24話 村への帰還
翌日。
洞穴で夜を明かした僕らは朝から海まで通じている川沿いへ戻り、ファスト村へ向けて歩き始めていた。
空は昨夜の悪天候が嘘だったかのように晴れ渡っている。
歩き始めて間もなく、風に乗って潮の香りが漂ってきた。
ここまで来れば村は大分近い、この分なら今日の昼頃には到着するくらいだろう。
最初に村を出てから何だかんだと数日が経ってしまった。
もはや僕は村では完全に死んだ扱いになっているはず。
これから、そんな状況の中にヒョッコリと姿を現すことになる。
皆んなにはどんな顔で会えば良いのか、未だ心の整理は付いていない。
しかも僕1人だけじゃない。
この、後ろにピッタリと付いてくる彼女を引き連れてだ。
あんな事を言って家族という形になってくれた彼女だけど、正直このまま2人で村に戻ったとしても、その後の事は特に考えていなかった。
あの村外れの小さな小屋で2人で住むというのは厳しいし、そもそも流石にそれは申し訳なさ過ぎる。
結果的にこうなった今の現状だけれど、今後の事はよく考えないといけないな。
…………で、それはそれとして。
この後ろにいる彼女。
今朝出発してから此の方、ずっと僕の背後1mくらいの距離感を常に保ちながら付いてきている。
どうして背後?
別に横に並んで歩いても良いんじゃない?とも思った。
しかし彼女曰く、背後にいた方が僕の護衛のためにもなると言って一向に譲ってくれなかった。
うん、全然落ち着かない。
ここ数日は本当に色々な事が起こり過ぎていて、頭の処理が全く追いついていない。
だけどある意味、今この時がこれまでの人生で一番落ち着かないし緊張している。
ウィルはそんな事を考えながら先頭を歩いていると、道端に落ちていた石に盛大につまづく。
「うあっ!?」
それは絵に描いたような派手な転倒。
上手く受け身をとらないと激しく地面に激突してしまう。
しかし、不意の転倒に僕はそんな余裕は当然無かった。
完全に転ぶのを覚悟し、反射的に歯を食いしばり目をキッと瞑ってしまう。
……が、いつまで経っても体に来るであろう衝撃が全くやって来ない。
それどころか、自分の体がその場で優しく包み込まれるかのように、フワリとした心地で止まったのを感じた。
……?
不思議に思いゆっくりと目を開けてみると、僕はものの見事に彼女の腕の中で抱き抱えられていた。
どうやらお陰で助かったらしい。
いや、いくら直ぐ後ろにいたからといって、普通今の一瞬でこんな体勢を取れる?
瞬発力が高過ぎるのでは?
「っと。
大丈夫でしょうか?
足元には注意して頂きませんと……」
ラティスはウィルを心配そうに覗き込む。
彼女の透き通るような顔が近づくと、僕は思わず照れ臭くなってしまった。
ここまで近くで顔を見たのは初めてだった。
改めて本当に整った顔をしている。
その場にいるだけで、周囲の空気がどんどん澄み渡っていくかのような感覚さえ覚えてしまう。
「っ!
ラティスさん……!
あ、ありがとうございま──」
「ウィル様」
彼女の名前を言ってお礼を告げようとしたところ、最後まで喋り終わる前に彼女がそれを止めてきた。
しかも、やや不機嫌そうな顔をしながら。
「うぐっ……。
ラ……ラティ……ス。
その……ありがとう……ね」
「はい。
お気になさらず」
そう言うと、彼女は転じて満足そうに笑顔で答えながら僕を下ろしてくれた。
昨晩の一件で僕ら2人の関係性は一変してしまった。
彼女の名前をこれまで通りの感じでウッカリ呼ぼうとすると、敬称なんて不要だと、すかさず訂正を入れてくる。
敬語を使おうもんなら即座に注意されてしまい、完全にタメ口で話さなければまともに会話が成立しなくなってしまったのだ。
こんなやり取りを今日は既に何度かしているが、これが全く慣れない。
元々村には自分より年下の子供はいた。
しかし、大半は年上の人間ばかりだ。
故に普段から敬語で話す癖が染み付いており、親もいない自分は目上の人に対してこんな口を利く機会なんて今まで無かった。
まして、相手は数千年生きるのは当たり前だと言われているエルフ族。
同じ人間の年上なんて比較にならない程の存在だ。
そんなのを前に、いきなりこちらが上の主従関係を意識した立ち振る舞いなど、そう易々とできるものではない。
彼女には「そのうち直ぐ慣れます」と言われたけど。
……本当に慣れるのかな。
「ところで、ラ......ティス。
これから僕の、人間のいる村に行く訳……だけど。
エルフがいるなんて話になったら大騒ぎになら……ない?
