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14 秋本の誤解

 翌日、猫目先輩は学校を休んだ。

 そりゃあ、学校を休むことだってあるだろう。


 頭では理解しているものの、いつも僕を待っていた美少女が、朝の校門に姿を現さなかったとき、僕はどうしようもなく寂しくなってしまった。


 昨日の終わりは、なんだか体調が悪そうだったし、今日休んでいたとしてもおかしくはない。


 体調が心配だったけれど、連絡手段もないので彼女の容態を知るためには、結局猫目先輩が元気になって登校してくる日を待つほかはない。


 だから、今日の昼休みは久しぶりに、クラスの男子グループに紛れて弁当を広げていた。


「なぁ、ちょっといい?」

「ん?」


 僕とは異なる男子グループに所属しているはずの秋本が話しかけてきた。

 僕はちょうど弁当に蓋をしたところだったので、食べ終わる頃合いを見計らっていたのかもしれない。


「話があるんだ」


 そう言って、秋本は教室の扉に向かう。ついてこい、という意味らしい。

 僕は特別思い当たる節もないので、大人しく秋本の後ろを追いかけていく。


 話があるとしか言われなかったが、教室から連れ出すからには、クラスメイトには聞かれたくない話なんだろう。


 僕と秋本だけの共通点なんかあっただろうか?

 さっぱり思いつかない。


 強いて言うなら、夏前で半袖の制服を選ぶ生徒が増えた中で、長袖を貫き通してることぐらいだろうか。


 首をひねりながら歩いていると、不意に秋本が足を止めた。

 そこは、屋上に続く階段の踊り場。

 人気がないスポットとして名が通っている場所だ。屋上は開放されているとはいえ、屋上に来る生徒はそこまで多くない。


「話ってなに?」

 僕に背を向けたまま、動きも喋りもしない秋本に本題を促した。


「昨日、駅前でお前と春川さんがいるの、見かけてさ」

 いつもハキハキとした喋り口調の秋本が、もにょもにょと言葉を濁している。

「秋本がドタキャンしたから、猫目先輩と春川先輩の三人で遊んでたんだよ」


 僕が秋本に気づかなかっただけで、秋本は僕たちの近くを通り過ぎていたらしい。両親と出かける用事って、同じ駅前だったのかも。


「なんだ、近くにいたなら、声かけてくれればよかったのに」


「じゃあ!」


 僕のセリフを覆い被せるように、秋本が声をあげた。

 俯きがちだった秋本が、ゆっくりと目線を僕に向けた。その表情は、普段の明るい秋本からは想像もつかないような、悲壮に満ちたものだった。


「春川さんと、キス、してたのか……!?」


 え?

 春川先輩と、キス?


 そんな馬鹿な。


 春川先輩が僕とそんな真似は冗談でもしたくないだろうし、僕が無理矢理迫ろうものなら、どんな返り討ちをされるか、想像するのも恐ろしい。


 秋本はなにを勘違いして、どうしてそういう思い込みになってしまったのか。

 考えようとして思い出した。


 秋本は一言も、猫目先輩とは言っていない。


 僕が会いに行ったのは、猫目先輩なのに。

 猫目先輩ではなく、春川先輩と二人きりで会っていると勘違いしたということは、猫目先輩がいないシーンだけを目撃してしまったからだ。


 つまり、猫目先輩が突然体調不良で一人、帰ってしまったあとだ。


 とはいえ、僕は春川先輩にブチギレられていただけなのだが、恋人同士のキスシーンのような甘い雰囲気とは程遠い。


 なにをどうしたらキスしているように見間違えるんだ……?

 それだけ顔が近くなっていたときなんてあったか……?


 ……まさか、胸ぐらつかまれていたときか?

 確かに吐息が触れ合うほどの至近距離ではあったけれど。


 遠目から見たら、角度によってはキスしている二人に見間違えるのだろうか?


 ……それしか、考えられない。


「なぁ、答えろよ。お前、春川さんと付き合ってるのか?」


 眉をハの字にした秋本が、僕の両肩をつかんで、前後に軽く揺さぶってくる。

 秋本は、僕と春川先輩が付き合っていると勘違いしているのか?


