18話 ウィル VS ノーベ
「見つけたぞ」
っ!!!?
な……後ろに誰か!?
ロックボアーの亡骸に完全に気を取られていたウィルは、突如として聞こえてきた背後からの声に腰を抜かしそうになる。
寸前まで何の気配も感じなかった。
例えるなら、まるで瞬間移動でもしてきたかのように唐突に何かが後ろに現れた感覚だ。
気配って……ここまで完璧に消せるものなの!?
しかも、それだけじゃない。
明らかに場の空気が一変した。
ピリピリと空気が張り詰めている。
これは恐らく殺気……。
間違いなく相当の手練れだろう。
「外見は見たところただの獣人族。
だがその種族は本来、魔法適性が皆無。
稀に発生する特殊体質個体を考慮するにせよ、その体ではどう足掻いても説明不能な程の膨大で特異な魔力。
恐らくお前がそうなんだろう。
……昨朝の魔力とは僅かに違うようだが」
……っ!
この全てを見透かされているような感覚。
間違いなく只者ではない。
それにこの人もセシアと同じく僕の魔力についてを指摘してくる。
しかもこちらは彼女よりも更に深い部分まで探り込まれている感じだ。
どうすればいい?
相手の声のトーンからして穏やかな空気でないのは明白。
ウィルは融合の力を手に入れて以来、初めて焦りの感情が芽生えていた。
融合体でいた間はグレイウルフだろうと、あのロックボアーが目の前に迫ろうとこんな感情は湧かなかった。
恐怖心などは微塵も感じなかったし、実際に脅威と言えるものでは全くなかった。
融合しているうちはあらゆる気力に満ち溢れ、何でも成せてしまいそうな錯覚。
そんなある種の全能感に自分は浸っていたのかもしれない。
だが、この相手は違う。
下手に動けば命に関わるかもしれないという、この直感に猛烈に訴えかけてくる危機感。
今の僕にして、ここまでの緊張感を味合わせてくる人物が背後にいる。
そして何よりもまずい点は……僕はこの声を知っている。
少し低いながらも、いつまでも聞いていたくなるような澄み切った声質。
つい今朝方まで聞いていたもの。
彼女だ。
これは完全に想定外。
けど、こうなってしまった以上はもう仕方がない。
どうやら迷っていられるような雰囲気ではなさそうだ。
全てを話すしかない。
……まさか、初めて打ち明けるのがこんな状況で彼女になるなんて。
「動くな。
そのまま今から私の問いに首を動かすのみで答えろ」
一度唾を大きく飲み、腹を括って背後を振り向こうとしたが、即座に制止を受ける。
なっ!?
こ、これは……完全に警戒されてしまっている。
話をしようにも、それすらも許してくれないらしい。
ここは少し様子を見るしかないのか?
ウィルは一先ず声の指示に従う事にし、一度両手を上げて静かに首を縦に振った。
「よし。
ではまず、この近くでロックボアーが1匹死んでいた。
あれは外皮が極めて頑丈で厄介な魔物だが、そんな奴の体表が一部割られていた上に、首元を一突きにされていた。
状況から見て多勢の何かと争ったのではなく、恐らく極めて少数だ。
現場には残留魔力が2つほど感じられたが、決定打を与えたのは大方その一方だろう。
だが奴は大抵の者では太刀打ち不可能な強力な魔物。
ましてあれを単騎撃破など、歴戦の猛者でも相当に困難なはずだが。
あれはお前の仕業か?」
……ロックボアー。
身に覚えしかない。
確かに、その状況は僕がさっき倒した相手だろう。
あの現場を見られていた?
いや、そんなはずはない。
多分セシアと別れた後に発見して、それから僕をここまで尾行してきた?
いずれにしてもここは正直に答えるしかない。
ウィルが首を縦に振る。
「そうか。
ではここ連日、この周辺地域で大量の魔力を放出している存在はお前か?」
大量の魔力を放出?