種族を隠すためにも、やっぱり頭もまたローブで覆った方が良いんじゃ……?」
ラティスは焦茶色のローブを身に付けたままではいるものの、頭部は脱いで素顔を晒した状態で歩っている。
彼女はエルフだ。
そのエルフ族は希少な種族。
優れた能力に加え、一際目に付く容姿。
そのお陰で少なくとも人種族の間では半ば幻の存在扱いになっている。
そんなのがフラっと、しかもこんな辺境のど田舎の漁村に現れたとなれば、村中が大変な事になりかねない。
ウィルは心底心配そうに話しているが、対してラティスはかなり落ち着いた口調で返す。
「確かに、昨日までの私なら迷わずそうしたはずでしょうが……。
今となっては何も問題ありません」
「?」
「ウィル様のお陰で私の魔力も無事に戻りました。
それにより自消術……通常の魔法も再び使用可能になりました。
今朝、洞穴を出立する以前から既に身を偽装するための魔法を展開しています」
「へっ!?
そうなんですか……じゃなくて、そうなの!?
いつの間にそんなものを……。
でも、僕からは普通のラティスに見えてる……けど?」
ウィルが驚いたのは無理もない。
そんな話を聞いていながらも、ウィルの目に映る彼女の姿は、紛れもなくエルフの容姿のままだからだ。
特徴的な長く尖った耳も当然見えているし、一体何が変わったのか全くわからない。
「当然です。
己の主たるお方に物事を偽る従者など、あってはなりませんので。
ウィル様には本来の私の姿のままですが、他者にはウィル様と同様に人種族の姿となって映し出されています。
ですので、この場も側からすれば、2人の人間がただ森を歩いているだけの光景に見えているはずです。
勿論任意の姿を見せる事も可能ですが、ウィル様と並ぶ際は同族として見せた方が良いかと。
……ですが、一応確認されますか?」
彼女がそう言うと、瞬く間にエルフの耳の見え方が変わり出し、一瞬で見慣れた人間の丸い耳になった。
「……っ!」
「これで私もウィル様と同じ人種族と変わりない外見かと思います。
ですので、どうかご安心下さい」
ラティスはそう淡々と説明をしていたが、ウィルは驚きを隠せないでいた。
いや、うん。
た、確かに、この見た目は僕と同じ人間だとは思う。
元々人間とエルフの見た目上一番の違いは耳の形状ではあったし。
それがこうなれば、誰がどう見ても人間。
……ただ、ここまで容姿端麗な人間が果たしているだろうか?という疑問も同時に湧いてしまった。
それがエルフ族だから、という前提と先入観があれば納得は当然できる。
しかしそれが同族として捉えるなら、ここまで綺麗な人種族となると、これはこれで別の意味で目立ってしまいそうだ。
もはや完全にどこかの国のお姫様……いや、それ以上かも。
そんな風に彼女の人間の姿に見惚れていると、ラティスは少々気恥ずかしそうになりながら再び姿を元に戻した。
「ま、魔法って……そんな使い方もできるんだ。
やっぱりエルフ族って誰でもそんな魔法を使えたり?」
「いえ、いくら我々でも皆が皆全てを最初から使える訳ではありません。
魔法の中には低級から中級、そして上級などと区分けが存在しています。
これは効果として顕現するものが強力であればあるほど、消費する魔力も増大していくものです。
例えば空間に小さな炎を宿して夜間の照明代わりにするようなものであれば低級のもの、そこに更に殺傷能力を持たせる程に巨大化させて攻撃に転用するものなどは中級といった感じでしょうか。
尚、今使用している『幻影』は上級魔法に属するものです。
大半の同族は中級魔法までは使えますが、上級魔法を使えるのは我々の中でも一部の者しかおりません」
な、なるほど。
魔法にも色々と種類があるんだな。
他者から視覚される姿を偽装する幻影魔法。
一見地味そうな印象を受けるけど、よくよく考えればとんでもなく強力な魔法なのでは?
