21話 ノーベの過去とウィルの覚悟
「私は自消術、魔法を扱えない身なんだ」
「え?」
淡々とした口調ながらも、どこか淋しげに遠くを見つめながら明かした彼女の言葉にウィルは固まる。
「そ、それってどういう事ですか?
エルフは2つの魔法を使える種族なんですよね?」
「あぁ、それはその通りだよ。
すまない、言葉が少々足りなかった。
魔法を扱えないのは私だけだ。
もっと正確に言えば、今の私は魔力を蓄えておく事ができないんだ」
「……?」
何だ、それ?
ノーベさんだけが魔法を使えない?
魔力を蓄えておけないって?
しかも今の、っていう事は以前までは普通に使えていたのか?
この突飛な話を聞いたウィルの脳内には混乱が目まぐるしく広がっていく。
元々魔法の類はからっきしな事もあり、考えようにも理解がまるで及ばない話だ。
最初は彼女が何かの冗談を言っているのかと思いもしたが、この状況でそんな冗談を口にするとも思えない。
事実、あの戦闘で彼女が何がしかの魔法を使っているようには感じなかったし、あの河原で逢って以降もそれらしき仕草は見られなかった。
それが何よりもの証拠なんだろうか。
しばらくウィルは何と言葉を返せばいいものか難しそうな顔をしながら考え込んでいたが、そのうちノーベが鼻で笑った。
「ふっ、別にそこまで深刻そうな顔をしてくれなくても良いさ。
なに、今に始まった事でもない。
以前までは私も普通に扱えていたんだ。
……もう、かれこれ300年程前になるがな」
「さ、300年!?」
ノーベがさも当たり前かのようにボソッと口にする。
当の本人は特別顔色を変えずに述べた様子だ。
しかし、その年数字に人間のウィルは思わず硬直してしまう。
300年……。
エルフは魔法に長けた種族であるが、それと同時にとんでもなく長い寿命を持つ種族でもある。
別にその話自体は以前本で読んでいた。
でも、現にこうしてエルフを前にして会話して、その中で自分では到底考えられない時間の単位をこんなにアッサリと述べられてしまうと、実感というのは全く湧いてこない。
改めてとんでもない種族だという事実を思い知り、どこか戦慄に近しいものを感じるウィル。
「随分と顔が引き攣っているが、ただの種族の違いなだけだろう?」
「いや……驚かない方が無理がありますよ!」
「ふむ……そんなものか」
ウィルの態度を意外そうに見つめていたノーベだったが、一呼吸を置いて彼女はゆっくりと語り始めた。
「……私はここより遥か南の大陸中央部に位置する『シルフィム』という広大な樹林帯から来た。
多種多様の動植物たちが複雑な生態系を形成している、今いるこの地域よりも果てしなく広がっている温暖な森だ。
更にその奥地に存在しているのが、我々エルフ族の住まう里『ティファーラス』。
とても深い森の中に位置している場所だが、その分他種族の目にも止まらず、とても平和な里さ。
私の故郷でもある」
「南大陸にはそんな場所が......!