一体何の事を……。
そう思いかけた途端、昨晩の会話が脳裏に浮かんでくる。
「今朝方、この周辺一帯で不思議な魔力を感じた。
私はそれなりに長く生きているつもりだが、あのようなものは今まで感じたことがない。
魔力感知からして対象の体は大したサイズではないのにも関わらず、その大きさに似つかわしくない程に膨大な魔力だった」
確か彼女はそう言っていた。
つまり昨日の朝と、今日この時。
これらはどちらも魔物と融合していたタイミングだった。
午前中はカエルとホワイトファルコンでも融合を試したけど、魔力を持たないとされる一般的な動物であれば、当然融合しても魔力は生まれないはず。
でもそれが魔物ともなれば、単純に能力を引き上げるだけでなく、素体が本来持ち得ている魔力も一緒に引き上げてしまうのかもしれない。
本来の僕自身は魔力という言葉とは全くの無縁の存在だ。
自分の中にそれが存在するとは思えないし、そもそも自覚がない。
ただ、これまでの流れからして、一度この融合体となれば話はきっと別なんだ。
この人の物言いからして、どうやら僕はよっぽど異彩な魔力を放っているらしい。
セシアにも真剣そうな顔で言われたっけ。
魔法を扱える者は他人の魔力を感じることが出来る。
何となく理解は出来るけど、今までの僕にしてみればまだよく分からない感覚だ。
彼女らのように魔法に精通している人が近くにいるかもしれない状況下で、無闇に魔物と融合するのは避けるべきなのか……?
とりあえず今はこの仮説を元に、そういう事にしておこう。
ウィルは続けて頷く動作をとる。
とても嘘を言って見逃してもらえそうな状況ではないし、ここは可能な限り誠実に答えるべきと判断した。
「そうか。
やはりこの胸騒ぎの正体はお前だったらしい。
それほどまでの実力を持ち合わせながら、何故そのような姿をしているのかは分からんが。
何が目的でこの地にいる?
偶然とは思えんタイミングで近辺の魔物共の動きが活発になっているが……あれもお前の差金か?」
これを聞いたウィルは薄々感じていたものが確信へと変わる。
あぁ……やっぱりそうか。
今ここにいたのは実験の最中で、寝床を探していただけ。
何が目的かなんて聞かれても、そんな大それたものなんて何もない。
魔物達が多くなっているのも当然僕のせいじゃない。
でも、こんな会ったばかりの状況でも、即座にそんな風に思われてしまうのが今の僕なのか。
ずっと頭の片隅で考えていた。
今の僕は他人から見て良い存在なのか、はたまた悪い存在なのか。
ずっと考えていたけど、これでハッキリした。
間違いなく後者の方だ。
セシアの時は結果的に場を助けてあげたという事実があった上だったから、そこまで不審がられる様子は無かった。
でも今は違う。
きっとこれが本来の今の僕の受け取られ方なんだろう。
突如出現した得体の知れなさすぎる畏怖の対象とも言うべきか。
村に無事戻れたら、この力で何か皆んなの助けになれる事を思い描いていたけど……。
冷静になってみると、そんなのは絵空事かもしれない。
仮に全てを説明したところで、ただ不気味がられるだけだろう。
それどころか村を追い出されるかもしれない。
突然手に入れた謎の力に始めは混乱しつつも、何とかそれを理解しようとして少しは前向きになれかけていた。
しかし、彼女の他人から見た場合の自身への至極当然の印象を聞いたウィルは、改めて己の存在の不可解さを悟り言葉が出なくなってしまう。
何か喋らなければいけないとは思いつつも、いつまでも口は動かない。
そのままただ時間だけが過ぎていく。
「どうした、答えられないか?
ならば問い方を簡潔にしよう。
口も動かして構わない。
単刀直入に聞く
お前は何だ?」
声のトーンが更に一際険しいものへと変わった。
姿を捉えていなくとも伝わってくる、この圧倒的な威圧感。
ここで答え方を誤るのは絶対にまずいと嫌でも分かる雰囲気。
一周触発の切迫した空気。
ここでまた黙り込む訳にはいかない。
何か答えなければならない。
が、その質問の答えは自分が一番よく分かっていない。
まさに万事休す。
様々な思考が入りみだり、段々と頭もまともに回らなくなってきた。
せめて誠意を見せて敵意が無い事を証明したい。
なら、このまま全てをここで喋るべきか?
でも......。
それでも僕は、この人とちゃんと顔を合わせて話がしたい。
昨日あの河岸で会った時、何故かとても心を惹かれる思いがあった。
初めてのはずなのにそんな気がしない。
今までずっとどこかで繋がっていたような、そんな感覚さえ覚える不思議な人という印象。
僕と同じように何かに悩み続けているような物言いもしていたし、この出会いはここで無下にしてはいけない。
根拠は無いけど、そんな気がする。
昨日はお互いにそれぞれ隠し事をしつつ、探り合いをするかのような雰囲気だったけど。
やっぱりここは諦めちゃ駄目だ。
こんな一方的な形ではなく、まずはどうにかしてお互いの警戒を解かなければ。
彼女もしっかり話せば分かってくれるはずだ。
この際、土下座でも何でもして昨晩の事は謝ろう。
そう決心したウィルは声の忠告を破り、再び背後を振り返った。
もしかすると怒られるかもしれない。
しかしそうだとしても、あわよくば即座にまずは謝罪に入ろうという考えだった。
「ノ────!」
ザンッッッッッ!!!!!
