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13 発作

 僕は先を歩く猫目先輩に声をかける。

「…………っ!」

 猫目先輩は答えない。

 歩み続ける足が、だんだん遅くなり、遂に彼女は立ち止まった。


 おかしいな、と思い、僕が猫目先輩の顔を覗きこもうとしたときには、猫目先輩は、胸を押さえて前屈みになった。


「はっ、あっ、はぁっ、はっ」


 激しく息切れをしている。

 まるでマラソンを走った後のような呼吸だ。

 只事じゃない。


「猫目先輩!? 大丈夫ですか!?」

「う、うん。はっ、はっ。大、丈夫……はっ、はぁっ!」


 前屈みになっていた猫目先輩はついにしゃがみ込んでしまった。

 駅前は人通りが多い。

 行き交う人々が、猫目先輩をジロジロと奇異の目を向けては去っていく。


 こういうとき、僕にはなにができる……!?

 救急車を呼ぶ?

 それとも、猫目先輩は薬を持っているのか?

 どうすればいいかわからない僕は、ただその場に立ち尽くした。


「どいて」


 そんな僕を押しのけて、春川先輩が猫目先輩の横にしゃがみ込んだ。

 内緒話をするように、猫目先輩に話しかける。


「……猫目、帰ったほうがいいよ。一緒に帰ろうか?」


 春川先輩は猫目先輩の背中を優しくさすった。

 わずかに、猫目先輩の息切れが落ち着いたように見えた。


「う、うん……はっ。ありがと……、一人で、帰、りたい……はぁっ、はっ」

「わかった」


 猫目先輩の意思にすぐに同意した春川先輩は立ち上がり、猫目先輩に手を差し出す。

 猫目先輩は春川先輩の手を取って、よろよろと立ち上がった。


「いいんですか!? 救急車、いや、せめてタクシー呼んだほうが……!」

「そういうんじゃないから、猫目のは」

 僕の意見は、春川先輩によってあっさりと却下された。


 ──そういうんじゃないって、なんだよ……!?


 こんな苦しそうな女の子を一人で帰らせるなんて……!


 春川先輩に一蹴されたとしても、僕は食い下がりたい気持ちになり、猫目先輩へと視線を移す。


 僕の視線に気づいた猫目先輩は、息を切らせながら言葉を発する。

「救急車とか、は……呼ばないで、欲しい……はっ、はっ!」

 それは、僕の提案を拒否する言葉だった。


 なにもできないのか、僕は……!

 なにか僕にできることはないのか……!


「じゃ、じゃあせめて、お家まで……!」

「やめて!」

 強い声色で、猫目先輩は拒絶した。

 僕はびくりとする。


「わかりました……。すみません……」

 本人がやめてほしいと言うなら、僕はなにも言えない。

 僕のやろうとしていることは、ありがた迷惑になってしまうだけだ。


 猫目先輩の意見を無視すれば、それは、猫目先輩のため、ではなく、僕の自己満足に終わる。


 僕が了承したのを確認してから、猫目先輩は、駅の方向へ、ゆっくり歩いて行く。

「二人とも……ごめんね」

 一度だけ振り返って、涙目の猫目先輩は謝罪を口にした。


 自分がこんな状態でも、他人を気遣う彼女の心に、僕のほうが泣きそうになる。

「僕は……、大丈夫ですけど……」

「うん……。ありがとう……」

 そう言い残して、猫目先輩は帰って行った。


 猫目先輩の姿が見えなくなってから、僕は隣に立っている春川先輩に向き直る。

「猫目先輩の体調の理由、知ってるんですよね? 猫目先輩は病気なんですか?」

「あんたには関係ない」


 さっきまでの柔らかい雰囲気が一変、冷たく言い放たれ、僕はハッとした。

 猫目先輩がいなくなった今、春川先輩が僕に対して、暖かく振る舞う理由はもうない。


「……言ったわよね? あんたにはなにもできない、あんたに猫目は幸せにできないって」

 春川先輩の声のトーンが三オクターブくらい下がった。

 今まで以上に、本気で怒っている。


「いいか、もう二度と猫目に近づくな。明日、学校で猫目と会ったら、『もう会えません』って言え」

 あまりの迫力に、大人しく従ってしまいそうになる。


「嫌です」

 しかし、僕の口から出た回答は拒否だった。


 猫目先輩に近づくな、なんて、この人に決められる謂れはない。

 猫目先輩と、まだまだ話していたい。

 彼女のことが、もっと知りたい。


 僕は心を強く持って、春川先輩と目を合わせた。


「……は?」

 ドスの効いた一文字。それだけで、震えて上がりそうだ。


 ──怖い。


 ごくりと生唾を飲み込んで、春川先輩の鋭い眼光に尻込みしそうになるのを、必死で堪える。


 ……僕だって言われっぱなしじゃいられない。

「は、春川先輩のほうこそ、どうなんですか……!」


「……なに?」


 言い返されたことに、春川先輩は眉をひそめた。どうやら、聞く耳を持たないわけではないらしい。


 反論する隙が生まれたのを機に、僕の口は止まらない。

「秋本は、春川先輩のことが好きなんですよ! 先輩こそ、秋本と付き合って、猫目先輩の叶わない恋を諦めさせるのも、優しさなんじゃないですか!?」


「…………本気で言ってんの?」


 春川先輩の声が、一層低くなる。


「安易に他人に『誰々と付き合え』とか言えるなんて、随分と脳内お花畑なんだね。人間関係パズルみたいに上手くハマるとでも思ってんの? 人の気持ちなんて考えたこともないんだろうね。自分の都合のいいように他人が動くわけないでしょ。そうやって猫目のことも愚弄したんだ。できるはずもない秋本とのデートを取り付けようとして。なんなの? 神様にでもなったつもり?」


「そんなつもりじゃ……!」


「あんたになにがわかる!!!」


 春川先輩は激昂し、僕の胸ぐらに掴みかかった。

 吐息が届くほどの超至近距離で、ガン飛ばされる。


 僕を嫌悪し、怒りを露わにしてきたことは数あれど、静かに、諭すように怒るタイプだった。


 そんな彼女が感情をボリュームと行動に乗せたのは初めてで、僕は少なからず怯んでしまった。


 僕の胸ぐらを掴んでいる手と反対の手が、高く振りかぶられた。


 ──引っ叩かれる……!


 僕は頬にぶつかる痛みを覚悟して、目をぎゅっとつむる。


「…………」

 しかし、予想していた衝撃はやってこなかった。

 恐る恐る目を開けると、春川先輩の手は宙に留まったまま。


 春川先輩は震えていた。

 どうして、殴る側の春川先輩が震えている……?


 そして、振りかぶられた手から力が抜け、だらりと下げられた。

「……私に男と付き合えなんて、二度と言うな……!」

 涙目になった春川先輩は、僕の胸ぐらから手を離した。


 彼女は駅のほうへと歩を進めていく。

 その後ろ姿は、妙に小さく見えた。


 猫目先輩の恋を知りつつも、応援するわけでも、諦めさせるわけでもない春川先輩が、僕にはよくわからない。

 猫目先輩も猫目先輩で、突然しゃがみ込んで帰ってしまうし。

 秋本は、猫目先輩には目もくれずに、春川先輩に片想いしているし。


「どうすればいいんだ……」


 楽しかった時間は一瞬でひっくり返され、残された僕を、茜色の夕陽だけが照らしていた。

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