もし悪用すれば、国を内部から転覆させる事もできそうだ。
姿を偽れる。
とてもシンプルだけど、敵に回すとなれば絶望感はかなりのものだと思う……。
ん?
でも、ちょっと待てよ?
「あれ、だけどそれって、消費する魔力が大きいって事、だよね……。
仮にこれからずっと一緒ってなると、基本的にはずっと展開しっぱなしって事になると思うんだけど。
それは……ラ、ラティスの負担になるのでは??」
そう聞くと彼女は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、その後小さく微笑んだ。
「ふふ、ウィル様はお優しいですね。
お気遣いして頂き光栄です。
確かに上級魔法ですので消費魔力がそれなりに大きいですが、そもそも私の魔力量であればしばらくは問題ありません。
私も300年ぶりに使えるようになった魔法の勘を色々と取り戻さねばなりません。
それに、そのうちどこかで対策もする予定ですし」
「そ、そうなんだ。
それなら良いんだけど……」
まぁ、魔法に詳しい彼女がそう言うなら、僕がこれ以上口を出すのも違うか。
「はい。
ウィル様が気にされる事ではありません。
里を出ている間に素顔を隠していたのは、元々は私が長らく魔法が使えなかっただけによる苦肉の策でしたので。
……我々を視界に入れるや否や、毎回のように騒ぎ立てられるのは敵いません」
「あぁー……。
確かに、僕らの世界ではエルフが現れたってだけで大騒ぎになるね……」
希少種族には希少種族の悩みがあるみたいだ。
自分らの里以外ではどこに出向いても目立ち過ぎてしまうと。
うん、確かにそれは面倒だ。
ラティスはこう言っているけど、もし僕にもできる事があれば力になってあげたいところだ。
……さて、話してるばかりじゃなくて先を進もう。
そろそろ波音もうっすらと聞こえてきた。
もう少しだ。
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海と間近に隣接し、40棟程の小さな木造家屋で構成されているファスト村。
この田舎の小さな漁村の中心地に座り込んでいる3人の男達がいた。
皆まるで魂が抜けたかのような表情で各々明後日の方角を向いている。
「はぁ、あんな目にあってやっとの思いで村まで戻ってきたってのに。
……くそっ!
どうして俺らは今こんな状況になってんだよ!?」
「あのふざけた状況から脱出するために掘り当てた魔石も鉱石も、何もかも全部置いてきた。
それだけでもクソだが、まさか帰ってきた途端にグレイウルフがこの周辺に出やがるなんて」
「お陰で村人総出で対処するために今は漁すら出れなくなっちまった……。
これじゃ金が手に入らない。
元々この今の暮らしを脱してやるための計画だったのに……」
これらはよくウィルにちょっかいをかけていた若男3人衆だった。
彼らがブツブツと不満を垂れていると、目の前に立っている建物から1人の男が出てきた。
その建物はこの村の中では最も大きく、石材と木材が使われている村長の住まいだった。
男は扉を開けて3人の姿が目に入るや否や溜息を漏らす。
「お前ら……まだそうやってるのか。
気持ちは分かるが、良い加減に切り替えろ。
今はあの魔物対処で手一杯なんだ」
男はそう言いながら、村周辺域の昨日の調査結果が書かれている紙をペラペラと捲る。
その表情は冷静さを装いつつも、若干の苛立ちが垣間見える。
しかし、3人は更に不満を吐き出し続けた。
「……ガイルさん。
やっぱり俺ら、納得できないっすよ。
ジスト鉱山であんなに頑張ったってのに、収穫を全て捨てて帰ってきて、その上今はこんな状況だ!」
「魔石も鉱石も全部無くなっちまった。
その上唯一の稼ぎである漁にも出れなくなるなんて!