しかしながら、結果はそんな甘いものではなかった。
体を回し、視界の範囲ギリギリにようやく背後の景色が映り始めた瞬間、飛ぶように素早い斬撃が眼前に迫るのが見えた。
「っ!!!!!」
瞬時に下半身に力を込めて跳躍し、そのまま後方に向かって回避する。
恐ろしいほどに早い一撃だ。
だが、こちらの動体視力が比類なきものへと昇華していたお陰で事なきを得た。
きっと主体だけの僕であれば今ので確実に死んでいた。
もし今の体でなければと思うとゾッとする。
「私はまだ動いて良いとは言っていなかったはずだが。
…………しかし、今のを避けられるとはな」
今度こそ声の方角に視界を移すと、長身で全身をローブで覆った見覚えのあるシルエット。
腰に差してある鞘から抜いたのであろう、1本のよく鍛え込まれたロングソードを握る姿。
グレイウルフの群れに奇襲された時に救ってくれた人物がそこに立っていた。
…………っ!!
相変わらず頭部まで深く被られたローブで顔を伺えるのは口元のみだ。
その口でさえも全く微動だにせず、冷たい石の如く硬く閉ざされているお陰で表情というのは全く読み取れない。
しかし仮にも昨晩は共に食事をし、多少は談笑をした仲。
そんな彼女に対して反撃しようという気など、ウィルには一片も無かった。
一先ず次の出方を伺いたかったが、そんな様子を見ようとする間もなく彼女は力強く地面を蹴り出す。
その駆ける姿はまさに俊足。
あっという間に距離を詰められ目の前に現れたかと思うと、こちらの胴体を目掛けて真下からの切り上げを繰り出してくる。
激しい動きの最中にあるにも関わらず刀身の動きには全くブレが無く、その太刀筋には一切の迷いが見られなかった。
それを再び跳躍で回避するウィル。
跳躍とは端的に言えば、ただジャンプして移動するだけの事。
しかしそんな単純な動作でさえも、普段の自身のものとは思えない程の飛距離を稼ぐ事ができ、彼女の間合いから瞬時に脱出できる。
「……また避けるか。
その異常な動体視力は厄介だな。
いや、それ以前に身体能力がまず尋常ではないか。
私はこれでも剣技には少しは長けている自負があったのだが、ここまでアッサリとあしらわれるとは」
「ちょっと待っ──」
何とか彼女に制止を呼びかけようとするも、言葉を喋り終える間もなく次の斬撃が飛んでくる。
再び距離を詰められたかと思えば、今度は正面からの突き。
シンプルな斬り方ながら、その分スピードは更に速い。
幸いこれも注意していれば目で追えるものの、油断しているとすぐに首を刎ねられそうだ。
突きを真横に避けた後は、そのままこちらの姿を追うように横薙ぎ払い。
これを咄嗟に身を屈めて避けると、向こうも回避されながらも刀身で線を描くように即座に次の切り上げに繋げてくる。
だ、駄目だ!
とても言葉をかけられる時間なんて与えてくれない!
常に集中して彼女の動作を逐一追っていないと、いつかどこかでやられてしまいそうだ!
その後も避けても避けても止まらない剣技の連続。
正面真上から真っ直ぐに斬り下ろす唐竹割り、薙ぎ払いを避けられてもその勢いを活かしたまま即座に回転斬りへ移行するなど、単純に技の引き出しも多い。
その様々な派生技を寸分の狂いも無く、ひたすらに猛烈な勢いで繰り出してくる彼女の腕前には感嘆の念すら覚えてしまう。
速い、速い、速い。
単純に剣捌きが優れているのかと思っていたけど、決してそれだけじゃない。
一動作一動作の全てが洗練されていて、全体の動きに無駄が全く無い。
完全に剣と一体になって、まるで舞っているかのような動き。
しなやかそうに見える体もそれを助けているのか。
とにかく全てが速くて正確。
……でも、突き以外の動作はほぼ同じような速度に見える。
動きは確かに速いけど、最初の振り返り際の一撃に比べたら目も徐々に慣れてきたし、大分無理なく避けられるようになってきた。
加えて今は、そもそもこっちだって最初から相手の姿を捉えている状態。
つまり、しっかり注視していれば避けられる!
それからもしばらく攻防が続いたが、彼女も次第に埒が明かないと気づいたのか、距離を置くように身を引いた。
「......慣れられ始めているな。
まさかこれほどとは。
初手で仕留めきれなかった己の不甲斐なさはあるにせよ、私の数百年分の研鑽にこの刹那の一瞬で対応してくるとは、つくづく恐れ入るよ。
つまり、その姿は一種の偽装といったところか?
