19話 銀髪蒼眼のエルフ
「悪いが、ここで仕留めさせてもらう!」
「……っ!!」
ウィルの思いも虚しく、ノーベは再び戦闘態勢へ移行。
刀身を右肩付近にまで持ち上げ、その鋒を見下ろすように構えた。
同時にこれまでよりも一層強烈な殺気も放ち始める。
「そ、そんな!
僕は本当に何も、ただノーベさんと話がしたいだけで……。
お願いします、話を聞いて下さい!」
「君に私の通常の剣技が通用しない事はよく分かった。
恐らくもう不意打ちを与える事すら叶わないだろう。
ふっ、全く……長生きはしてみるものだ。
もはや手の内を温存している場合ではない。
全力で行かせてもらう。
……すまないが、また借りるぞ」
ノーベは少し苦笑したような様子を見せ、一度深呼吸をして意識を集中させる。
すると、周囲の環境に変化が起こり出す。
それまで2人が発する音しか聞こえていなかった森が一斉にざわつき始めたのだ。
ウィルは一体何事かと驚くが、すぐにそれの正体が風の音だと理解する。
草木が仕切りに強く揺れ始め、それまでの静かだった森の面影は既に無くなっていた。
「え、何?
森が急に嵐みたいに……?」
風は刻々と勢いを増し、次第にそれらはノーベの周囲を纏うように集まっていく。
激しく入り乱れる空気の流れは、ついには彼女を取り囲む渦として形成される。
そして気づけばウィルには向かい風、ノーベには追い風の環境が整っていた。
「これは何かの魔法?
やっぱりノーベさんも使えるのか。
まぁ今更不思議ではないけど。
でも、これって確かどこかで?
…………っ!」
体全体を気流が包み込み、まるでノーベ自身が風に成り変わったかのような風貌。
そんな様子を見ているうちに、ウィルはハッとした。
そうだ、僕はこの光景に見覚えがある。
つい先日の出来事。
グレイウルフの群れに襲われた際、咄嗟にどこからともなく彼女が現れ、あいつらを一掃したあの時と全く同じだ。
空気を操作するような魔法……。
確かセシアも似たような魔法を使っていた。
でも、その時とは明らかに次元が違う。
セシアは自身の身の周りの空気だけを手元に集めていたような印象だったけど、彼女はそういうレベルじゃない。
もはや、この森全体の空気を動かしているかのような規模だ。
魔法ってこんな事もできるのか!?
それに強い殺気に加えて、この身の毛もよだつ雰囲気。
間違いない、彼女は何か仕掛けてくる。
このとてつもない気迫に押される感覚がそれを物語っている。
「たった1人相手にここまで力を使わせるのも心苦しいが……許してくれ。
一瞬で片をつける」
『 【精霊術……操気ッ!】 』
すると一際大きな強風が発生。
そんな光景が見えた気がした、次の瞬間。
彼女の姿が一瞬にして消える。
「えっ……」
何が起きたのか思考を巡らそうとするも、気づいた時には既に眼前に刀身が迫っていた。
ここで融合体となったウィルの脳裏に本当の意味で初めての危機感が訪れる。
この力を手にして以来、ウィルは初めて全力と言える程の動きを見せた。
獣の体全身に瞬間的に爆発的な力を解放。
全身全霊で融合体を操り咄嗟に身を捻る。
「くっ!!!!!」
まさに間一髪。
直後、巨大な風の塊が真横を猛烈な速度で通り過ぎていくのを感じ、同時に顔の頬辺りから痛みが走る。
宙には一部刈り取られた灰色の体毛が舞い、頬に生まれた線状の切り口から血が流れ落ちる。
「っつ……」
通過していった風はウィルの後方で停止。
再び姿が視認できるようになったが、ノーベは驚愕していた。
「な…………避けた?
今のを回避しただと!?
そんなはずはっ!」
「……」
そんな彼女の心情の無視するかのように、ウィルはただその場で血を流しながら立ち尽くしている。
圧倒的な彼女の全力を目の当たりにし、今度こそ絶望に打ちひしがれていた。
…………訳ではなく、思いの外冷静に今の一撃を分析していた。
今のは危なかった、少し掠っちゃった。
速い。
いや、もはや速いっていうレベルなんかじゃない。
彼女の動きが急激に変わった。
さっきまでの攻撃とは比べ物にならないスピード。
どうしてこんな急に……?
