19 秋本の家
…………え?
つまり、同性愛……?
ネットや創作の中でしか聞いたことのない恋愛観に、僕は驚いてしまった。
黙りこくる僕の反応に、春川先輩は眉をしかめながら続けた。
「猫目は、私の命の恩人なの」
「命の……恩人……?」
こくりと春川先輩が頷く。
「去年、私がDV彼氏に監禁されそうになったところを、助けてくれたのが、猫目だった」
DV彼氏に、監禁だって……?
そんなホラー映画みたいなことが、現実に、身近な人間にも起こりうるのか。
「付き合う前は優しかったのに、たくさん殴られたし、たくさん泣いた。何度も逃げ出そうとしたけど、毎回連れ戻された。そのうち、別れたがる私に腹を立てた彼が、私を彼の家に閉じ込めたの。監禁されて三日目に、私が学校に来ないことをおかしいと思った猫目が、警察に通報してくれて、私は彼から逃げられた」
元彼につけられた数えきれないほどのアザは、最近ようやく消えた、と春川先輩は半袖の腕を見せてくる。
痛そうなアザこそないが、ところどころ、アザの跡っぽいものがある。
「それ以来、私は猫目のことが好き。猫目が初めて星空恐怖症を打ち明けたのも私。だから、私にとっても、猫目にとっても、お互いが特別なの」
三人で、駅前で遊んだとき、急に体調が悪くなった猫目先輩に対して、春川先輩は冷静だった。
彼女は、猫目先輩の病気を知る、唯一の理解者だったから。
「私以外の人間が猫目を幸せにできるはずがないじゃない。秋本だって無理」
僕には猫目先輩を幸せにできない。
そして、秋本にだって不可能だと言う。
あれもダメ、これもダメ。
かと言って、春川先輩が何かをできるわけでもない。
だって、同性だから。
お互いが命の恩人で特別、だから恋人にはなれない。
猫目先輩を幸せにはできない。
春川先輩の言い分は理解できた。
しかし、納得はできない。
「それでも、探せばなにかできることがあるはずです……!」
「ここまで聞いても引き下がらないんだね」
春川先輩は、また大きなため息をついた。
「そんなに言うなら……放課後、秋本の家に連れて行ってあげる」
秋本の家?
「秋本の家に行ったから、なんだって言うんですか?」
「行けばわかるわよ。秋本には猫目を幸せにできないってね」
秋本の家に、猫目先輩を幸せにできない理由がある……?
春川先輩がなにを示唆しているのか、まったく予想がつかない。
「その代わり、約束して。そこで見た事実で、自分には手に負えないと少しでも感じたら、猫目にはもう近づかないって」
思わず、唾を飲んだ。
秋本の家に、いったいなにがあるんだ。
得体の知れない恐怖が襲ってくるが、それでも、僕には頷くしかない。
「約束します。無理だと思ったら、僕は、もう猫目先輩に近づきません」
「絶対だからね」
自信はあった。
どんなことが待ち受けていようとも、僕が猫目先輩を守るんだって。
彼女の笑顔を守ることは、僕が幸せになることでもあるんだから。
放課後になり、昇降口で待ち合わせた春川先輩に促されるまま、少しだけ電車に揺られる。
向かっているのは、秋本の自宅だ。
すれ違えば挨拶を交わす程度に仲が良かったとはいえ、秋本の家庭事情を詳しく探ったことはない。
何人兄弟だとか、親がなんの仕事をしているだとか。
そういった情報は、全然知らなかった。
クラスでは人気者で、男女ともに分け隔てなく仲良くしている印象が強い秋本。中心人物と言っていい。
まだ夏前で、学校行事がそんなにあったわけではないが、なにか決め事があるたびに、率先して手を挙げ、意見している。
きっと文化祭や体育祭も、あいつが中心になってクラスをまとめるのだろう。
授業間の短い休み時間は女子と談笑。
昼休みは男達でサッカー。
放課後はバイト。
彼は充実した高校生活を送っている、僕とは正反対の、日向にいる人間。
きっと良い一軒家に住んでいるんだろうな。
「降りるわよ」
「あ、はい」
春川先輩に促され、降車した駅は、学校から数駅離れた、乗り換えもないこじんまりとした駅。急行も止まらない。
改札を出て、連れて行かれた先は、一軒の二階建てアパートだった。
住んでいる人には悪いが、正直、ボロい。
「……こっち」
春川先輩は躊躇いなく、建物の横に併設された階段を登る。女子高生一人の体重にも、階段はギシギシと耳障りな音を建てた。
二階の廊下には、ドアが三つ並んでいる。部屋が三つあるらしい。
その突き当たりまで行って、僕の先を歩く彼女は足を止めた。
「……ここよ」
表札はない。
ここ、と言うからには、秋本の家なのだろうか。
普段明るくてクラスの中心人物である秋本の家庭環境が、思いのほか生活するのにも苦しそうな雰囲気で、僕はただ戸惑ってしまう。
「……ここが、どうしたんですか?」
僕がそう尋ねようとした瞬間だった。
「うわああああああああああああん!!!!」
尋常じゃない子供の泣き声が、部屋の中から聞こえてきた。
声の高さから、たぶん、まだ幼い子供だ。
すぐにパシン、と肌と肌がぶつかる音がする。
子供が一瞬泣き止んだかと思えば、またパシン、と音がする。
何回も、何回も。
パシン! パシン!
