6話 崩落
「……っく!
やむを得ん。
お前ら、ここからは走るぞ。
そして、荷物は全てここで廃棄だ!」
「…………へ?」
先の異常な衝撃と空間が変異しているこの事態。
何が起こっているのかは分からないながらも、とにかく緊急事態である事には違いない。
一刻もこの場から離れるべき。
ガイルのこの指示の重要性は全員が咄嗟に理解するも、最後の荷物は全て廃棄という言葉に3人衆は戸惑いを見せる。
「い……いや、流石にそれは勿体なくないっすか!?」
「そうっすよ!
せっかくこれだけ採れたのに……!」
「何より魔石もあんなにあるのに、それを全部置いていくなんて……!」
「皆さん、今はそんな場合じゃないですよ!
こんな重い装備じゃまともに走れないです!
それより早く行かないと!」
鉱石袋を頑なに手から離そうとしない彼らに、既に荷物を下ろし終わっていたウィルが説得をかける。
こんな所でまごついているほど、もう時間はないというのに。
「うるせぇ!
お前は黙ってろ!」
「これを全部捨てていけば、今日の苦労が全て水の泡だろうが!」
「そ、そうだ。
今から魔石だけでも取り出しーー」
ゴゴゴゴゴオオオオオォォォォォンッ!!!
『『『!!!』』』
再び先程の轟音と衝撃が走る。
反響して方角はよく分からないものの、さっきとは違う場所のような気もする。
もはやグズグズしている暇はない。
そうこうしている間にも空間の変異だって続いている。
「馬鹿野郎!
お前ら全員ここで死にたいのか!?」
『『『っ!?』』』
ガイルが腹の底から怒鳴り声を上げ、3人は体をビクッと震わせる。
「ウィルの言う通りだ!
こんな重装備じゃ逃げれるものも逃げ切れん!
今ここで皆死んだら、魔石もクソもないだろう!?
……全員、全力で走れぇぇぇ!!!!!」
『『『……………………っく!!!』』』
『死』という言葉を聞いて3人はようやく事の重大さを理解したのか、ガイルの掛け声と共に全員一斉に洞内を走り出した。
周囲の壁にはいくらヒカリゴケの光があるとはいえ、これはそこまで洞内を煌々と照らしてくれているものではない。
しかも一定間隔でまばらに付着させてあるものだから、当然薄暗くなっている所だってあちこちにある。
そんな道を全力で走るのは危険を伴うが、切羽詰まったこの状況でそんな悠長な余裕は無かった。
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「ガイルさん!
それにしても、あの衝撃とこの洞窟の変異は何か関係あるんでしょうか!?」
ウィルは走りながらずっと抱いていた疑問を尋ねてみた。
この変異はあの衝撃と共に発生した。
両方の正体は分からないけど、それぞれが無関係だとも思えない。
あの水の件だって気になる。
「分からん!
分からんが…………あの衝撃の方に関しては、恐らく崩落音だ!」
「崩落!?
それって、洞窟が崩れ落ちてるって事ですか!?」
「あぁ、この環境の中でのあそこまでの音と振動だ。
どこかの岩盤が落ちたのなら納得がいく」
それが事実だとすれば、仮に入口付近が塞がれてしまえば……などと想像するのは容易い。
「これだけ広い洞窟だ。
そりゃどこかが崩落する可能性だってあるだろうし、もしそれだけなら単に偶然遭遇しただけの自然現象だ。
だが、それと同時に発生したこの妙な変異。
…………これはいるな、魔物が」
「魔物……!?」
これまで洞窟内はおろか、入口周辺の地上ですら一切その姿を見かけなかった。
やはり単純に住処を移動しただけなのだろうと、正直安心していた。
それだけにすんなりとは受け入れ難い。
しかし、この状況では誰もが現実として受け止めざるを得ない。
ウィルも3人衆も顔が引き攣る。
「とにかく今は俺に付いてこい!
悪いが、今は踏ん張ってくれ!」
本来なら今頃はとっくに地上に出ていて、まもなく村に着いていた頃だったろうか。
軽い調査のつもりだったはずが、まさかこんな事態に遭遇してしまうなんて。
時期尚早だったか……。
いくら人員が足りなかっとはいえ、今回この人数で来てしまったのは俺の判断ミスだ!
そのような事が頭の中を埋め尽くしていたガイルは、前方の注意が少々逸れかかっていた。
そんな状態で走っている最中、ウィルが叫んだ。
「ガイルさん、前!
