23話 ストール家の幕開け
「これまで無礼、何卒ご容赦下さい。
改めまして、ティファーラスを故郷と致します。
ハイエルフ、真名を『ラティス・ノーベント』と申します。
此度の私をお救い下さいましたこの御恩、今後の生涯片時も忘れることはございません。
謹んで、この身と生涯の全てをウィル・ストール様に捧げ、忠誠を尽くすことをここにお誓い申し上げます」
「……………………へ?」
これまでの彼女とは思えない程の仰々しい態度と台詞が飛び出し、ウィルの思考が完全に止まる。
頭の整理が全く追いつかず、途端に変な汗がどんどん吹き出してくるのを感じた。
ハ、ハイエルフ?
聞いた事のない種族名だけど、エルフとは何が違うんだ?
そして本当の名前……。
『ノーべ』というのは名前の一部だったのか。
何だろう、どことなく凄く格式高いものに聞こえる。
それに何より、まさかこんなに流暢で丁寧な言葉遣いもできたなんて。
これまでずっと良く言えば凛々しい、悪く言えば男みたいな荒々しい喋り方だったから、それだけにとんでもないギャップを感じてしまう。
……いや、それよりも。
御恩とか忠誠って何!?
どうしてそうなるの!?
「えっと、ノー……。
いえ……ラ、ラティスさん。
一体全体どうしたんですか、突然そんなに改まって?」
「たった今、申し上げた通りでございます。
私はあなた様にこの身を救われました。
我々エルフ族にとって、魔法とは己の第二の手足のような身近なもの。
それを長年封じられるというのは、魔法を扱う者にとって、いかほどの苦痛であるか……。
しかし、そんな悪夢のような日々にウィル様は終止符を打って下さいました。
これはもはや、この命を救って頂いたも同然でございます。
ウィル様に出逢っていなければ、きっと今後も永遠にあのような身で長い余生を過ごしていた事でしょう」
ラティスは姿勢を一切崩さず、絶えず人が変わったかのような口調で淡々と述べる。
「と、とりあえず頭を上げて下さい!
ラティスさんの魔力が戻ったのは恐らく融合の影響でしょうけど、僕自身はそこまで大した事は何もしていませんよ」
ウィルがワタワタと焦りながらも頭を上げるように促すと、彼女は短く会釈を返してゆっくりとその顔を上げるが、その表情は紛れもなく真剣そのものだった。
相変わらず透明感のある蒼眼を見開き、こちらをジッと真摯な眼差しで見つめてくる。
「いえ、これは紛れもなく、ウィル様のお力添えの賜物でございます。
……少なくとも私にとっては、それだけ絶大な救いだったのです。
かかる上は、私もこの御恩に生涯を賭して報いなければなりません」
「いや、でも……。
それで僕に生涯の忠誠だなんて。
流石にちょっと大袈裟というか……」
「それだけではございませんよ」
「……?」
その時、それまでずっと真面目な顔付きだったラティスの表情が一瞬崩れ、僅かに口角が上がる。
「先程お見せ下さいました、あの未知なるお力。
あらゆる魔法に精通しております我々でさえ、あのようなものは未だかつて見聞きした事がございません。
人種族の身でありながら、これまでの私のあらゆる想像や常識を次々に覆していく事象の数々。
これらには、ただただ心を揺さぶられました。
そして何よりあの時のウィル様は、まさにこの私を私以上に引き出し、御使いこなして下さるお方でした。
この身もそれなりに魔法や剣の腕を培って参ったつもりでおりましたが……。
そんな私に、己の浅はかさを恥じ入ってしまうほどの力量を示しても下さいました」
「いや……だから、僕はそこまで……」
ラティスは依然として鋭い眼光でこちらを直視し続けており、その目には一切の迷いが無いように見える。
ウィルはまだ言葉では抗おうとする姿勢を見せながらも、その気迫に満ちた表情を前に、彼女が冗談を言っているようにも到底思えなかった。
「従者や使用人など、どのような形式でも構いません。
身の回りのお世話役などは勿論、もしご不満とあらば、奴隷の如く扱い頂いても喜んでお受け致します。
ウィル様が今後何かご決断なされる際、このラティス・ノーベントを盾にも矛にもお使い下さいませ。
ですから何卒、私をお足元に置いて頂く栄誉を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。
もし、この身がウィル様のお役に立てるのでしたら、これに勝る喜びはございません。
どうかっ!」
「……っ!」
ラティスはそう言うと再び頭を深々と下げた。
ウィルはそんな彼女を眺めながら、ただただ圧倒されるしかなかった。
本当に、本当にこんな事が許されるんだろうか。
こんな僕なんかに、仮にもあのエルフ族が下に付こうだなんて。
人間がエルフを従える。
そんな話は世界中に聞いても前例なんて当然無いはずだ。
あまりにも恐れ多すぎて、思わず萎縮してしまいそうになる。
……だけど、彼女の力は絶大だ。
元々凄い実力の持ち主だったし、魔力が戻った今となれば更にとんでもない事になっているんじゃ?
それに融合すれば、僕自身もできる事の幅が無茶苦茶に広がるのは明白。
例えば火を扱う魔法が使えるだけで、人の村での生活は劇的に変化するだろう。
空気を操る操気にしても、風を利用した船を作れれば漁の環境だって一変するかもしれない。
いや、それだけじゃない。
他の魔法も色々な事に応用できそうだし、単純に剣に優れた彼女が近くに居てくれれば、村周辺の警戒だって一気に楽になる。
ただの漁村の中だけで育ってきて何もできなかった僕が、まさかこんな事態になるなんて今まで夢にも思わなかった。
彼女は何やらかなりの覚悟を決めてくれているらしいけど……。
別に僕は権力や名声とか富とか、そういうのが欲しい訳じゃない。
ただ誰かの役に立って、皆んなが笑顔になってくれさえすれば、それで良い。
今までずっと最弱だった僕には、それで十分だ。
ラティスさんの、この仰天するような申し出にはひっくり返るような衝撃を受けた。
正直、どう答えてあげるのが正しいのかは分からない。
だけど、この彼女の真剣な気持ちを否定してしまうのは駄目だよな。
誰かを笑顔にしたいなら、まずは目の前にいる1人を笑顔にできなくちゃ。
「これで2度目ですよ、ラティスさん。
顔を上げて下さい」
「し、しかし!
