22話 ラティス・ノーベント
先程までのバケツをひっくり返したような大雨はいつの間にか止んでいたが、夜空には依然として分厚い雲が永遠と広がっていた。
そんな中、早速融合を試してみるべく、ウィルとノーべは一旦外へ出てきていた。
2人は数mの間隔を空けて向き合うように立っているが、それぞれの表情はまるで別物をしている。
人間の方は何か強い覚悟を決めたような顔立ちだが、対してもう1人のエルフは酷く葛藤しながら足元に視線を置いたままでいる。
ノーべとしては、ウィルの強い働きかけによって思わず一緒に立ち上がってしまったものの、やはりまだどこか気が進まない様子だ。
しかしかといって、せっかくの彼の気持ちを無下にするのも申し訳ないという感情も渦巻いている。
本当に良いのだろうか。
確かにあの不思議な能力は未知数。
にわかには信じられないが、本当にそんな事が可能なのだとすれば……。
仮にこの機会を逃せば、もはや他の道を新たに見出せるかどうかも分からない。
だが……。
そんな目まぐるしい思考を幾度も繰り返しながら、ノーべは心に抱いていた懸念をウィルに尋ねる。
「その、こちらこそ本当に良いのか?
人型の種族ではまだ試していないんだろう?
ましてこのような呪われの肉体。
ウィルの方にこそ、何らかの弊害を与えてしまうかもしれないんだぞ?
もしそうなった時は、私は……」
ノーべは珍しく緊張した口調で心配そうな眼差しを向けている。
しかしウィルは、そんな彼女の不安を払拭させてあげるかのように、再び笑顔を見せて言った。
「そうなったらそうなった時です。
大丈夫、今はノーべさんの呪いを解く事だけを考えましょう!
じゃあ、いきますよ。
もし不快な感じがあったら直ぐに言って下さい」
「……あ、あぁ、分かった」
ノーべは最後まで煮え切らなかった様子だったが、何とか覚悟を決めるとそう答えた。
その言葉を聞き届けたウィルは静かに深呼吸を1度し、それを発動させる。
【融合】
ウィルが彼女との融合を果たすイメージを脳内で描く。
すると、ノーべの体は輝くような青白い光に包まれていった。
「っ!?」
思わず目を背けてしまいたくなる程の光量。
今までの融合時でも素体が光に包まれるという挙動は同じだったが、今回はその比ではないくらいに眩いものだった。
やがてそれはきめ細やかな粒子状の光となり、ウィルの方向へと漂い流れ始め、主体へ溶け込んでいくかのように取り込まれていく。
彼女であった光の粒子が全て取り込まれると、ウィルは不意に「ドクンッ」と体の内側で大きな鼓動が走ったのを感じた。
直後、瞬く間に初めて感じる不思議な感覚が勢いよく全身を駆け巡っていく。
何だこれ、体の奥から溢れるように湧き上がってくるこの強いオーラは……。
繊細で力強い、だけど優しさも感じ取れる。
嫌な感じは全然しない、むしろ安心する。
こんな感覚は今まで初めてだ。
これが、ノーべさんの…………魔力?
そんな感覚を覚えた同時刻、ウィルの体も同じように輝き出す。
それはまさに天変地異の如く、更に強烈なものだった。
2人が立っていた場所の半径100m程の範囲はとてつもない大光量に晒され、その様子は闇に閉ざされた夜の森がまるで一瞬昼間に戻ったかのよう。
付近の至るところで既に眠りについていた小鳥たちは、この突然過ぎる昼の再来に驚いて一斉に慌ただしく飛び立っていく。
何も知らない者が側から見れば、完全に神か何かが地に舞い降りたと思い込んでしまっても不思議ではない光景だろう。
そんな神妙な光は徐々に減退しながら、それまで存在しなかった新たなシルエットを形作っていく。
やがて光が完全に収まると、体表周囲に風を纏いながら、腰にロングソードを1本携えた1人の姿が現れた。
その数秒後には纏っていた風も霧散していき、ソレはゆっくりと目を開く。
「…………ん」
段々と意識がハッキリしてくるのが分かる。
更に10秒程経つとウィルは完全に我に返り、その瞬間思い出したかのように周囲と自身の体を急いで確認する。
「……よ、よし。
見たところノーべさんの姿は消えている。
体もちゃんと1つだ。
うん、変な違和感も特に無い。
これは……成功、したのか?」
融合が一先ず無事に済んでいる事を確認すると、両手を何度も閉じたり開いたり、軽く体を動かしながら新しい融合体の感触を確かめる。
「この体、何だか動きやすい……。
一気に身軽になったような感覚だ。
何でだろう?