前に何か……!」
「っ!?」
ウィルの声に我をとり戻したガイルだったが、突如として目を疑いたくなるような光景が飛び込んできた。
「なん……だ?
これは!?」
それは、およそ今まで自分たちがいた洞窟の中とは思えないほどの、とてつもなく広々とした空間だった。
これまでずっと通ってきた道幅が、せいぜい大人5人が並べるかどうかくらいのものだったのに対し、ここは縦にも横にも優に100人程度は入りそうな幅と奥行きのある空間。
フロアとも言うべきか。
その壁には一応ヒカリゴケの光はあるものの、他の坑道より付着している箇所がかなり広範囲に散っており、そのせいで今までよりも大分薄暗く感じる。
至極当然ながら、このような場所は入洞から一度も通っていないし見てもいない。
「こ、ここは……。
ん?」
ウィルも驚愕しつつ周囲を見渡していると、不意に足元に冷たさを感じる。
皮のブーツをじんわりと冷気が伝わってくる感覚。
そのまま足を前に出してみると「ジャブジャブ」とした聞き覚えのある音がした。
水だ。
薄暗くて気づかなかったけど、よく見ると地面がまた濡れている。
いや、濡れているとかそういうレベルではなく、このフロア全体が水浸しになっている!
もはやちょっとした小川に足を突っ込んでいるくらいの水位。
「…………」
「何じゃこりゃー!?」
「おいおい、冗談だろ!」
「これ……俺らどうなっちまうんだ……」
ガイルや他の3人も驚きが隠せない。
ここまで絶えず走ってきていたが、そのあまりにも異様すぎる光景に思わず足を止めて立ち尽くしてしまう一行。
この場所は先の崩落で生まれた?
それによって地下水が大量に湧出?
いや、そもそもそれだとヒカリゴケがまだ壁に残っている説明がつかない。
洞窟の変異といい、何らかの魔法が関与しているのは間違いないだろう。
だが、元々ゴブリンくらいしかいなかったこの洞窟に、そんな大規模な魔法を使える存在がいるとは考えにくいが……。
必死に考えを巡らせようにも情報が足りなすぎる。
驚いてばかりだが、今は考えても仕方がない。
ガイルは改めてフロアを見回してみると、奥にまだ道が続いている事に気づく。
あそこを進んでいけば、また元の坑道に戻れるかもしれない。
幸いな事に向こうからは僅かに風が流れてきている。
つまり、地上に通じている道がこの先にある!
「……どう見ても明らかに異様だが、まだ道は先に続いているようだ。
このまま進むぞ!
ここでパニックになっては助かるものも助からん」
こういう時こそ冷静にーー」
そう言いかけた時だった。
フロアの片隅から「ジャブ……」という何かが動いたような音が鳴る。
直後、この場にいる5人のそれとは違う声が発せられた。
「ゲッ!
ゲギャギャギャギャッ!?」
『『『!?』』』
一斉に全員が音の方向へ視線を向ける。
ちょうどヒカリゴケの光が届いておらず、少しばかり影になっていた場所だった。
暗闇の中でうごめく、人に似ても似つかぬシルエットが1つ。
それはゆっくりとこちらに歩み寄り、その姿が次第に現れ始める。
全員が「今度は一体何が!?」という状態の中、最初にそれが何なのかを認識できたのはウィルだった。
「あれは……ゴブリン!?」
10歳くらいの子供のような身長をしながら、独特のずんぐりとしたフォルム。
ツルツルとした暗い緑色の肌、ギョロッとした黄色い目。
4本指についた鋭い爪と不自然なほどに長く尖った耳。
間違いなくゴブリンだ。
今まで一片の気配すら感じなかったのに、なぜ今になってこんな所で!?
「な……ここで魔物だと!?」
ガイルに更なる緊張が走る。
「はぁ!?
なんでゴブリンがここにいるんだよ!?
ふざけんな!!」
「ちきしょう、今の今まで何もいなかったじゃないか!
まじで何なんだここはよぉ!」
「次から次へと……!
くそ……もう、終わりだ……」
これまでの度重なる異常な出来事を経験してきたところへ、とどめを刺すかのような魔物の出現に3人はとうとうパニックを起こしてしまう。
そんな彼らをウィルは心配しようとするも、ここで相手のゴブリンの様子が少しおかしいことに気づく。
何だろう、様子が変だ。
僕らと鉢合わせたというのに、すぐに襲ってこようとしない。
普通ならこの中で一番弱い僕が真っ先に襲われるはず。
それどころか体が震えているし、酷く混乱して何かに怯えているようにも見える。
……もしかして、ここのゴブリン達が消えた事と何か関係が?
