3話 ジスト鉱山
「はぁ、はぁ、はぁ……」
朝日がちょうど顔を出してきて鳥たちが声を上げ始める。
それ以外の音は何も聞こえないほど静まり返った森の中を、5人の男たちはひたすら歩いていた。
周囲はどこに目線をやっても背の高い木ばかりが乱立している光景が続き、草も鬱蒼としている。
こんな景色の森、闇雲に歩けばすぐに方向感覚を失って迷ってしまいそうだ。
そんな中で先頭を歩く男は時折視線を上に向け、何かを都度確認しながら歩みを進めている。
近くにある木の枝には何やら短いロープが巻き付けられており、それが等間隔で木に設置されている。
どうやら彼らはそれを目印にして迷う事なく進めているらしい。
5人のメンバーは先頭からガイル、若手3人衆、ウィルという順番で並んでいる。
全員軽装ながら、顔以外には露出の無い動きやすそうな装備をしており、先の4人の背中にはツルハシが1本ずつ。
最後尾のウィルはツルハシの代わりに大きな革製のバッグを背負っており、中には全員分の水と食料などの物資が入っていた。
今回、彼は洞窟の調査兼採掘としての任務に荷物持ちとして同行。
山脈の麓にある洞窟の入口までは、村から近いとは言っても距離自体は地味にあるため、夜明け前から村を出発してここまで歩いてきた。
先を行く4人たちは普段から漁を行っているような者たちだからか、数時間歩いてきた程度では全く疲れていない様子。
しかし、ウィルは村の中で小さな雑用仕事ばかりしかやってこなかったため、根本的な体力が4人とは段違いである。
重い荷物を背負って数時間歩いてきて、正直既にきつい。
思えば今まで村の外に出た経験自体もほとんど無かった。
「おいおい、ウィル君!
随分息が上がっているようだが、大丈夫かい?」
「いや、勘弁してくれよ。
まだ始まってもいないんだぞ?」
「何なら今からでも1人で帰ってもらっても良いんだが……」
3人衆は徐々に足取りが重くなり始めている最後尾に気づき、またいつものを始め出す。
「いえっ……!
すみません、大丈夫です」
ウィルも何のこれしきと、若干重くなり始めている体を無理やり奮い起こし、列に遅れまいとペースを戻す。
あんなに啖呵を切って何とか同行させてもらえたんだ。
こんな序盤の序盤で皆んなの足を引っ張るなんて、あり得ない。
「まぁ、あまり無理はするなよウィル。
本当にきつい時はちゃんと言うんだ」
「はい、ありがとうございます。
でも今回は僕頑張りますよ!」
「はははっ、まぁ気負わず付いてこい。
確かもうすぐだ」
ガイルは最後尾にいる彼を度々気にかけている。
このグループを率いるリーダーとして、今回全員の命を預かっている者としての責任がある。
そういった細かい気配りができる辺りから見ても、村民からの信頼が厚いのも納得と言えよう。
「ほんと……ガイルさんが優しい人で良かったなー?」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
村を出発してから数時間。
僅かに山を登り始めたところで、茂みの奥から突如として岩が露出した一帯が見えてくる。
「あそこだ。
…………?」
ガイルが足を止めて指を差した先には、周りの斜面の中に木々や植物に少し隠れるようにして存在している歪な形状の穴。
その大きさは大人5人くらいが横に並べるくらいだろうか。
洞窟の入口というものとして、大きいと言えばそれなりに大きいかもしれないが、これまで聞いていた話からすると少々威厳に欠ける印象だ。
これが希少な鉱石が沢山眠っていて、魔物も大量にいたというあの『ジスト鉱山』の入口?
「何というか……意外とそこまで大きいって訳じゃないんですね」
拍子抜け気味になっていたウィルは思わずそんな事を口にしてしまう。
正直、これの数倍もあるかのような大穴がパックリと口を開けてこちらを深淵に誘っている、そんなイメージを抱いていた。
「まぁ洞窟の入口なんてこんなもんだろ!」
「そんな大きいものばっかあっても困るからな」
「そんな事よりさっさと準備しろ……」
この3人衆だってここには今回初めて来たとの事だが、特に何も気にしていない様子。
それよりも早く掘りたくてウズウズしている感じだ。
「僕、もっと凄そうなのをイメージして……。
…………?」
そういえば先程からガイルが動いていない。
じっと入口を見つめ、どこかおぼつかない表情を浮かべている。
「ガイルさん?