跳躍なんてしてる暇は無かったから、最小限の体の動きで出来そうな捻る動作を全力で行った。
何とかそれで助かりはしたけど、完全には避けきれなかったな……。
流石に今のは死んだかと思った。
相変わらず主体だけだったらと思うと、ここまで既にもう何回死んでるんだろう?
……それにしても全身に纏っているあの風。
魔法の真意が分からなかったけど、今のを受けて少し分かった気がする。
一見体全体に渦巻いているように見えるけど、よく見ると足や手の付近に一際強い風が集中している。
恐らく風自体は剣の威力を上げているようなものとかではない。
きっともっとシンプルな……。
「信じられない……。
操気と合わせた私の剣を、ただ掠らせる程度で済ますとは……。
一体どうなっている!?
いくら動体視力が並ではないとは言え、流石にこれを初見で見切るなど!」
これまでどんな状況でも常に冷静沈着だったノーベだったが、初めてその脳裏に焦りが見え始める。
しかし同時に、ウィルの顔を見ればそれが全く通用しない訳ではない事実にも気づく。
「……だが、どうやら血はしっかり流れるらしい。
それが分かっただけでも幸運だ。
このまま強引にでも押し斬る!」
ノーベが再びウィルに斬りかかる。
驚くべき事に速度がまた僅かに上がった。
あまりに現実味が湧かない機動性を持って迫る彼女。
その姿は音を置き去りにし、疾走する彼女の軌跡には白いモヤと衝撃波が発生していく。
その光景は、ウィルがホワイトファルコンとの融合で試した急降下時に起きた現象と酷似していた。
まさに音速のスピードに身を乗せ一気にウィルの懐へ移動、そのまま全力で剣を振りかざす。
が、まるで既に読まれていたかのように寸前で躱わされる。
再び体毛が僅かに飛散するも、皮膚に触れるまでには至らない。
「っ、またか!
だがそう何度もはっ!」
それでも絶えず音速の剣を幾度も繰り出し続けるノーベ。
その猛攻を正確に華麗に回避していくウィル。
無駄な動きを一切せずに最小限の動作のみで刀身から身を離していく。
彼女の勢いは相変わらず神速の如く速いまま、決してペースが落ちていっている訳ではなかった。
だが、ウィルもまたそれに適応しつつある動きを見せていき、次第に毛の1本すらも剃り落とせなくなっていった。
これを見たノーベは途端に身を震わせる。
待て、何だこの感覚は?
時間が経つにつれ、徐々に掠りすらしなくなっていく。
初手はこちらのスピードの方が一枚上手だったが、明らかにその差が縮められていきつつある。
もはや拮抗していると言っていい……いや、それ以上か!?
これでは先の状況と一緒。
このままでは……!
斬れない。
そんな明確なイメージが頭の中に湧き上がってくる。
しかし、だからと言って今更止められない。
一瞬でも良い、相手も生きている存在であれば必ずどこかで隙が生まれる。
そう必死に相手を捉え、斬撃を止めどなく繰り出していく。
すると、ウィルがボソッとした口調でノーベに尋ね始める。
「……ノーベさん、その風を操っている何らかの魔法。
もしかして自身の動きをより向上させるためのものじゃないですか?」
「っ!」
「移動と攻撃、それぞれの動きに合わせて自身を風に乗せている。
いや、体自体から風を出して更に速度を伸ばしているように見えます」
初めて全力で戦闘に集中し始めたウィル。
結果、元々優れていた素体である獣の動体視力を更に昇華させ、初めは見えなかった彼女の動きも徐々に捉えられるようになっていた。
ノーベさんの今の動き……まるで瞬間移動でもしたかのように見えたけど、実際はそうじゃない。
両足の裏に発生している強烈な風塊が後方に空気を勢いよく放出、それ自体が彼女を前に進ませる推進力になっているんだ。
同じように、斬撃の際には両手からも空気を流して剣を振る速度を向上させている。
それ以外にも、そもそも全身を動かす事自体にさえ、事細やかな空気の制御を体全体のあらゆる場所で同時進行で行なっている。
1つ1つの動作に対して的確な方向に風を流しているんだ。
結果、彼女の動きはまるで重力に囚われないような脅威的な機動性を獲得している。
元々の剣の腕は既に完成され尽くしているから、剣自体に何か追加の効果が付与されている訳ではない。
ただそれらの動きを補助するという事だけで、シンプルに更に何倍も強くなれる……。
しなやかな体型と優れた重心移動、そして剣の全てを知り尽くしている彼女だからこそ可能な技なんだろう。
「…..君にはつくづく驚かされる。
相変わらず一瞬であらゆる事を見抜いてくれるな。
だが、それが分かったところで回避に専念しているばかりでは私は止められんぞ!」
自身の使用している手の内を把握され思わず感嘆してしまうノーベ。
彼女は一旦距離を置くように離れると、全身に生成していた風を全て背中に集約、そのまま後方に怒涛の勢いで放出する。
その様相はまさに背中に竜巻が生えたかの如し。
「これで終いだあぁぁぁ!!!!!」
両手で剣を脇腹に添え、爆発的な加速を持って突きを繰り出していく。
それまでの猛攻の全てを再び過去のものにする勢いだ。
常人であれば、それが何かを視認する前に既に斬られてしまう速度。
およそ避けようなど、そんな思考すらままならない。
……だが。
ガチンッ!!!!!!!!!!