……はぁ……それもこれも、全部あいつだ」
「あぁ、そうだ……。
冷静になればなるほど、後からどんどん腹が立ってきた……。
俺達はちゃんと仕事をしていたんだ。
全てはあいつのせ──」
「やめろ」
3人目がそう言いかけた時、ガイルが鋭い眼光と低い声でそれを制した。
3人衆は思わずビクッと体を震わせる。
「今はそんな事を言っても仕方がない。
それはお前らも分かっているだろ。
今この辺りに出没しているのはグレイウルフだ。
奴らはたまに現れていたゴブリンなんかとは危険度が違う。
あれは村の者全員での対処が不可欠なんだよ。
いや、今はまだ発見されているのは単体だが、今後複数ともなっていけば事態はこの村だけの話じゃなくなってくる。
それに、俺らはウィルがあの場にいたからこそ、今こうしてここにいるんだ。
忘れたのか?」
「「「…………」」」
ガイルのその言葉に、3人は何も言い返せずにただ地面を見ながら黙り込んでいる。
ガイルとこの3人が村に戻ってきたのは、ウィルと別れてから1日後の事だった。
あれから無事に地上に出れて村まで何とか一同帰還できたはいいものの、各々気持ちの整理を付ける前に今度は村周辺の森でグレイウルフが目撃されたという話が飛び込んできた。
普段、ファスト村近くに出没する魔物と言えばせいぜいゴブリン程度だった。
大人10人も充てれば一介の漁村民でも十分対処可能な相手だが、今回現れたのはそんなゴブリンが束になって掛かるようなグレイウルフ。
到底ただの人間が10人程度では手に負える相手でもなく、漁を一時中断して村全体での対応に当たる事態となってしまっていたのだ。
「ったく、分かったらさっさとお前らも今日の見回りの準備でも始めておけ。
……あいつの死を無駄にしないためにもな」
苦虫を噛み潰したようにそう告げたガイルは、自身も午後の巡回に向かうべく他のメンバーに声を掛けに行こうとする。
しかしその時、村の広場から騒がしい声が聞こえてきた。
視線をその方角に送ると、何やら沢山の村人が集っている。
「……何だ?」
「ガイルさーん!!!」
すると1人の村人が大声を出しながら、大慌てでこちらに走ってきた。
「どうした?
騒がしくして。
まさか、また出たのか!?」
「い、いえ、それとは別件で。
その……戻ってきたんですよ!」
「?
何がだ?」
「ウィルですよ!
ウィルがついさっき、ひょっこり帰ってきました!」
「「「!!!???」」」
村人のまさかの発言にガイルは自分の耳を疑った。
驚きのあまり、10秒くらい言葉が何も出ずその場に立ち尽くしてしまう。
しかし、それ以上に驚愕していたは後ろの3人の男だった。
「は、何を言ってるんだ!?
帰ってきた時にも話したろ!
あいつはあの時、俺らを逃して、それで……」
「よく分かりませんが、とにかくこっちに来て下さい!」
村人に促されるがまま4人は広場に向かうと、そこにいたのは確かにウィルだった。
ウィルは4人にも気づき、一瞬戸惑った顔をしながらもヒラヒラと手を遠慮気に振った。
「あっ……皆んな......。
ただい──」
「ウィル!!
本当にウィルなのか!?」
ガイルが勢いよくウィルに駆け寄った。
「おい。
まさか、本当にかよ!?」
「あぁ、間違いねぇ!」
「あいつだ……」
その背後では3人もウィルの姿をしっかりと視認して驚いている。
しかし、彼らの表情はガイルのそれとは違う感情に支配され始めていた。
「ガイルさん……!