 本来なら、丁寧に説明して誤解を解いてやるのが友達というものだろう。

 僕が思い浮かんだことは違った。


 ……これは、チャンスかもしれない。


 秋本の恋を諦めさせせれば、猫目先輩は秋本と付き合えるんじゃないか?

 そうしたら、きっと、猫目先輩は幸せになる。


「うん、そうだよ。僕は、春川先輩と付き合ってる」


 嘘をついた。

 人を傷つける嘘を、僕はあと何回重ねるのだろう。


 でも、全部猫目先輩のためだから。


 彼女を笑顔にするためなら、僕はなんだってできる。

 嘘とは知らない秋本の顔が、一瞬のうちに絶望に歪んでいく。


「お前は……! 俺が春川さんのことが好きだと知りながら……!」

「…………」

 僕はなにも言わない。

 僕の無言を、秋本が勝手に解釈していくだけだ。


「この……っ!!」

 秋本の右手が、拳の形となって、振り上げられる。


 ──殴られる……っ!


 反射的に目をつむったが、衝撃はやってこない。

 秋本の右手は、振り上げられたまま静止していた。

 かすかに震えている。

 その拳は僕の頬に叩き込まれることなく、耐えるように下げられた。


「…………クソ野郎」


 言い捨てて、秋本は去っていった。

 クラスではいつも大きな存在に感じていた秋本の後ろ姿が、どこか弱々しげで。


 怒りと憎しみと悔しさと。

 色んな感情が秋本の中でごっちゃごちゃになっているのが、見てとれた。


 酷いことをしてしまった。

 でも、これできっと……。


「猫目先輩、褒めてくれるかな……」


 囁いた決意は誰の耳に届くこともなく、ただ静かに、天井に吸い込まれていった。



 翌日、猫目先輩は学校に来た。

 来た、というより、校門で僕を待ち構えていた。


「おはよ〜! ご主人様! 今日も荷物が重いなぁ!」

「持ちますよ」


 休んでいたのが夢だったみたいに、元気で明るい猫目先輩がいた。「調子はどうですか?」なんて、野暮なことを訊くのはやめよう。


 一緒に昇降口に入り、猫目先輩が三年生の下駄箱で靴を履き替えている間に、二人分の荷物を持ちながら、僕も靴を履き替えようと下駄箱を開けた。


 すると、一枚の手紙が入っていた。

「……またか」


 どうせ春川先輩だろう。


 一昨日、逆鱗に触れてしまったからな。嫌がらせを再開させたのか。

 しかし、その割には違和感があった。


 手紙がやたら、ちゃんとしているのだ。

 可愛らしいペンギンが描かれた小さな便箋。きちんと封筒に入れられている。

 今までの傾向からして、春川先輩の嫌がらせに用いられた手紙は、ルーズリーフを四つ折りにした、即席で作れるテキトーなものだった。


 春川先輩の仕業じゃないとしたら、猫目先輩が……? 


 いや、手紙を渡すくらいなら、二人きりで会話するチャンスはいくらでもある。


 猫目先輩じゃない。

 春川先輩でもない。


 つまり、これは、猫目先輩でも春川先輩でもなく、第三の女子……!?


 僕はまだ猫目先輩が靴を履き替えている途中なのを確認してから、封筒を開く。


 ──「放課後、校庭の体育倉庫に来てください」


 女の子らしい丸文字で、便箋の中央に小さく、そう書かれていた。


 呼び出し……!?


 生まれて初めての女子からの純粋な手紙に、気持ちの昂りが隠せない。

 顔がにやけそうになったので、周りから変な目で見られないように、口元を手で覆った。


 誰からだ……!?


 便箋にも、封筒にも、差出人は書かれていなかった。

 差出人は僕のことを一方的に知っているが、僕は向こうを知らないのかもしれない。

 だから、あえて書かなかったのかな。


 手紙を丁寧に折りたたみ直して、それを封筒に入れ戻す。


「なに見てるの?」




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