全体的に……細くなってるから?
それに視界もまたかなり変わってる。
今度は……高くなったのか?」
ウィルがそんな違和感を覚えたのは無理もない。
身長が明らかに伸びているのだ。
元々少し小柄な体格であったウィル本来の身長は160cm程度だったが、今のこれは恐らく180cmはあるだろう。
ノーべはかなりの長身で190cm程であった事から、これはかなり彼女側に寄っている。
体型も彼女のそれに非常に近しいものとなっており、全体的にスラっとした細く均整のとれたシルエットに変化していた。
更にノーべ譲りの恐ろしく整った中性的な顔立ち。
耳はエルフ特有の尖った耳をしてはいるものの、その長さは本来のものよりも大分人間寄りの短いものをしている。
髪型はウィルの短髪のままから変わっていなかったが、その色は本来の焦茶色からノーべの雪のような白銀色に染まっていた。
そして、最も変化の特徴を捉えているのがその双眼。
左目はウィルの茶色い瞳を残し、右目にはノーベの透き通るような蒼色の瞳と、1つの肉体にそれぞれ2人が共存するかのように顕現している。
このあまりに変化に富んだ融合体の姿に、ウィルは思わず息を呑んでしまう。
「これは凄い……!
今までの融合も全部驚きはしたけど、こんなに変化に富んだ融合体は初めてだ。
自分が自分じゃないみたい。
本来の素体に宿っていた魔力が絶大だからかな?
何というか、融合体に反映される素体の解像度が高いような気がする」
よし、とりあえず僕の方は大丈夫そうだ。
そしたら……。
一通りの確認が済むと、ウィルは自分の中にいるであろう、もう1人に恐る恐る声を語りかけてみる。
「えーっと……ノーべさん?
聞こえますか?」
【……ウィル?
そこにいるのか?】
すると、体の内側から彼女の声でハッキリと返答が響いてきた。
どうやら念話も問題なく働いているようだ。
「……っ!!
はいっ、一緒にここにいますよ。
何とか無事に成功したみたいです。
融合体自体の問題は無さそうなんですけど、そっちは何か嫌な感じとかは出ていないですか?」
【そうか。
まさか本当にこんな現象を体験するとは……。
嫌な感じというのは特に無い。
いやむしろ、何だこの妙に落ち着くような神秘的な感覚は?
こんなのは初めてだ。
身も心も温かなものに全身を包まれているかのような、一種の心地良ささえ感じる】
それを聞いたウィルは思わず胸を撫で下ろした。
よ、良かった……。
今までの経験上、多分大丈夫だろうとは思っていたけど、どうしても確認が持てなくて内心かなり心配だった。
彼女の声の様子から、本当に問題は無さそうだ。
これで分かったけどこの融合、恐らく種族は問わないんだな。
それにしても、融合って素体側からすればどんな感じなんだろう。
落ち着くとか、包まれるような心地良さとかって彼女は言ってるけど。
……そういえば最初に会ったゴブリンもそんな事を言っていた気がするし、グレイウルフは特にそれらしい事は話していなかったけど、今覚えば途中からやけに素直な態度に豹変していたようにも思える。
まぁ、ただでさえ不思議とも不気味ともどっちにも捉えられる能力だ。
素体に不快感が無いならとりあえず良しとするか。
「そうですか、それを聞いて安心しました。
見たところ体には僕ら2人の特徴がちゃんと出ているみたいですし、ノーべさんの特性はこれで既に引き出せるはずです。
もう凄いですよ、この体!
