17 2人だけの秘密
──夜になると、死にたくなる。
その気持ちを、僕は知っている。
ぽろりと、目に溜まっていた涙が、彼女の頬を流れ落ちた。
「あ……どうして、わたし、泣いて……」
泣いていることに、初めて気づいたように、猫目先輩は涙を拭った。
ボロボロ。ポロポロ。
猫目先輩の意思とは関係なく、涙は溢れていく。
本格的に泣き出した猫目先輩は、頭を抱え、ぐしゃぐしゃと強く掻きむしった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
誰に向かってなのか、わからない謝罪を繰り返し始めた。
「猫目先輩……」
呼びかけても、聞こえているようには思えない。
彼女の頬を流れる大粒の涙はもう拭われない。
透き通ったホワイトの髪の毛が、ボサボサになっていく。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「猫目先輩!!」
僕は彼女の両手首をつかんだ。
泣きっぱなしの瞳が、僕を映す。
「し、死ななきゃ……。早く、死なないと……」
「生きてください! 猫目先輩! 猫目先輩は生きているだけでいいんです!!」
住宅街だというのに躊躇いなく大声を出した。
それくらいしないと、彼女に届かないと思ったから。
その甲斐あって、猫目先輩はハッとした表情に変わった。
「あ…………、ご主人、さま……」
僕はポケットからハンカチを取り出して、猫目先輩の涙を拭う。
きめ細かな肌は、強く触れると壊れてしまいそうだった。
猫目先輩は、大人しくハンカチを頬に当てられていた。
泣いていたせいで荒れていた呼吸も、穏やかなものに変化していく。
「……わたし、病気なの」
ずっと黙っていた猫目先輩が、口を開いた。
ハンカチを僕から受け取って、自身で目の際の涙を拭く。
「……星空恐怖症なの」
──星空恐怖症。
僕は、その病気を知っている。
精神病の一種で、簡単に言うと、『死にたくなる病』──その症状は夜が深くなればなるほど、強く現れる。
自分の意思ではコントロールできないくらいの、希死念慮。
症状は人それぞれで、呼吸が荒くなったり、泣いたり。
共通点は、最終的に自殺すること。
猫目先輩は、星空恐怖症を患っていた。
パズルのピースがはまるみたいに、合点がいった。
夜の駅のホームで、飛び込もうとしていたのは、星空恐怖症の症状だったのだ。
春川先輩と三人で遊んだ夕方に、急に呼吸が荒くなっていたのもそう。
そして、今。
明るくて、可愛くて、健気な彼女は、精神病を抱えていたのだ。
「……僕も、一時期、なったことがあります、星空恐怖症」
「えっ!? どうやって治したの!?」
「……お恥ずかしながら、現実逃避で」
小学六年生のとき、母に押し入れに閉じ込められた事件をきっかけに、僕は星空恐怖症を発症した。
と言っても、両親には到底言い出せなかったので、病院に行って医師から診断書をもらったわけではないが。
毎晩泣いていた自分に異変を感じて、ネットで調べたら症状が一致していたのだ。
僕は、自分を守るために現実から逃げた。
親にバレないように、塾をサボった日もあった。
仮病を使って、学校を休んだ日もあった。
そのせいで、高校受験は、志望校にすんなり受かるでもなく、補欠合格だったのだ。
「……そっか。すごいね」
と、猫目先輩は泣き腫らした目で微笑んだ。
「ご主人様も、わたしと同じなんだ……」
……猫目先輩は、そういう自分を守るための『サボり』が苦手なんだろう。
物事全部と真面目に向き合って、自分を疲弊させてしまっているのだろう。
なんとなく、そんな気がした。
「……ねぇ、この病気のこと、秘密にしてもらってもいい?」
申し訳なさそうに、猫目先輩がお願いしてくる。
みっともない、と思っているかもしれない。
かつての僕が、そうだったように。
僕は、この病気を甘えだ、恥ずかしい、と決めつけていた。
「言われなくても、誰にも言いふらしたりしませんよ」
「……ありがとう、約束だよ」
猫目先輩が小指を差し出してくる。
僕も、小指を出して、絡ませた。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたら、はーりせーんぼーん、のーます」
針千本どころじゃ済まないだろうな、きっと。
吐いてきた嘘の数々を知ったら、猫目先輩は僕のことを軽蔑するだろうか。
本当に、針を飲まされても、文句は言えないくらいだ。
「ゆびきった!」
小指が離される。
猫目先輩は「えへへ」と笑っていた。
……まぁ、いっか。
猫目先輩が、笑顔になれるのなら。
針も千本飲もう。
何度でも嘘をつこう。
彼女が幸せになれる嘘を。
「……ご主人様、ハンカチに名前書くタイプなんだ?」
猫目先輩が、僕のハンカチをまじまじと見て言った。
「あ、これは……、幼稚園から使っているやつなので……」
なんとなく恥ずかしくなって、理由を話すが、彼女は「ふーん」と相槌を打つだけだった。
「名前、珍しいね」
「漢字は珍しいかもしれませんが、読み方は普通ですよ」
「わたし、今日から、ご主人様じゃなくて、ヒイラギって呼ぶ!」
また突拍子もないことを言い出す。
「僕の名前、ヒイラギじゃないんですが……」
「いいじゃん! あだ名! わたしのことも、ナツって呼んでいいよ!」
猫目先輩が呼び方を勝手に決めてくるが、二つ上の先輩を下の名前で呼び捨てなんて、恐れ多すぎて出来っこない。
「呼び捨ては、僕にはハードルが高いので、猫目先輩のままでお願いします」
「えぇ〜!? じゃあ、呼べるようになったら、呼んでよ!」
猫目先輩は「これも約束!」と言って、笑った。
とびきり弾けた、笑顔だった。
猫目先輩に幸せになってほしいと、星に願いたくなるほどに。
読んでくださり、ありがとうございます!
ぜひ☆やリアクションをポチッとよろしくお願いします!
感想やレビュー、励みになります!