隣にいるガイルも、この状況に冷や汗をかいて思考を巡らせていた。
ここに来ての魔物……これはいよいよまずいな。
相手はゴブリン1匹。
ウィルはともかく、通常4人もいれば十分相手は可能だろうが……。
他の3人はすっかり錯乱状態の上、今の俺らは全員が丸腰。
どういう訳か奴の様子もおかしい。
この状況であれを相手にするのはリスクが高過ぎるが……。
しかし、どうする!
考えている時間はない!
ググググググググググ…………。
その時、嫌な地響きがこの場の頭上から鳴り始める。
それは次第に大きくなっていき、砂や小さな石が天井から落ち始めてきた。
まさか……。
この場が崩れる?
こればかりは何も聞かなくとも全員が直感で理解した。
「く、くそ……。
こんな所で死んでたまるかよ!」
3人衆の1人が反射的に体を動かし走り出そうとすると、それにゴブリンもビクッと反応したように動き始める。
「あっ、待って下さい!
今動いたら!」
ウィルは先に動いた彼を制止しようとするが止まらない。
「あぁ!?
お前馬鹿か!?
逃げるに決まってるだーー」
「ゲギャアアアァァァッーーー!!!」
同時にゴブリンが彼の背後目掛けて飛び掛かろうとする。
小柄な体型を活かした非常に素早い動き。
目を充血させ、その鋭い爪を大きく構える。
ゴブリンは力こそ強くはないものの、その爪の直撃を食らえば無事では済まない。
「ぁ……」
気づいたが既に遅い。
もう爪は眼前まで迫り、彼の背中を引き裂こうとしたその瞬間。
ガバッ!!!!!
残りの体力を全て振り絞って全力で走ったきたウィルがゴブリンに横から飛びかかり、間一髪のところで彼から爪を遠ざける。
『『『ウィル!?』』』
そのままウィルはゴブリンと共に地面に突っ伏した後、暴れるように動く相手に覆い被さりながら全員に叫んだ。
「これは僕が押さえています!
今のうちに皆さんは先に行ってください!!!」
これまでの人生の中で一度も出したことがないくらいの大声で呼びかけた。
ガイルは当然動揺を見せる。
「な、何を言う!
お前も早くーー」
「僕は!
今まで何の役にも立てなかった!
だから、こんな時くらい僕に任させて下さい!
お願いします!」
ガイルは体をビクッと震わせる。
ウィルはそれまで彼に一度も見せたこともない程の形相で、強く睨みつけながら叫んでいた。
「ウィル……お前……」
ガラガラと周囲から壁が崩れ始める音と共に砂埃が立ち始める。
もう、いつ天井が落下してきてもおかしくない。
「もう時間がない。
3人をお願いします、ガイルさん。
……行って下さい!!!!!」
数秒の沈黙。
「っく!
走るぞお前らっ!!!」
ガイルは覚悟を決めたように3人を連れて再び走り出す。
すまないウィル!
本当に、すまない……!
徐々に彼らの姿がフロアの向こうに消え始め、ついに頭上の全てが落下を始める。
けたたましい轟音、立っていられないほどの振動に大量の瓦礫と土砂の雨。
「ゲギャッ!?
ゲギャギャッ!!
ゲエェギャアッッッーーー!!!?」
ジタバタと激しく暴れ狂うゴブリンを最後の力で抑えながらウィルは、走っていく彼らを最後まで見つめていた。
ただひたすらに抑え続け、それ以上は動こうとはしない。
もう体力も無いし、今から動いてもどうにもならない。
姿が完全に見えなくなるとゆっくりと視線を落とし、最期の時を待つ。
「はは、あんなカッコつけた事言っちゃうなんて、僕らしくなかったよなぁ。
皆んな、今までありがとう。
最後までこんな僕でごめんなさい。
……君も結果的に巻き込んじゃってごめんね」
もし、生まれ変われるなら……。
次はきっと、皆んなのためにーー
ゴゴゴゴゴオオオオオォォォォォンッ!!!
こうして濁流の如く凄絶な崩落に1人と1匹はなす術もなく共に飲まれていった。
しばらくすると各所で起こっていた崩落や変異も少しずつ収まっていき、洞窟内には再び静寂が戻っていったのであった。