今まで試してきた魔物や動物と比べ物にならないくらい、力がみなぎっている感じがするんです」
【そ、そうなのか?
そちらに害が出ていないのなら、私も一安心だが……】
「よし!
これであとは融合を解除して、ノーべさん自身の魔力が戻っていると良いの──」
……………………?
ウィルが途中まで話していたその時、遠くからただならぬオーラがいくつも漂ってくるのを感じた。
何だ?
離れた場所で何かが走っている。
その様子が頭の中に、まるで目で見ているように伝わってくるこの感覚。
ハッキリとは分からないけど、多分これは……魔力?
ウィルは目を閉じ、その感覚に意識を集中させてみる。
すると伝わってくる情報が更に明快になってきた。
これは……こっちに向かってきている?
数も1つだけじゃない、複数だ。
1、2、3、4、5、6......7。
この中で6つは同じ気配をしている。
そして、最後のもう1つ。
一際デカいのがいる!
「ノーべさん、何か来ています……」
【あぁ、恐らく魔物だろう。
この辺に潜んでいた奴に勘付かれたか】
どうやらノーべも既に感じ取っていたらしい。
魔物も大なり小なりの魔力は持っているとされる。
それを遠距離から感じ取れるスキル。
これがいわゆる『魔力探知』っていうものなのか?
ゴブリンやグレイウルフでも何となく感じていたこの感覚だけど……。
やっぱりノーべさんとだと、これも全然レベルが違う!
集中すればするほど、相手の事が手に取るように分かる。
何だこれ、便利すぎじゃないか。
それに、この内の6つの気配。
これはもしや……。
次第に前方からは激しい音が耳に入ってくる。
地を力強く蹴り上げる地鳴りのような音、木がバキバキと薙ぎ倒されていく音。
本来であればこんな状況、迫り来ている相手が何なのか、わざわざ確認する前に一刻も早く逃げ出すようなもの。
しかし、ウィルは全く動じずに突っ立ったままでいる。
そんな彼に対してノーべがやや気を揉むように声を掛ける。
【ウィル?
どうした?
相手の魔力を感じているなら分かると思うが、少々厄介そうなのが来ている。
君の実力は私も知っているが、取り巻きの数がやや多い。
ここは一旦引いた方が賢明だと思うが】
「いえ、大丈夫です。
そこまで強そうでもないですし、何より他の6つの相手。
あれはさっき、グレイウルフで僕も倒した相手です。
まさか更にこんな数がいたのはビックリしましたが……。
この辺には村もありますし、そもそもこのまま放っといたら今後が危険です」
そうこうしていると、こちらに向かってきていた集団の姿が遂に見えてきた。
「ブヒイイイイイイィ!!!」
「ブヒイイイイイイィ!!!」
「ブヒイイイイイイィ!!!」
けたたましい咆哮を上げながら走ってくるのは、大きな岩のような見た目をしている四つ足の獣。
長い牙を2本生やし、随所に苔を生やした灰色の硬い体表を持つ巨大猪。
ロックボアーだ。
ただでさえ1匹1匹が大きい岩の塊のようなロックボアー。
そんな相手が集団で森の中を猛進してきたため、彼らの通ってきた背後には全ての木々が薙ぎ倒され、破壊し尽くされた道がまるで荒野のように広がっていた。
「やっぱりあれか。
あんなに木々を倒しちゃって......。
やっぱり危険な魔物なんだな。
……それに、あの真ん中にいる奴」
1匹だけでもかなりの威圧感ながら、その中に一際大きな存在感を放つ個体が混ざっていた。
体表は他よりも暗い色をしており、所々に見せる艶やかな質感はまさに岩石の鎧の様相を思わせる。
そして、驚くのはそのサイズ。
通常のロックボアーの倍以上はあるであろう更なる巨体だ。
足を進める度に聞こえてくる地鳴り音の重みも、他とは明らかに違う。
【あれは……『ボルダーボアー』か!】
ノーべが驚いたように声を上げた。
「ボルダー、ボアー?