どうかしたんですか?」
「……あ、いや、何でもない。
俺自身もここには久々に来たもんでな。
この辺りが変わりないか観察してたんだ」
ガイルは背負っていたツルハシを手に持ち替えながら答える。
それに続いて他の3人も背中の物を下ろし始める。
「そうなんですか。
僕は初めてなので、よく分かりませんが……」
入口の目の前まで来てみると、穴の内部へ風がほのかに流れていくのを感じる。
こことは別に、どこかの地上にも繋がっているのだろうか。
遠目から見た印象こそ大した事なかったように感じたが、いざ実際にその場に立ってみると、やはり吸い込まれそうな感覚を覚える。
「それにしても驚いたな。
本当に魔物の姿が綺麗さっぱり消えてやがる」
この時、ガイルは何ともいえぬ違和感を心に抱いていた。
従来であれば、この入口周辺でさえ数匹のゴブリンが蔓延っていたような場所。
そもそもここに近づく事すら今までは容易ではなかった。
それがまるで嘘だったかのように静まり返っている。
目の前の洞内も同様、静かすぎる。
ただそれよりも、彼の中には周辺の状況なんかよりもよっぽど気になっている事があった。
ここの入口、こんな小さかったか?
ここまで目印を追って来ているのだから、この場所なのは確か。
周囲の光景にも見覚えがある。
間違いなくここがジスト鉱山の入口だ。
それにしては前より入口のサイズが小さく感じるような……。
いや、以前だってそこまで大きい印象は無かった。
洞窟がそんな人が感じ取れるような短期間で変化を起こすなどないはず。
きっと、久方ぶりに訪れた事による気のせいだろう。
彼はそう捉える事にし、改めて周囲の安全が確認できたところで全員に告げる。
「よし、お前ら準備はいいか?
これより入洞する。
今のところ、危険は感じられないが、何か気づけば直ぐに報告しろ。
内部での隊列はここまで来た時と同じだ」
「「「はい!」」」
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洞窟内は当然ながら見渡す限りの岩、岩、岩。
どこを見ても岩石の壁が永遠と続く無機質な空間が広がっていた。
『坑道』と言っていいものなのか、その道幅は基本的には入口と同じく大人5人が横に立てる程だが、要所要所で広くなったり狭くなったりもしており、まさに自然の造形物といった感じだ。
ずっと一番広い一本道を歩いていると、所々に細い穴があちこちに蟻の巣のように点在している。
想像していたよりも大分広く底が伺えない。
聞こえてくるのは自分たちの歩行音や息づかいが洞内で反響した共鳴音。
たまに「ピトッ、ピトッ」という水滴が垂れる音も聞こえる。
その度に近くには鍾乳石のような物があるし、この辺りは地下水があちこちに通っているのだろうか?
ただ、そんな事よりもウィルは入洞以降、ずっと洞内の壁面が気になっていた。
「あの、洞窟の中って真っ暗じゃないんですね?
