16 僕の女神様
体育座りの姿勢のまま、眠ってしまったらしい。
涙の通った痕が乾いて、頬の一部がカピカピになっている。
膝から顔を上げてもなにも見えない。
……今、何時だろう。
ズボンの尻ポケットに入っているスマホを取り出そうとして、やめた。
……どうでもいいか、どうせ朝になるまで出られないんだ。
どうやら、自己防衛として体が『諦めること』を覚えたらしい。
僕は再び膝に顔を埋めた。
「……さま……!」
どうしてこうなっちゃったんだろう。
ただ、猫目先輩に幸せになって欲しかっただけなのに。
「……んさまー……!」
春川先輩を怒らせて、秋本を傷つけて。
僕のやっていることって、いったいなんなんだろう。
「……ご主人様―!」
なんだか、猫目先輩の空耳まで聞こえてくる始末だ。
……もう、やめてくれよ。
僕が猫目先輩を幸せにしようとすることを、世界中の人が反対しているみたいだ。
それでも、僕は──
「ご主人様! いたら返事して! ここにいるの!?」
バンバン、と。
体育倉庫の扉が、外側から叩かれた。
猫目先輩の声と共に。
「……猫目先輩?」
「ご主人様!」
僕の小さな声も、猫目先輩は拾ってくれた。
「ここにいるんだね!? 今、開けてあげるから!!」
猫目先輩がそう言うや否や、ガチャガチャと鍵を鍵穴に突っ込む音がした。
焦っているのか、少々手こずったあと、両開きの扉が開かれる。
「ご主人様!!」
猫目先輩が、立っていた。
汗だくで、肩で息をしている。
外はいつの間にか日が沈んで、真っ暗になっていて、星が瞬いていた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった僕とは真逆に、綺麗な夜空を背にした猫目先輩。
僕をまた、助けてくれた。
坊主頭の先輩に殴られそうになったときと同じ。
やっぱり、猫目先輩は、女神様なんだ。
「どうして……ここが……」
「男子が、きみを閉じ込めたって話してるのを聞いたの! だから、探しに来た!」
……探してくれたのか、僕を。
息を切らすほどに。
汗で髪が乱れるほどに。
僕のそばに、いてくれると言うのか。
体育座りの状態で動けない僕に、猫目先輩が近寄ってくる。
「辛かったでしょう? もう、大丈夫だよ」
砂だらけの床であるにも関わらず、猫目先輩は膝立ちになって、僕を抱きしめた。
猫目先輩の匂いがする。
甘くて清潔感のある匂いだ。
猫目先輩の心臓の音がする。
心が安らぐ音だ。
「……ありがとう、ございます……」
「うん」
僕はようやくそれだけ絞り出して、猫目先輩の背中に手を回した。
まだ出会って日の浅い僕を、助けてくれた。
探し回って、見つけ出してくれた。
これほどまでに心優しい彼女が、自殺を図るなんて、あってはいけない。
──この女神様は、絶対に幸せにならなきゃいけない。
「落ち着いた?」
「……はい」
猫目先輩が離れていく。微かな温もりを残して。
名残惜しかったが、立ち上がった猫目先輩が手を差し出してくれた。
僕はその手をとって、立ち上がる。
「いこっか」
暗闇でも、猫目先輩が笑っているのが伝わる。
僕らは手を繋いで、並んで、体育倉庫を出た。
星と月が、とても美しい夜だった。
「お家に帰ろう?」
帰宅を促す猫目先輩に、僕は頷いた。
嘘だ。
帰りたい家などない。
スマホの画面を見ると、まだ塾が開いている時間だった。
彼女と解散したら、僕はその足で塾に行こう。
僕が通っている塾は、大人数で決まった時間に授業を受ける形式ではなく、パソコンから録画されている授業の映像を観て個人で学習する形式だ。
都合のいい時間に行けば大丈夫。好きな時間に授業を受けられるのだ。
しかし、これから塾に行くなんて言えば、きっと猫目先輩は止めるだろう。
──彼女は、優しい人だから。
だから、僕は言わない。ちゃんと真っ直ぐ家に帰ると嘘をつく。
また嘘をついてしまった。
「……星、綺麗だね」
猫目先輩が握った手をぎゅっと少しだけ強く握った。
僕と猫目先輩は、学校から一番近い駅に向かって、閑静な住宅街を歩いている。
「……星、好きなんですか?」
「……きらい」
猫目先輩は言った。
「夜は、きらい。星も、月も」
「……どうして夜が嫌いなんですか?」
「……から」
猫目先輩の声が急に小さくなった。
聞き取れない。
「え?」
猫目先輩は足を止めた。
繋いでいた手が、離される。
彼女の双眼が、僕を見据えた。
涙が、溜まっていた。
「死にたくなるから」
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