しかもエルフの里ですか……!?」
ちなみにウィルはこれまで他の大陸に渡った経験は無く、自分が住む村の周辺でさえあまり外に出た記憶は無い。
せいぜい村近辺の森で採集をしたり、村人の手伝いで周辺各村を少し回った程度だ。
外の世界に興味が無い訳ではなかったし、ノーベの様に世界を旅するという夢も子供の頃は本を読みながらに考えた事はあった。
しかし、小さなファスト村の中でさえ、まともに生活するだけで精一杯だったため、いつしかそんな事を考える時間はめっきり無くなっていた。
それだけに、彼女と会ってからの時間というものは全てがウィルには新鮮だった。
目にするもの、耳にするもの、感じるもの全て。
『百聞は一見にしかず』とはまさにこの事で、いくら本を読み漁ろうとも、実際に見聞きするものとは違う。
しかも長年に渡り、まことしやかに囁かれているエルフの居場所についての話が出たのだから、それはもうウィルの目は輝きに満ち溢れていた。
勿論、そんな情報をこんな自分に話して良いものなのか?という不安もあったが、好奇心の方が上回ってしまった。
一体どんな所なんだろう、いつかこの目で見てみたい。
ウィルはそんな羨望の眼差しで彼女の話を聞き入ってしまっていたが、反してノーベは溜息混じりに話を続ける。
「だが、事は300年前に起こった。
里の付近で、ある厄介な新種の魔物が発見されたんだ。
あの様な奇形なものはそれまで前例が無かったが、その時は里の民総出で対処に当たった。
……それが今の私の始まりだったな。
アレはこの世の摂理に反するような異様な能力を持っていた。
剣でいくら斬り刻もうと瞬く間に再生し、かといって魔力で攻撃しようにも一向にダメージが通る気配もない。
むしろ後者は攻撃を与えれば与えるほど奴の魔力が増していった。
奮闘こそしたが、我々は相手を撃退するのに精一杯だった。
そんな中、私の不注意で民の1人が狙われ、それを庇った私は奴に一時取り込まれてしまった。
そして驚くべき事に、奴には触れたものの魔力を自らのものへと変換する能力があったんだ。
結果的には周りの援護もあって奴の包囲から脱する事は叶ったが……私は魔力の大半を奪われてしまった」
「そ、そんな……事が。
まさかノーベさんのようなエルフでも太刀打ちできない魔物が存在するなんて。
もしかして、それで今も魔法が使えない状態にあるって事ですか?」
「……そうだ。
私とて決して全能な存在などではないよ。
それからしばらく経ってから私は里を一旦離れ、この打開策を探すための旅をしていたんだ。
まぁ結局、確かな手掛かりは未だ見つかっていないんだがね」
ウィルはノーベに興味本位で魔法への憧れの気持ちを投げかけていた昨晩の自分を恥じた。
これはとんでもない事だ。
彼女はそんな事件があって魔法を使えなくなってしまったのか。
しかも300年間も。
これは僕の人生3〜4回分に相当する時間。
それだけの長い間、魔法に長けたエルフでありながらそれを使えない状況が続いてきたなんて。
ノーベさんは基本澄ました顔をしている人だけど、僕にはきっと想像できない程の苦悩に苛まれてきたに違いない。
……だけどその魔物の話、どこかで聞いた事があるような気がする。
「そう……だったんですか。
魔力って失うと回復はしないものなんですか?」
「いや、そこがあの魔物の不可解な能力の一部でもあるんだが、通常魔力とは枯渇しても時間経過で回復はするものなんだ。
魔力を使い果たして魔力切れの状態になれば一定期間は行使不可能にはなるものの、休息を取れば時間はかかるが無くなった魔力は再び元の水準に戻る。
それがそれまでの常識だった。
だが、奴には一度取り込んだ対象の魔力特性を変質させる呪いのような性質を兼ね備えていたんだ。
一度取り込まれた私は、それからいくら時間が経過しても魔力が元に戻らない体になってしまった」
「え?
それって要するに……常に魔力切れの状態って事じゃないですか!?」
「まぁ、そうだな」
尚も顔色一つ変えずに返答した彼女にウィルがギョッとする。
信じられない。
魔力切れって魔法を使う人にとってはすごく深刻な状態なんじゃないのか?
セシアもロックボアーと戦ってから、かなり具合悪そうな様子に見えていたけど……。
だけど彼女は今こうして平然と話をしている。
おまけにさっきまであんなに激しい戦闘だってしていた。
「あの、魔力切れってしんどくないんですか?」
「ん?