あの大きいのですか?」
【あれはロックボアーの亜種だ。
通常個体を遥かに凌ぐ巨体と疾走力、そして数倍以上の硬度を誇る頑丈過ぎる皮膚が特徴の魔物だ。
更に自身の牙を己の肉体同様に変異させ、突進時の破壊力を更に増すことも可能だったはず。
私も遭遇したのは久方ぶりだが、あれは滅多に姿を現さない種のはず。
……先日から感じていたが、この短期間でこの規模の樹林帯では通常あり得ないような魔物の蔓延り具合。
一体この地域で何が起きている?】
なるほど。
きっとこいつらがジスト鉱山のある山脈の奥に元々住み着いていた本体群なのかもしれない。
この最近の一連の出来事の全て。
恐らく全部が、その水の魔物って奴が出現した事が元凶だとしたら。
…………。
「そうなんですか。
そんな存在なら、ますます放ってはおけませんね。
そのうち山に帰ってくれるなら良かったんですけど、かなり気が立っているみたいだし、もはやそんな事を言っていられそうにもないみたいです」
個々がいちいち大きいロックボアーと、それの上をいくボルダーボアーがいっぺんに襲ってきている状況。
それはもはや、見上げるような巨大な壁が猛スピードで眼前に迫ってくるような光景だ。
巨大な壁はみるみるうちに距離を詰めてきて、既にそれらとの距離は数百mにまで差し迫っていた。
しかし、ウィルは顔色一つ変えずに猪突猛進してくる壁に対してゆっくりと歩み始めた。
そんな行動を見せ始めた彼に、ノーべは思わず口を挟める。
【ウィル、待て!
先程も言っただろう?
君を疑っているつもりはないが、流石にあの頭数は危険だ。
ロックボアーだけならまだしも、あのボルダーボアーと全てまとめてとなれば、私でも少々手間取る。
やはりここは一度引いて態勢を──】
「ノーべさん、少し剣借りますね」
その言葉が聞こえ、ウィルが鞘から刀身を抜いた、次の瞬間。
ノーべは言葉を失い、そして……息を呑んだ。
ロックボアーの鼻先まではまだ僅かに残っていたはずの距離が瞬く間に詰められ、次に気付いた時には1頭目のロックボアーの頭部が既に体から離れ始めていた。
岩のように硬く分厚い皮膚に覆われれいる首元が綺麗に刎ねられ、真っ平に見える綺麗な切り口からは勢いよく鮮血が吹き出す。
そのあまりに見事な切断面は美しすら感じてしまう程であった。
首が回転しながら宙を舞い、10mくらい飛ぶとその勢いも落ち、地面に対して落下を開始しようとする。
あまりに一瞬の出来事。
が、ウィルはその首が地に落ち切る前に、次々と他のロックボアーの首も刎ねていく。
1頭目を刎ねてから即座に2頭目。
流れるように3頭目、4頭目、5頭目……。
最終的に1頭目の首が着地すると同時に6頭目を刎ね終えると、刀身に付着した血を振り切りながらウィルは足を止めた。
「……ふぅっ。
な、な、何だこれぇぇぇーーー!!!???
めっっっっっちゃくちゃに強い!
体が尋常じゃないくらいに速く動かせる!
ノーべさんっ、やっぱりノーべさんは凄いですよ!
普段からこんな事ができるんですか!?」
ウィルはそのあまりの衝撃っぷりに、1人雄叫びを上げるように感動している。
しかし、衝撃を受けたのはノーべも同様。
いや、それ以上だった。
【…………は、何だ、今のは!?
刹那の一瞬でロックボアー6頭全てを討ち取った!?
し、信じられん。
それに今のは......私ですら圧倒されるような見事な太刀筋だった……!
ウィ、ウィル!
君は……剣術も心得ていたのか!!?】
ノーべが初めてその綺麗な声を震わせながら問うも、ウィルは至極当然かのようにバッサリと答える。
「いえ?
剣を握ったのは今が生まれて初めてですよ?
