は気持ち良さそうに、目を閉じる。


 かわいい。


 本当に猫を撫でている気分だ。

 そんな猫目先輩の顔を見ながら僕は昨夜を思い出す。


 ──「ペットの猫ちゃんみたいに、生きているだけでお世話されて、大切にされて、粗相をしてもしょうがないなって、全部、全部許されたい……」


 限界なのかな、心が。


「猫目先輩は遅刻せずに登校できて偉いです。朝起きて、身支度して。女子はメイクなんかもあるんでしょう? すごいです」

「……!」


 生きてるだけで、大切にされたい。

 僕もその気持ちは、知ってるから。


「さすが……ご主人様……」


 そう言う猫目先輩の声は、ちょっと涙声だった。

 鼻をすん、と啜ってる音もする。


 やっぱり、ちょっと精神的に参ってたんだ。

 なにがあったかは知らないけれど、こんなことでいいのなら、猫目先輩が満足するまで『ご主人様』を続けよう。

 勉強より、よっぽど生産的な目標かもしれない。


「ご主人様……?」

「あいつが、猫目先輩のご主人様なのか……?」

 ただ、主に男子からのあらぬ誤解も声も聞こえてくる。


 ……こればっかりは仕方ない。


 弁明しようとすれば、先輩の自殺未遂の話をしなければいけなくなるが、それはできない。

 甘んじて誤解を受け入れよう。


「あれ、猫目さんだ」

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