そりゃあ確かに大分辛いものだよ。
魔法を扱う者にとって命取りの状態である事には変わりないからな。
だが、それも長く続けば嫌でも適応するもの。
100年くらいはかかってしまったが、精霊術の力さえあれば何とか戦闘も可能な域に漕ぎ着けた」
「え……。
な、なるほど?」
つまりは長い寿命でのゴリ押しによって何とかしたと。
つくづく規格外の種族だとウィルは唖然とさせられる。
「その呪いみたいな状態っていうの、どうしても治せないんでしょうか」
「先も話した通り、これまで散々探したが今のところ有効そうな手段は見つからなかった」
やはりか……とウィルは肩を落とす。
が、ノーベは更に続けた。
「私の見立てでは、恐らくこの呪いの正体は対象の魔力を制限する類のものだ。
実際に他人の保有魔力を制限する『規制魔法』というのは存在しているが、そもそも腕の立つ上級魔法士でもなければ行使はまず不可能。
且つその上で、多人数による複雑で同時の展開が必要になる極めて強力な術だ。
付与された者は文字通り魔力を発せなくなるが、その効力も何も未来永劫続くものではない。
魔法とは行使する者が存在するから起こり得るもの。
つまり術者が居なくなりでもすれば、同じようにその魔法も消え失せる。
あの時、里に現れた奴は私の魔力を奪ってから忽然と姿を消した。
あれから長きに渡って私達は捜索したが、一向にその足取りは掴めていない。
だが、消えてはいない。
……いるんだよ、まだこの世界の何処かに。
あの全体が水で構成されている異質な魔物が」
「っ!」
彼女のその言葉を聞いた瞬間、ウィルの脳裏につい先日聞いた会話が蘇る。
ジスト鉱山で崩落に遭い、あのゴブリンと初めて融合した、あの時だ。
それは洞窟内にある日突然現れ、次々と同族たちをその体内に取り込んでいったという『水の魔物』。
まさか、それが??
勿論、実際に確かめてみない事には真偽が分からない。
でもゴブリンと彼女の双方で言っている相手の特徴は確かに似ている……。
「少なくとも奴を倒さない限り、この呪いは解けないはずなんだ。
だが……運よく遭遇が叶ったとて、今の私では対抗するのは難しい。
それが現状最も有効そうな手でもあるんだがな」
「ノーベさん……」
「まぁそれか、この呪いをも無効化するような、まさに神の如き力で私の魔力を引き出してくれる手段でもあれば、話はまた変わってきそうだが。
……ふっ、まるで御伽話だな。
これだけの期間をこのような身で過ごしていると、たまにそんな浅はかな思考に浸ってしまう時がある。
弱くなったな、私も」
「…………っ」
その時、それまで座って彼女の話を聞いていたウィルがハッとしたように勢いよく立ち上がった。
そ、そうだ!
何で思いつかなかったんだ!
今の僕には、これがあるじゃないか!
「……ウィル?
どうした急に──」
いきなり血相を変えて顔をジッと見つめてきたウィルにノーべが驚いて声を掛けるも、それを遮ってウィルが言った。
「ノーベさん。
もしかしたらそれ、僕が何とかできるかもしれません」
「……!?
な、何を言っている?
私はこれまで長く探ってきた。
だが、今話したように手段はほぼ無い上に、その唯一ある手段でさえ絶望的なんだ。
それなのに人間の君が、私を?
一体どういう……」
ウィルが唐突に放ったこの言葉に彼女は明らかに困惑している。
これまで見たことのない表情だ。
だがそれでも、ウィルは彼女から目を離す事なく続ける。
「さっき、ここに来る前に少し話しましたよね。
僕のこの力について」
「た、確か、その不思議な、ゆう......ごうというものか?
私でも見聞きしたことのない摩訶不思議な能力だった。
なぜ人間の身でありながら、そのようなものを身に宿しているのかずっと疑問だったが……」
「そうです。
これは融合する対象が持っている力を何十倍、いや何百倍以上にも引き上げて自分のものとして使う事ができます。
実はこれまで4回ほど試してみたんですが、そのどれもが全部同じ結果でした。
もっと言えば対象が本来持ち合わせている素質や才能を更に昇華させ、それらを余すところなく引き出してくれる。
きっとこれがこの力の正体なんです。
正直これまでは魔物と動物でしか試せていなくて、人間や他の種族に対してはまだどうなるか分かっていません。
もしかしたら何らかの害を与えてしまうかもしれない。
そんな思いもあって今後どう向き合っていこうか、ずっと悩んでいました。
……でも、少しでも可能性があるのなら、僕はこの力をあなたの為に使いたい!
何の確証も保証も無いですけど、こんな僕を助けてくれたノーべさんを、今度は僕に助けさせて下さい」
「……ウィル」
ノーべがそのサファイアのような瞳を大きく見開き唖然とする。
あまりの急展開ぶりに思うように言葉が出てこない様子だ。
そんな彼女にウィルは、今できる最大限の笑顔と真剣な眼差しを向けて言った。
「だから、僕と融合してくれませんか?」