何か光ってるし……」
地上付近だったら当然外の光が多少は洞内を照らしてくれるだろうが、所詮そんなのは最初だけ。
少し歩けばたちまち光は届かなくなり、まさに暗黒の世界になってしまうのではと思っていたが、いくら進んでも自分の目には坑道の景色が確認できている。
それは壁面が僅かに発光しているからだった。
一定間隔の壁に淡い光を放つ何かが付着しており、ものすごく明るい訳ではないものの、歩く分には全く問題ない光量が確保されていた。
「これはヒカリゴケだ。
最近までここを根城としていた奴らが着けたものだろうな」
ヒカリゴケ。
ガイルの話では、どの森にでも生息する一般的な植物の一種で、日中の光を一定量蓄えておける蓄光性のコケらしい。
蓄えた光は夜や暗闇になると放出し、一度蓄えるとかなりの長期間持続できるらしい。
そして、ここを根城にしていた奴らとは……そう、ゴブリンだ。
自分も過去に負傷した苦い経験があるため、よく知っている。
その体は人間の子供のような身長をしつつも、ずんぐりとした独特の体型。
体毛の無いつるりとした暗い緑色の肌、長く尖っていて若干バランスの悪い大きな耳。
そしてギョロリとした黄色い目に、4本の指先に付いた鋭い爪。
魔物としては一般的に最も弱いとされている種類だが、魔物は魔物で油断は禁物。
力こそ大して強くはないものの、その動きは非常に素早くこちらを翻弄してくる。
その上で鋭利な爪で攻撃してくるのだから十分厄介な相手だ。
大体普通の人間であれば、ゴブリン1匹を対処するのに大人2〜3人は必要となる。
また、彼らは暗闇の中でも比較的目が見えるという。
どうやら夜間の森程度であれば平気で行動できるらしい。
だが、流石に完全な暗闇となると少々視覚が鈍るという事で、このように外から持ち込んだヒカリゴケを自らの住居に使用していたという事だ。
更によく見ると、何かの食べカスやゴミのような物が堆積している場所が至る所にある。
洞窟暮らしの中で出たゴミを一箇所に集める習性もあるのかもしれない。
力は弱いが、それ故にそこをカバーするために集団で暮らす様はまるで人間のようにも見える。
「なるほど……。
魔物と言えども、彼らもちゃんと生きているんですね」
何故か妙に感心してしまった。
あいつらはこんな所でも生きているんだ。
もし自分だったら、この環境で果たして無事に生きていけるだろうか?
「なーに魔物相手に真面目に感心してんだよ!?
ゴブリンだって流石にそれくらいの能力はあるだろ!」
「まぁ、お前と比べたら確かに感心してしまうのも分からんでもないけどな!」
「安心しろよウィル、ここにその好敵手はいないぞ?
あ、いや、むしろ格上か……」
「…………」
ガイルとウィルの会話を聞いていた3人は思わず吹き出しているが、言われている本人も何も言い返せずに俯いている。
「ははは、図星かよ!
まぁそこまで悲観する必要はない。
お前はせいぜい俺らの邪魔をしない事だけを考えておけば良いんだ。
それよりガイルさん、そろそろ良いんじゃないすかね?」
「ここまでずっと歩いてきましたけど、やっぱり何もいないっすよ!」
もうやっちゃいましょう」
「完全にもぬけの殻……。
単にどこか別の山に移住でもしたんじゃないすかね」
入洞からまもなく約1時間。
相変わらず岩石の壁がひたすら広がっており、ウィルも最初こそこの光景に感動していたが、次第に見飽きてきてしまっている。
危険な気配もやはり感じられない。
3人はそろそろ我慢の限界のようで、ツルハシを振りながら躍起になっている。
「全くお前らは......。
これが調査でもあるという事を忘れてないか?
......だが、確かに問題は何も見当たらなかったな。
洞内も今のところ異変はないし、報告のあった通り入口付近はおろか内部も魔物はいないと見える。
村への報告としては十分かもしれんな……」
という事で、調査は実に呆気なく終了となり、ある意味本命だった採掘作業へと移る事になった。
「っしゃあああああぁぁぁぁぁ!
掘りまくるぞおぉぉ!」
「ついにこの時が……!
ここに来るまで良さげな場所いくつかあったよな!?」
「ウィル、ちゃんと遅れずに付いてこいよ。
迷子になっても知らないからな……」
「っあ!
ちょっと、待ってくださいー!
走ったら危ないですようがっ!?」
「はぁ……」
そら来た待ってましたと言わんばかりに勢いよく走り出す3人。
それに遅れまいと必死に付いていこうとした瞬間に派手に転ぶウィル。
更にそれらに溜息を吐くガイル。
「あいつらを連れてきたのは失敗だったか……?
おい!
勝手に行動するな!」