16話 森の中での新たな出逢い
森の中を必死に走り回る1人の少女がいた。
眼鏡をかけたウィルと同い年くらいの年齢で、肩まで伸びた赤毛の少女。
手には小さなカゴを1つ持ち、中には何かの植物が数種類入っている。
何かに怯えた様子で、一目散に走っているのか息が大分上がっていた。
「はぁ…… はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……。
き、聞いてない!
何で、何であんなのがこの森にいるのよ!」
表情を青く染めながらも絶えず足を動かし続けていたが、そのうち背後からの視線を遮られそうな大木を見つけ、思わずその影に座り込む。
「はぁ……はぁ……はぁ……もう最悪。
あいつらとも逸れちゃったし。
……何でこうなるのよ、あぁもう!」
今日は薬草を取りに森へ少し入ってきただけだった。
結果は上々。
採取も無事に終わって、あとは村へ帰るだけ。
そう、そんな何気ない1日で終わるはずだった。
なのに……その終わり際に突然アレに襲われた。
見たこともない恐ろしい化け物。
あんなの1人の力でどうこう出来る相手じゃない。
例え多少数を集めたとしても……。
何とかこのまま身を隠しつつ、一刻も早く村に戻らないと。
皆んなに伝えなければならない。
──しかし、そんな少女の苦悩もつゆ知らず、それは現れた。
「フッーーー!フッーーー!フッーーー!」」
「!!」
『ズシンッ!ズシンッ!』と地を響かせる足音と共に背後付近まで近寄ってきたそれは、しきりに大きな鼻息を立てて周囲を探っている。
まさか、もう追いつかれたの!?
嘘でしょ!?
い、いえ、落ち着くのよ私。
近くまで来られただけ、まだ姿は見られていない。
このままジッとしたまま、あいつが通り過ぎていくのを待てば……。
そう考えていたが、少しでもこの場から離れたいという流行る気持ちが無意識的に足先を動いてしまう。
「パキッ……」
不幸にも僅かに動かした右足で枯れ枝を踏んでしまい、乾いた枝の折れる音が響き渡ってしまう。
「ブヒイイイイイイィ!!!」
「っ!?」
その音を聞くや否や、少女が隠れている大木に向かってソレは猪突猛進する。
回り込んで直接少女を狙うのではなく、目の前の木そのものを目掛けてきた。
「えっ嘘でしょ!?
まず──」
身の危険を感じた少女は無我夢中で全力で真横に飛び込む。
直後、寸前まで隠れていた大木が根本から粉砕され、けたたましい音が森中に響き渡る。
根本から離れた樹体は派手に宙に飛ばされ、激しく地面に叩きつけられた。
間一髪。
咄嗟の判断でダイブし、何とか直撃を回避。
「む、無茶苦茶な……。
何とか助かった、けど。
……もう逃げられそうにないわね」
大木を木っ端微塵にしたソレは根本を10mほど通り過ぎた所で止まり、獲物を仕留め損なった事に不満を表した様子でこちらを振り向いた。
そこにいたのは一軒家の軒先にまで背が届きそうな巨大な四つ足の生き物。
全身灰色で口には長い牙が2本生えており、一見猪のようにも見える。
が、その体表は獣のように毛が生えている訳ではなく、全体的にゴツゴツとした岩石で覆われ、所々に苔も生えている。
「ブヒイイイイイイィ!!!」
少女の姿を再視認した岩猪は雄叫びを上げながら、再度突進の構えに入る。
それに対し、直前まで完全に逃げ腰だった彼女はいよいよ観念したのか、それ以上逃げる事はなくスッと立ち上がった。
突進、言わば体当たりするするだけであの大木をへし折る威力。
もし生身で受けたら、きっと即死。
やばいわね……。
もう逃げられない、でも止めなきゃ。
私1人で止められる相手じゃないのは重々承知している。
だけど、こいつは放っておいてはいけない存在だ。
仮に村まで来られれば、こいつ1匹で村を落とされる。
そんなの絶対に駄目。
「はぁ、やるしかないわね。
どこまで保つか……」
少女は『スゥ……』と呼吸を整え、恐怖で高鳴る鼓動を無理やり抑えながら片手を前に突き出し、意識を集中し始める。
すると、みるみるうちに体の周囲の空気の温度が上がり始め、やがて1つの炎が空中に灯る。
それは小さな小さな炎。
しかし、2つ3つと徐々に数が増えていき、次第にそれらが集い合わさり大きくなっていく。
ついには両手ほどのサイズにまで巨大化したところで、勢いよく岩猪に向けて放った。
『 【炎球】 』
小さな炎を生成、それを集めて大きな炎へ。
球状を成した炎は岩猪の顔面に直撃する。
大きな衝撃が走った後、四方八方に炎が拡散していき煙が立ち込める。
少女は黙ったまま煙が霧散するのをジッと見つめていたが、その前に向こうが再度雄叫びを発しながら突進してきた。
「チッ、やっぱりあんなのじゃ駄目か!
もっと威力が要る!」
岩猪は図体が大きい割に非常に俊敏な動きだ。
その突進スピードは恐ろしいほどに早く、あっという間に距離を詰められていく。
少女は避けられないのを悟ったのか、今度はダイブで回避しようとはしない。
その代わりに、両手を地面に向けて再び意識を集中させる。
すると今度は周囲に風の流れが生まれ始め、少女の両手前方と地面の間に空気がどんどん集まっていった。
集められた空気は比例して外に逃げていく訳ではなく、1ヶ所に強制的に留められていく。
そして衝突寸前になった時、生成した空気の塊を一気に解放した。
『 【空縮】 』
とても限定的で非常に小さな空間に無理やり圧縮された大量の空気。
限界まで圧縮したところで解放する事で、その反発力を両手で受け止めた少女の体は、瞬く間に岩猪の眼前から飛ぶように離れた。
しかしその衝撃は凄まじく、両手から両腕、両肩へと全身に広がる。
「ぐっ!!