それでは……!」
その言い出しにもしや断られるのかと勘繰ってしまったのか、ラティスは焦りの色を滲み出した表情で咄嗟に顔を上げた。
しかし、その視線の先には微笑みを見せるウィルがいた。
「僕、ほんと大した事ない弱い人間ですよ。
それでも良いのなら……改めて、これからよろしくお願いしますね。
ラティスさん」
「……っ!
ありがとう……ございます……!
必ずや、ご期待に沿うべく尽力致します」
そう言って彼女は三度頭を深々と下げた。
ウィルはそれを見届けると、小さく笑みを溢した。
「あ、でも、従者というか、そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。
今まで通りにしてもらえれば良いですし、まして奴隷みたいな扱いなんて絶対しませんよ!?」
「……?
その温かいお言葉、心より感謝申し上げます。
しかしながら、この身は既にあなた様の御下へと預けられました。
故にこれまでのような関係性では、私としてもウィル様への忠義を示すことが叶いません。
御遠慮なさる必要はございません。
ウィル様からのご命令とあらば、いかなる事柄でも謹んで拝承致します。
どうか、この身をどのようにでもお使いいただければと存じます」
……うーん。
どうやらこの姿勢を崩す気は毛頭無いらしい。
本当にどこまでも義理堅い性格だ。
やや頑固なところもあるけど……。
彼女がここまで言うなら、僕はその意志を尊重してあげた方が良いだろう。
一応もう話自体は了承しちゃったし。
いやでも、こんなにへりくだり過ぎられてるのも僕も調子が狂うんだよなぁ。
受け入れつつも何か良い方法はないものか……。
そうしてウィルはしばし沈黙しながら考えていたが、しばらくするとハッとしたように口を開いた。
「分かりました。
じゃあ……僕の家族になってくれませんか?」
「!?
家族、でしょうか?
それは一体どのような……。
家族とは最も親しき間柄になるという事ではないでしょうか……?」
いきなり飛び出した突飛な発言にラティスは唖然とした表情を見せる。
「そうですね。
文字通り、そのままの意味です」
「いや……流石にそれでは……」
ラティスが言葉を濁すが、ウィルは更に続ける。
「僕、実は家族が今まで居なかったんです。
あの村でこれまで育ってはきましたが、元々は近くの森に捨てられていたみたいで。
小さい頃は皆んなよくしてくれたんですけど、大人になるにつれて何もできない無能っぷりが徐々に露呈し出してきて……。
それで次第に僕も遠慮するようになっちゃって、それからは村で一番離れた所にある小屋でずっと1人で暮らしてきました。
だから、家族っていうものに少し憧れがあって……。
僕らの今後はラティスさんの考えているような主従関係でも構いません。
でも、せめて形だけでも、家族っていうものになってくれたら……その、嬉しいというか」
下を俯きながら、やや照れくさそうに話をするウィルを前に、ラティスはしばらく戸惑いを見せていたが、次第にその表情には決意が現れ出す。
「はっ。
ウィル様からの記念すべき初の御命令です。
大変恐れ多いお話ではございますが、この私でも宜しいのでしたら、喜んで拝命させていただきます」
「……っ。
ありがとうございます!」
そう言うと彼女は笑みを見せた。
やっぱり眩しすぎる笑顔だ。
中々見せない表情だけにそう感じるんだろうか。
それにしても、こんな自分でもどうかしていると思ってしまうようなお願い事。
内心は断られるつもりの方が大きかったけど、どうやら受け入れてもらえたみたいで本当に良かった。
彼女はただの命令として受けているのかもしれないけれど、別にそれでも良い。
僕の、初めての家族と言える存在ができたんだから。
……まぁ、それはそれとして。
堅い!
さっきから彼女の受け答えが堅苦し過ぎる!!
今後ずっとこんな感じで行くの!?
とてもじゃないけど、こんなんじゃ僕の方がこの先保つ自信が無い!!!
「と、ところで、その丁寧過ぎる言葉遣い......どうにかなりませんか??
僕としては、できれば今まで通りの接し方でも良いんですけど……」
これに彼女は思わずキョトンとした顔になる。
一体何を言っているのか?とでも言いたげな表情だ。
がしかし、即座に切り替えてバッサリと斬り捨てるように言った。
「いえ、いくらウィル様のご要望であっても、そのお気持ちにはお応えしかねます。
家族とは言え、主従のけじめはしっかりとつけるべきかと存じます。
……それと、ウィル様。
今後私に対しては、これまでのような振る舞いや敬称といったものは不要でございます。
私の事は単にラティスとでもお呼び下さい」
なっ!?
や、やっぱり頑固だ!!!
「ぐ……な、ならせめて!
せめてもう少し肩の力を抜いた喋り方をしてくれると嬉しい、です……」
それでもラティスは中々譲らない様相を呈していたが、最終的には観念したように静かに言葉を返した。
「……分かりました。
善処しましょう」
こうして、最弱の人間に付き従うは才能に溢れる魔剣士エルフという、世界的にも過去に例が存在しない異色の2人組が生まれた。
彼らはいつしか『ストール家』として名を馳せていく存在となっていくが、それはもう少し先の話。