……あ、言ってなかったんですけど、この融合ってその体の使い方が直ぐに分かるんですよ。
説明が難しいんですが、融合した時点で素体の全てをまるで自分も最初から持っていたかのような、そんな感覚なんです。
でも、実際に振るってみて分かったような気がします。
この剣の腕は、ノーベさんがこれまで本当に長い時をかけて磨き上げてきたもの。
剣を扱う者ならきっと全ての人に誇れる、本当に素晴らしいものだと思います!」
ノーべは絶句した。
こ、こんな事が……。
これはもう『強い』なんて単純な言葉のみで推し量れる次元などではない!
私の力量をそのまま使っているだけ、そんな言い方をウィルはしているが……。
ウィルの振る剣は、私の剣など……とおに超越している!
それに今の動きは、私の操気そのものの様だった。
しかしこれは……自消術も精霊術も……まだ何も使っていなかった!?
私も融合しているからだろうか、ウィルのやっている事柄がこの体を通して私にも分かる。
間違いない。
単純な身体能力のみで私の操気の如く速度で移動し、その上で私を凌駕する剣を見せた。
こ、こんなもの……。
「ギュギイイイイイイィーーー!!!」
一瞬にして取り巻きを倒された事にボルダーボアーは驚きの様相を見せ、一度は立ち止まっていた。
しかし、しばらくするとロックボアーを遥かに凌ぐ大咆哮を放ち、再び猛烈な突進を開始。
その一歩一歩が小規模な地震を発生させる勢いだ。
驚いた事にその最中、全身に妖しげな赤黒い光を帯びたかと思えば、その大きな2本の牙先までもが硬い岩石のそれに変化していった。
元々迫力の有り余っていた牙が更に強靭なものになり、これを正面から受ければ例え人間でなくともタダでは済まないだろう。
「あれがその牙を変異させるってやつか。
確かにあれに巻き込まれちゃ、ひとたまりも無いな。
見た目も普通のやつより硬そうだし。
…………よし、僕もやってみようっ」
ウィルは呼吸を整えながら目を閉じると、肉眼では捉えられないソレらを探し始める。
すると、周囲を漂う大小様々な独特の魔力体がいくつも点在しているのを感じた。
いた、これだ。
ごめん、君たちからも少し借りるよ。
『 【精霊術:操気】 』
すると突然、四方八方から重く分厚い魔力のベールが流れてきた。
途端に大量の風が吹き荒れ、一瞬にして体の周りには竜巻のように渦巻く風柱が形成される。
凄い。
これが……精霊の魔力?
確かに普通の魔力とはまた全然違う、独特な雰囲気だ。
普通の魔力は温かさや冷たさみたいなものを感じるけど、こっちはあまり温度っていう感じじゃないんだな。
でも、これなら……。
うん、色々な事ができそうだ!
ウィルが左手を宙に向かって軽く開く。
するとまた新たな風が生まれ始め、それらは手の平の上に集まり、圧縮されていく。
圧縮、圧縮、圧縮。
限界までそれが繰り返されていった結果、次第に先端が尖った細い棒状の風塊が形成されていった。
例えるならば、まさに風の槍である。
完全に槍の形が完成し、軽く手を前方に差し伸べると、風槍はボルダーボアー目掛けて一気に放たれた。
操気で制御する別の風に乗せられた風槍は猛烈な速度を発揮し、まさに音速の如く爆発的な加速で一直線に飛んでいく。
この一連を見ていたノーべは、胸に内にこれまで以上に心を打たれる感情が湧いていた。
……精霊術は我ら種族以外が使うのは前代未聞のはずだが、こうもアッサリと。
それに流れてくる魔力も通常と違う。
普段よりも更に強力で尋常じゃない魔力量。
本来これだけの供給を一度に受ければ精霊は間違いなく影響を受けてしまうが……何故かその兆候が見られない。
これは……今繋がっている精霊自体も何らかの昇華の影響を受けているのか!?