獣人族でありながら、ここまで私と継戦できた者はこれまで誰1人いなかった。
単騎で一国をも陥落させられるだけの力を持ち得ながら、容姿はただの獣人に見せて周囲の目を──」
……え、今何て?
数百年分?
人間からすれば途方もないような単位の時間。
今の言い方だと、まるで本当に自分がそれだけの時を生きてきたかのように……。
いや、今はそれどころじゃない。
彼女が一旦距離を置いてくれた。
今だ、今しかない!
「ノーベさんっ!!!!!」
「……っ!」
決死の覚悟で声を張り上げ、ウィルは腹の底から彼女の名を口にした。
これを聞いた彼女は一瞬驚いたように黙り込む。
『ノーベ』という名は彼女の本当の名前なのかは正直分からない。
昨晩聞いた際は少し考え込んだ後に、その場で咄嗟に思いついたものかのような言い振りだった。
だが重要なのはそこではなく、この名を知っている仲というのは昨晩の2人のみという事。
ウィルはあまりの緊張で口の中が渇き切り、汗を絶え間なく浮かせながらノーベの応答を待っていた。
20秒程の沈黙が続いただろうか。
短い時間のはずなのにやけに長く感じられた。
すると彼女は1つの溜息を付いた後、ゆっくりと口を開いた。
「……やはり君だったか……ウィル」
先程までの威圧感のあった声は収まり、昨晩焚き火を共に囲っていた時と同じ穏やかそうな口調に戻るノーベ。
「あ、あの……。
その……す、すみません!」
焦りと逸る気持ちを抑えつつウィルは頭を下げる。
「何を謝っているんだ?」
「ぼ、僕、色々と事情があったのをノーベさんに隠していました。
昨日のあの時にしっかり話しておけば良かったのに。
……怖くて言えませんでした。
もし良ければ、今からでも話をさせてもらえませんか!」
「なら改めて問うが、その姿と力は何だ?」
ノーベは最初こそ僅かに動揺した素振りを見せたものの、直ぐに冷静な佇まいに戻り淡々と会話を進める。
「それは…………正直自分でもよく分かっていないんです。
つい最近身に付いたばかりのもので。
で、でも!
今はこんな姿を
してますけど、昨日会ってた時のように元はただの人間なんです!
そして僕はノーベさんと戦うつもりはありません!
信じて下さい!」
名前を叫んでから彼女の口調は少し大人しくはなっていたものの、その剣を収めることは依然としてせず、やはり警戒の眼差しは向けられたままだった。
「そうか。
己が何者かは分からないが、これ以上戦うつもりも無いと」
「……っ!
そ、そうです!
だから、もし良ければ今からでも話を──」
「悪いが、それは聞けん願いだ」
「…….えっ、どうしてですか?」
「確かに君からは敵意というものが初手から微塵も感じられなかった。
私の剣を避けるばかりで反撃は一切してこなかったしな。
戦う意志が無いのは事実なんだろう。
「そ、その通りです!
僕はノーベさんと戦いたくないんです。
そもそも、戦う理由がありません!」
「……もし、君がもう少しか弱い存在であったのなら、その申し出を受けたかもしれないな」
「え?」
「私は随分と生きてきた。
弱者も強者も山ほどこの目で見てきた。
しかし、人には必ず限界の壁がある。
どんなに才能に優れた者であれ、成長は無限ではない。
何もそれは人間だけに限った事ではなく、私も含めその他の種族も同類だ。
だが君の中には......その壁が感じられない。
この長い生の中でも初めての感覚、まさしく畏怖の存在。
何せ私の剣技をこの短時間で悉く見抜いてきた。
ふっ、こんな事はこれで2度目だよ。
......いや、あの時以上かもな」
「……?」
さっきから彼女は何を言っているんだ?
僕がもっと弱ければ?
僕には限界の壁がない?
畏怖の存在って何!?
数百年っていう単語も気になっていた。
長く生きているって、一体どれだけ生きているんだ?
もはや完全に普通の人間の感覚の物言いではない。
......もしや彼女は人間ではない?
「ウィル、君のその力はあまりに強大過ぎる。
およそその年齢の人間とは到底思えん。
だが、持ち得ている力に対して君の心はあまりにも不釣り合いでもある。
大いなる力には責任が伴う。
どういう事情があるのかは知らないが、そのように曖昧で不安定な状況で力を振るっているのであれば、今後他者に害を成さないとも考えにくい。
悪いが、ここで仕留めさせてもらう!」
「っ!!?」