また少し速くなった。
既にそんな程度の印象しか感じれなくなっていたウィルは、もはや避けるまでもないと判断。
いつまでもこんな争いを続けてはいられない。
僕は彼女と話がしたいだけ。
ただ、それを伝えて聞いてくれる状況ではない。
かと言って手を上げるなんてのは以ての外。
なら、どうするか?
彼女は剣士。
攻撃は最初から全てあの剣で行ってきている。
だったらその武器を一度取り上げるしかない。
音速をも超越したまさに破格の突きが眼前に迫り来た瞬間、ウィルはその鋭く硬質な牙で剣をガッチリと咥え止め、ノーベの暴力的とも言える勢いを完全に断ち切った。
「!!?
牙で刀身を受け止めた!?
そ、そんなデタラメなっ!
くっ……これでは剣がっ……」
剣は非常に強固に噛み止められており、ノーベがいくら抜こうと動かそうとするも微動だにしない。
そのままウィルは剣を握り締めた彼女ごと大きく振り払った。
「っ!?」
ただ振り払うだけの動作でさえ凄まじい勢いを見せ、最初の一瞬こそかろうじてまだ握っていたが、次第に強い遠心力でその手が離れてしまう。
この勢いの反動により、それまで常に頭部を覆っていたフードが脱落。
その表情が初めてあらわになる。
フードの中にまとめていたのであろう髪は腰ほどまでに長く伸びた白銀色のポニーテール。
良く整った鼻と口、長めのうわまつ毛。
更にそれらに驚くほど調和するかのような存在感を放つ、まるで全てを吸い込んでしまいそうな程に深い蒼色の瞳。
しかし、それら以上に彼女の容姿を印象付けているのは細長く伸びた尖り気味の両耳だった。
一目惚れとはまさにこういうのを言うんだろう。
何も男性だけでなく、女性でさえも思わず見惚れてしまいそうな淡麗な容姿。
本当に美しいものというのは実際に目の当たりにすると言葉が何も出てこなくなる。
ウィルもこれまでの彼女の澄んだ美声や、そのきめ細やかな所作から恐らく女性だろうとは思っていた。
だがその反面、口調や態度はやけに男らしかったところから、心の中ではどこか同性に対する態度を取っていた節があった。
それだけに、この予想外だった彼女の美貌には心を揺さぶられてしまった。
ウィルは口から剣を離す事も失念したまましばし彼女に見惚れていたが、向こうはガクッと地に膝をつく。
激しかった風は完全に消え去り、その表情に継戦の意は既に無かった。
「……私の負けだ。
ふっ、ここまで完膚なきまでの敗北は初めてだった。
勝手に長く生きていたつもりになっていたが、どうやら世界はまだ広かったらしい」
「ノーベさん、あなたは……」
ようやく咥えていた物を思い出したウィルは手に持ち替えながら彼女に近づいていく。
「エルフを見るのは初めてか?