しかも、操気自体も当然のように私以上の腕。
同族であっても精密な風の操作には少なくとも100年はかかるものを。
まさか操気にこんな使い道があったとは……。
私ですら考えた事も無かった……。
こんなもの、もはや……この人は。
──私を、私以上に使いこなしてくれるお方──
時間にしておよそ0.3秒。
その理不尽なまでの一瞬の間に風槍は対象の頭部に命中。
ボルダーボアーはなす術もなく下半身まで貫かれた結果、その巨体には綺麗な風穴が生まれた。
既に絶命しているものの、突進の勢いだけが未だ残ったままの亡骸は無機質にただただ地面を滑っていき、こちらの目と鼻の先まで迫ってきた所でようやく停止した。
気が付けば雨は止んでおり、轟音が鳴り響いていた夜の森には再び静寂が戻っていた。
周囲には大量の倒木と、それを起こした魔物の亡骸があちこちに散らばっている。
「……ふぅ」
ウィルは静かに息を吐き、ゆっくりと剣を腰の鞘に納める。
そして融合体の両手をまじまじと感慨深そうに見つめていた。
「で、できた。
今のが操気……。
風を自由自在に操れるなら、別に体や剣を乗せて加速させる以外にも色んな使い方がある。
セシアがやってた事を少し応用して実践してみたけど、やっぱり思った通りだった。
これなら今みたく遠距離からの攻撃もできる!
ノーべさんっ、見様見真似でやってみたんですけど、今の使い方ってどうでしたか!?
もし何処か改善点があれば……。
…………あれ、ノーべさん???」
彼女からの応答が無い。
何度声を掛けても結果は同じであり、ウィルはどんどん不安の念を抱いていった。
もしやこれは、あのグレイウルフの時と一緒では?
激しく戦い過ぎて素体に何かの悪影響が出た!?
初めての凄まじい融合体にすっかり夢中になってて完全に失念していた。
考えている暇は無い。
一刻も早く……!
【融合解除】
ウィルとノーべの融合体が光に包まれ、2つに分離していく。
完全に分離が終わると、光は弱まっていきながら双方のシルエットを形成していき、やがて2人の姿が現れる。
目を開いたウィルは急いでノーべの姿を目で探したが、何と彼女は隣で普通に立っていた。
向こうも目をゆっくりと開く。
少し拍子抜けしたが、その様子を注意深く見つめる。
だが、特にフラフラしている訳ではなく、どこか具合が悪そうな素振りを見せている訳でもない。
「……?
な、何だ、良かったぁ。
ちゃんと無事みたいですね。
少し心配したじゃないですか」
「……………………」
一先ず安心したウィルはそう声を掛けるが、それでも彼女からの応答は無いままだ。
やや下に視線を落としたまま、ずっと黙り込んでいる。
ウィルは再び不安になってくる。
えーーー……。
な、何でずっと黙ってるんだ!?
何か気に触る事でもしちゃったのか!?
もしや、僕の今の戦い方があまりに雑だったとか!?
そういえば剣の扱い方、よくよく考えればかなり適当ではあったはず……。
まさかそれに怒っているとか!?
……っ!
い、いや……。
今はそれよりも、まずは確認してもらわなければいけない事があった。
「えっと、ノーべさん。
その……肝心の魔法はどうなりました?
魔力……戻りましたか?」
ウィルが恐る恐る質問を投げかける。
すると、ピクッと僅かに体を震わせた彼女は、ゆっくりと右手を軽く上げて凝視する。
そのまま10秒程の沈黙が続いただろうか。
「……………………っ!」
その後、ノーべは大きく目を見開いて声にならない声を上げた。
ウィルはその様子を絶えず固唾を飲みながら覗き込んでいたが、次の瞬間。
ノーべは固まったまま1滴の涙をその蒼い瞳に浮かべ、頬を伝って落ちていった。
これを見てしまったウィルの表情は、久方ぶりの絶望に近いものへと変貌する。
「えっ!!!?
そんな、もしかして、やっぱり駄目でしたか!?
ご、ごめんなさい!!!
あぁ、僕は何て取り返しのつかない事を……!
何て謝罪すれば良いか!