はい、ちゃんと僕ですよ。
良かった、ちゃんと戻っていたんですね」
「こいつは驚いた……。
俺は夢でも見ているのか?
何がどうなってるんだ。
ぶ、無事だったのは良かったが……。
一体あの状況からどうやって!?」
ガイルのこの反応はまさにウィルの予想通りのものだった。
「と、とりあえず落ち着いて下さい。
まぁ色々ありましたが、一先ず僕はこの通り無事ですから」
ウィルがなだめるように話していると、脇からズンズンと歩み寄ってくる、あの3人の姿が視界に入ってきた。
「あ、皆んなも無事だったんですね。
良かっ──」
「ぅおいっ!
ウィル!!!
何で、どうしてお前がここにいる!
お前はあの崩落に巻き込まれたはずだろ!?
どうやってここまで戻ってきた!?」
ウィルが3人も無事だった事に安堵するように声を掛けようとした瞬間、彼らは目の前に立ち塞がるように迫り、先頭の体格の良い1人がウィルの胸ぐらを掴んで怒鳴り声を上げた。
彼らにはこれまで散々と弄り倒されてきていたウィルだが、この時の彼らは今まで完全に見たこともない、憎悪に満ちた表情をしていた。
「……っ!?」
突然の出来事に顔を青ざめながら混乱するウィル。
真相を直球で問い立たされるが、その答えを待つ間もなく背後の2人も続いた。
「いや、今はそれよりもだ。
なぁ、ウィル。
あの時はよくもまぁ俺らをあんな危険な目に晒してくれたな?
確かに、俺らはあの時お前に助けられたかもしれないが、元はと言えば荷物持ちだったお前がチンタラしていたからだろ?
お前がもっとキビキビ動いて洞内の異変にも気づいていれば、最初からあぁはならなかった」
「生きていたのは別に良いさ……。
だけどよ、それならそれで一発くらい殴らせろよ……。
お前のお陰で何もかも失っちまったんだからな……。
何のために俺らがあんなに頑張ったと思って……」
胸ぐらを掴んでいる1人に加わるように他の2人もそれを囲うように移動していき、それぞれウィルの両腕をホールドした。
すると鋭い形相でウィルを総出で睨みつけ、不適な笑みを浮かべた。
彼らはウィルよりも年上で身長も高い。
そんな3人に抑えられては自力で振り解く事など不可能だった。
「え、そ、そんな……!
確かに僕は役に立てなかったかもしれませんが、僕は皆んなが無事に村に戻れて良かったと思ってて──」
「うるせぇ!
俺らがこんな辛い思いでいるってのに、1人呑気な面して平気で戻ってきやがって!
お前には本当にウンザリだよ。
何もできねぇ癖にいつもいつも前に出しゃばって、結局失敗して周りに迷惑しかかけねぇよなぁ!?
最弱も大概にしやがれ!
この……クソ野郎が!!!」
「おい!
何してる!?
よせっお前ら!!!」
「っ……!」
ガイルは咄嗟に叫びながら3人を引き剥がそうとしたが、それと同時に先頭の1人は聞く耳を持たず行動に出た。
力強く握り締めた拳を大きく振り被り、全力でウィルの顔を目掛けて殴りかかった。
ウィルはいくら体を動かそうとしても全く脱出できず、ただただ迫り来るその拳を受け入れるしかなかった。
──が、その時。
殴りかかった男の腕が、突然隣に現れたように見えた長身の人物の手によって掴み止められる。
同時に、ウィルを左右から抑え込んでいた2人の体は大きく吹き飛ばされた。
「ぐあっ!?」
「がはっ!?」
「くっ!?
何だ!