まぁ、最もな反応だな。
数は大して多くない種なんだ」
こちらの驚愕している姿勢に対し、彼女はそれに完全に慣れているかのような態度を示している。
エルフ族。
まさか彼女が……。
小さい頃に一度本で読んだ事がある。
外見上は一見僕ら人間と同じような見た目をしているけど、唯一違うのはその長く伸びた独特の形状の耳。
でも最大の特徴はそこではなく、人間とは一線を画す魔法適正だと言われている。
そう聞くと単純に強力な魔法を扱うんだというイメージが湧くけど、実際には緻密で繊細な魔法の使い方を得意としているらしい。
この世界に魔法適正があるのは半ば幻の存在とされている龍人族や、ファスト村からそこまで遠くない国に住んでいる魔族などを筆頭に幾つかの種族があり、エルフ族は龍人族の次にその個体数が限られている少数種族とされている。
生息地は古い文献でさえ記載されているものは存在せず、目撃される時というのは数十年〜数百年規模でフラリと何処かにその姿を表した場合らしい。
そのあまりの神出鬼没性から、ただ現れたという情報だけで大騒ぎになるという。
無論僕の村には誰も訪れた事はないし、恐らく村人全員も遭遇した経験のある人はいないだろう。
相見えるだけで奇跡のような存在。
それがエルフだ。
仮に一生に一度でさえ遭遇しなくとも、それが普通。
そんな相手を前にウィルが1人感動していると、ノーベは静かに目を閉じて何かを覚悟したかのように呟く。
「……それより、早く止めを刺すといい。
今の私では君をどうこう出来ない。
好きにしてくれ。
無念ではあるが、それが敗者の定めだ」
それを聞いたウィルは目を丸くして呆然とする。
「え……?
止め?
そ、そんな事しませんよ?
する訳ないじゃないですか!」
これを聞いたノーベも同じように呆然とする。
「な、何を言う?
私はさっきまで君を殺すつもりだったんだぞ?
現に本気で殺そうとした、傷だって付けたんだ。
だが君は私に勝利した。
ならばこの報いを返すのが筋だろう!」
「いや……だからその……。
最初から言ってるじゃないですか。
話がしたいだけだって。
僕はノーベさんと争うつもりはこれっぽっちもありません。
それに止めだなんて、あんなに魔法と剣の才能に溢れたあなたを殺すなんて絶対できませんよ!
まして貴重なエルフさんを!!!」
「そ、そんな……。
何故私を生かすんだ……」
途端にワナワナとし始めたノーベにウィルは思わず困惑してしまう。
な、何でこの人はそんなに止めを刺されたがるんだ……!?
自殺願望でもあるのか?
うーん、一体どうすれば分かってくれるのか。
「と、とりあえず落ち着いて下さい!
ほら、これもお返ししますから。
ずっと見ていましたけど、とても綺麗な剣ですね。
刃の部分も丁寧に磨かれていましたし、大事な物なんじゃないですか?」
ウィルはそう言いながら、彼女と同じ目線になるように膝を付きつつ、取り上げていた剣を差し出した。
すると彼女はその蒼眼を見開きながら驚きの表情を見せ、しばしの沈黙を経てから静かに両手で受け取った。
「ははっ、本当に君は底が知れないな。
あの戦闘の最中でよもやそこまで見ていたなんて。
つまり、まだ余力があったという訳か。
…………すまない」
剣を受け取ってくれた彼女はしばらく頭を下げたままだった。
……ふぅ、どうやら少しは落ち着いてくれたみたいだ。
一時はどうなる事かと思った。
元はと言えば全ての元凶になったこの力だけど、結果的にはこれにまた助けられたな。
彼女のあの猛烈な勢いの増し方には物凄く驚いた。
最初は全く目で追えなかった。
でも1回目は無意識に体が動いて、2回目は僅かに捉え始め、それ以降は最初と変わらないように即座に目と体が適応していった。
お陰で体の使い方には大分慣れたけど、この余りに未知数な感じはまだまだ慣れない。
彼女の言うように、本当に底が感じられないみたいだ。
言っちゃ悪いけど、たかだか森で見つけた魔物を使うだけであんなに戦える融合体が生まれるなんて。
何度も思うけど、これグレイウルフなんだよね。
確かに主体だけの僕には勝ち目がない相手と言えど、魔物の中ではまだまだ低級に位置する種別。
もし、これ以上の存在と融合したら?
いや……正直もう十分ってくらいだけどね。
しかし今回ばかりは流石に疲れた。
もう完全に夜になってしまったし。
村を出てから何度目か分からなくなってきたな。
……よしっ!
「ノーベさん。
このままじゃ何ですし、良かったら今日もこのままキャンプしませんか?」