そ、そうですよね。
いくら何でも、やっぱり僕のこんな意味分からない力で本当にノーベさんを助けられる訳が──」
「──います」
「?」
ウィルが顔を真っ青にしながら完全にパニック状態になっていると、ノーべは依然として下を俯きながらも、ようやく捻り出すように何かを口にした。
それはこれまで常に堂々とした口調で物事を話していた彼女にはとても珍しい、非常にか細い声だ。
そのため、何を言っているのかがよく聞き取れなかった。
「……ノーべ、さん?」
そんな彼女を案じるように、顔を少し覗き込むように声を掛けるウィル。
するとその時、急に足元に違和感を感じ始める。
気になって地面に視線を送ると、何やら白いモヤがどこからともなく漂い始めていた。
ん、何だこれ?
冷たい。
これは……冷気?
急にこんなの、一体どこからやって来て……。
「っ!」
地面に突然現れたこの謎の冷気に戸惑っていた次の瞬間、ウィルは信じられない光景を目の当たりにする。
2人が立っている半径50m程の範囲に、何かキラキラとした細かいものが上空から降り注ぎ始めたのだ。
フワフワとゆっくりとした速度で地に舞い降りてくる、幻想的でとても綺麗な白い色を放つ光の粒子。
よく見てみると、それらは何と小さな小さな氷の結晶だった。
先程ウィルが使った激しい操気によって、その場の上空を漂っていた分厚い雲が遠くへ払われてしまった事により、月光が夜の森を照らし始める。
すると、2人のいる空間にはまるで煌びやかなダイヤモンドが降り頻るような、何とも夢幻的な光景に様変わっていった。
これは雪!?
そんな、今は雪が降るような季節じゃない。
いや、というか、そもそもこの辺は滅多に降らなかったはずだけど。
……もしや……この現象は。
「戻って……いますっ!」
何の前触れもなく突如として発生した不思議な現象。
なぜ、今、この場で、こんな事が起こったのか。
この原因を何となく悟ったその時、ノーべが声を震わせながらも力強くそう言った。
そんな彼女の右手には、融合時に見たような青白い光がうっすらと宿っていた。
これにはそれまで1人大慌てしていたウィルも、唖然としつつも思わず笑みが溢れてしまう。
「…………ふふっ。
呪い、治ったんですね。
やっぱりノーべさんは、使う魔法も綺麗です」
「はい、未だに信じられません......」
途端に全身から力が抜けたように、ホッと心の底から安堵するウィル。
良かった。
泣き顔を見た時は生きた心地がしなくて、もうどうなる事かと……。
これで彼女も長かった呪いから解放されて、これからはもっと伸び伸びと生きていけるはずだ。
本当に良かった!
……………………ん?
ちょっと待て。
さっきからノーべさんの様子がおかしいような?
何というか、口調が……。
そんな最中、次に彼女が言い放った言葉にウィルは自分の耳を疑う事になる。
「ウィル様」
「……え、さ、様?」
呼ばれたのは自分の名。
それだけだったら至って普通だった。
だが、それに付いていた語尾にウィルは全身をビクッとさせた。
状況が全く整理できず、思考が回らなくなっていく。
するとノーべはキッとした凛々しい表情を取り戻し、何やら姿勢を落とし始める。
ゆっくりと片膝を地面につけたかと思いきや、次いでは頭を深々と下げたのだ。
ウィルは彼女が一体何をしようとしているのか全く理解が及ばない。
「えっ、急にどうしたんですか!?」
この急激なまでなよそよそしさを突然出し始めた彼女に、ウィルは完全にオドオドした態度丸出しになってしまっている。
しかし、ノーベはそれに全く動じる気配は無い。
そのまま静かに目を閉じ、その言葉を放った。
「これまでの無礼、何卒ご容赦下さい。
改めまして、ティファーラスを故郷と致します。
ハイエルフ、真名を『ラティス・ノーベント』と申します。
此度の私をお救い下さいましたこの御恩、今後の生涯片時も忘れることはございません。
謹んで、この身と生涯の全てをウィル・ストール様に捧げ、忠誠を尽くすことをここにお誓い申し上げます。
「……………………へ?」