誰だ、お前!?」
男はあまりの一瞬に起こった不思議な現象に混乱し、一体何が起きたのか分からずに額に冷や汗を滲ませた。
気づけば左右にいた仲間が吹き飛ばされ、自分の渾身の殴りは最も容易く止められたからだ。
ガッチリと力強く掴まれた腕は、振り解こうにも全く微動だにしない。
それどころか、握り込まれる力は徐々に増していき、次第に男の腕がミシミシと鈍い音を立て始めた。
これには思わずウィルを掴んでいた手を離してしまい、膝を地面に付きながらその痛みに低いうめき声が口から漏れ出た。
男は村の人間の中ではそれなりに力に自慢があったが、それだけにこの目の前に現れた対象には直ぐに畏怖の感情が湧き始める。
「……っ!?」
この騒ぎに周囲一帯は騒然とする。
ガイルも驚きの表情をしているが、この状況の中で最も別の意味で驚愕していたのはウィルだった。
そんな中、男の腕を握り締めながら長身の女が静かに口を開く。
「私は今し方この村に訪れたばかりの新参者だ。
故に、ここの内情などは当然ながら知る由はない。
君らが今、どうしてそこまで感情を剥き出しにしているのかもな」
「な……何なんだよこいつ!?
まさかウィル、お前が連れてきたのか!?
く、くそっ、腕がぁ……!」
男は痛みに耐えつつ必死に腕を振り解こうとするが、次の瞬間。
女から身が引き裂かれるような強烈な威圧感が放たれ、ウィルを除くその場にいる者全員が寒気を覚えた。
そして、男をまるでゴミを見るかのような目で、女は一際低い声を放った。
「だが。
それ以上聞くに堪えない戯言をウィル様に放ってみろ。
同じ人種族という括りでありながら、このお方とこうも天と地の差を感じさせるとは。
……私もこんな感情を抱くのは久方ぶりだ。
なぁ……おい?
今ここで、その減らず口を頭ごと刎ねてやっても良いんだぞ?」
そう言いながら女は腰の剣に手をかけ、その刀身をゆっくりと外に晒し始めた。
「っ〜〜〜!!!???」
男はあまりの恐怖に目に涙を浮かべ、声にならない悲鳴を出す。
口をパクパクと動かして必死に何かを喋ろうとするも、一向に言葉は出てこない。
そして唯一出てきたのは、声ではなく、下半身からの生暖かい液体だった。
周りの村人はただただその場を見ているだけで精一杯になっており、ガイルでさえ、ここに口を挟められる程の勇気は出なかった。
しかし、その背後にいたウィルが女に向かって声を上げる。
「ちょ……ちょっとラティス!?
駄目だよ、そんなの!!」
すると、既に刀身を半分ほど抜きかかっていた彼女の手がピタリと止まった。
「っ!
し、しかし……!
この者らはウィル様を酷く侮辱しました。
私としても、これを看過する訳には……!」
「僕は大丈夫。
驚きはしたけど……この人達とはいつもの事だし、何より僕はまだ殴られてもいないよ。
ちょっと体を抑えられただけだ。
だから、その手をどうか話してあげて」
「……っ」
すると、ラティスは掴んでいた腕をようやく離し、男はヘナヘナと脱力したように地面に崩れ落ちた。
「で、出過ぎた真似を。
大変失礼を致しました。
ウィル様がそう仰るのであれば……」
ラティスは一度ウィルに深々と頭を下げる。
すると、今度は再び座り込む男に視線を向けた。
先程までの殺気に近い威圧感は大分消えているが、まだ若干の片鱗が残っている。
「……ヒッ!?」
それに男は再び顔を引き攣らせて身を引こうとするが、どうやら腰が抜けてしまって動けなくなっているらしい。
必死にその場から逃げ出そうとするが、どんなに頑張っても立ち上がれない。
そんな非常に情けない様を前に、ラティスは氷のように冷たい声で吐き捨てた。
「このお方の寛大なご配慮に命拾いしたな。
これに懲りたら、今後は二度とそのようなふざけた態度は見せない事だ。
もし、再び愚行に及ぼうなどすれば……。
次は無いと思え」