「やめ、て! ごめ、んなさい! ごえっ……ん、なさっ……!」
響いてくる、子供の泣き声。
秋本の家の中で、なにが行われているのか、容易に想像がついた。
最悪の事態を想定して、僕は、ドアノブに手をかける。
──助けないと……!
「なにしに来たんだよ」
背後からかけられた声に、僕は動きを止める。
制服姿の秋本が、コンビニ袋を片手に立っていた。
彼は僕と春川先輩を交互に見てから、普段教室で爽やかな笑みを振る舞っている顔面を歪ませる。
「お前、本当、なんなんだよ。春川さんと付き合ってるって嘘ついたり、春川さんと二人で俺ん家来たり」
「…………」
なにも言い返せない。
猫目先輩を幸せにしたかっただけ、なんて言って、秋本が信じるとは思えない。
僕は春川先輩に目をやるが、僕をここまで連れてきた彼女は、なにも言わない。
春川先輩は、秋本家の虐待を僕に見せて、諦めさせたかったんだ。
荒んだ家庭環境で育った秋本と、猫目先輩が付き合ったとしても、猫目先輩は幸せにはなれない。
秋本は人を助ける余裕なんかない。むしろ、助けてあげないとまずい。
「なんの用だよ」
「用事、は……」
なにも言えない僕に、怒った顔をした秋本が、ずんずんと大股で詰め寄ってくる。
「……いやだぁっ! やめでぇ!」
その歩みは、室内から聞こえる悲痛な叫びによって中止された。
僕と秋本はドアのほうを見た。
秋本の表情に焦りが浮かぶ。
「帰ってくれ!」
秋本が、僕に怒鳴った。
「でも……!」
迷ってしまった。
自分も力になれるのではないか、と。
この異変に気づきながら、なにもしないで帰るのが、正しい選択なのか?
「いいから! 帰れよ!!」
バタン!
秋本は家に入り、玄関の扉は勢いよく閉められた。
扉を閉められても、やはり中の声は漏れ出てくる。
「……やめてください! 弟には手を出さないって、約束じゃないですか!」
それは、聞いたことのない、秋本の悲壮な声色だった。
「お前がいねぇんだから、仕方ねぇだろうがよ!」
秋本に返答する、知らない男の人の声。おそらく成人男性だ。
「だって、あなたが買ってこいって言うから、コンビニ行ってきてたのに……! うぐっ……!」
「一丁前に、口ごたえしてんじゃねぇよ」
鈍い音と、呻き声。
何度も、何度も。
だんだん、秋本の声は弱々しくなっていった。
「……だから、言ったでしょ」
ずっと黙りっぱなしだった春川先輩が、ようやく口を開いた。
「そんなこと言ってる場合ですか! 早く警察を……!」
「私も通報しようとしたわよ。でも、止められたの、秋本に」
春川先輩は、くるりと踵を返して、アパートの階段を降りる。
「児童相談所に保護されたら、弟と離れ離れになる可能性があるから、嫌なんだって」
「…………っ」
このまま、放っておくしかないのか……?
こんな場面に遭遇したら、誰だって、警察に連絡するだろう。
でも、本人が嫌がっているのに、通報するのは、ありがた迷惑なんじゃないのか……?
ただの偽善で、お節介。
僕はもう、なにが正義で、なにが正解なのかがわからない。
苦しんでいるのを知りながら、事件性があるのを知りながら。
僕らは、秋本家をあとにした。
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