……やっぱり結構来るわね、これ。
本気で回避するなら十分使える魔法だけど、何度もは撃ってられない。
そのうち腕がやられるのが先ね」
岩猪からしてみれば突然目の前から獲物が消えたように見えたかもしれない。
今度こそ仕留めたとたかを括っていた岩猪は、再び獲物が眼前から消えた事実にいよいよ憤怒する。
「ブヒイイイイイイィ!!!」
「あぁもう、うるさい!
怒りたいのはこっちよ!
良いわ、あんたには私の全力をぶつけてあげる」
『 【炎球】 』
『 【炎球】 』
『 【炎球】 』
少女は再び先の球状の炎を生成するが、今度は同時に3つ作り上げた。
それらを更に合成させ元の3倍の大きさにしたところで放つ。
「はああああああぁー!!!」
炎を撃ち込む速度も上がり、避ける間もなく岩猪に直撃した。
「フギイイイイイイィ!!!」
当然威力も単純に3倍だ。
衝撃も立ち込める煙も更に大きなものとなり、その巨体から初めて悲鳴らしき声が放たれた。
少女は得意げに立ち込める煙を見つめている。
しかしながら、それまで真剣だった表情は急激に失せており、顔には汗を浮かべている。
呼吸も全力で走っていた直後のように再び酷く荒くなっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……。
ど、どうよ。
少しは効いたかしら?
まぁどうせ死んじゃいないだろうけど、これに懲りたらさっさとここから去ってちょ──」
「ギュヒイイイイイイィーーー!!!」
「!?」
突然耳をつん裂くほどの一際大きな咆哮が飛ぶ。
ビリビリと空気が震え、そのあまりの大音量に思わず全身が硬直する。
「う、嘘でしょ?
ピンピンしてる。
今の結構魔力使ったんだから少しくらい効いてよ!」
その瞬間、今なお立ち込める煙の中から巨体が猛突進してきた。
その速度はこれまでよりも更に早く、おまけにこちらを恐ろしい形相で睨め付けていた。
完全に理性を失ってしまったようだ。
「っ、早い!?
駄目だ、【空縮!】」
少女は回避行動のため再度両手に空気を収集しようとするも、何やら最初よりもその速度が遅い。
一発目の時は迅速に流れて込まれていた風量も、今ではその1/3程度まで落ち込んでいる。
それでも歯を食いしばりながら必死に意識を集中させんとするも、逆に勢いが更に低下していく。
ぐぎぎぎぎぎっ!
く、くそ!
もう魔力が枯渇して……。
こんな圧縮量じゃアレを避けられない……!
そうこうしている間に突進は遂に眼前まで迫り、いよいよ少女の表情には絶望と涙が浮かぶ。
あぁ……もう駄目。
死ぬ、死ぬ、死ぬ!
もっと、もっと私に魔力量さえあれば──────
「ドゴオオオオオオォォォンッ!!!」
全てを諦めキッと目を瞑った瞬間、迫り来ていた岩猪の巨体が突如大きく吹っ飛ばされた。
「えっ!?」
それと同時に、どこからともなく二足歩行の獣のような者が現れた。
明るい灰色の体毛を身に纏い、一見狼のようにも見える姿。
見ると拳を硬く握りしめており、そこには血が滲んで地面に滴り落ちている。
どうやら殴ったらしい。
が、よく見るとその血は殴った本人のものではなく、殴られた側のものだった。
「獣……人……?」
30m程飛ばされた岩猪はヨロヨロと体を起こそうとする。
そのボディには目立った傷こそ見当たらないものの、僅かにヒビが入った場所からは鮮やかな血が流れ落ちている。
痛みに耐えつつも荒い鼻息を上げながら、生まれて初めて己の体にダメージを与えた事実に酷く錯乱していた。
あまりの唐突な事態に少女が呆然と立ち尽くしていると、何故か殴った本人も驚愕したように声を上げた。
「てててて……か、硬っ!?
この体なら単に殴るだけでもイケるかなと思ったけど、こんなに硬いとは……。
そこそこ威力はあったけど、致命傷は与えられてないかなぁ?」
岩猪の硬い岩石体表を直接殴って手が痛いのか、獣人っぽいのはしきりに手をブラブラと振りながらブツブツ独り言を発している。
その異様すぎる光景に少女は畏怖の念を覚えた。
な、何だっていうの。
この人は誰?
どこから現れたの!?
獣人っぽい見た目してるけど……。
あの巨体を吹っ飛ばした?
状況から見て、いきなり真横から殴り掛かってきただけのように見えた。
……いやいや、殴っただけであの見るからに重そうなのがあそこまで普通吹っ飛ぶ!?
あり得ない、あり得ないわ。
でもあの手の血は……。
しかも何かずっと独りで喋ってるし、あぁもう何なのよこいつぅ!!!?
それに何より……。
狼の獣人らしきソレは、まるでその場に誰か他人がいるかのように語りかけていた。
「それにしても、何なんだアレ。
凄く大きい猪みたいだけど、あれも魔物?
変な見た目だし、やけに硬かったけど……」
【あ、あいつは『ロックボアー』だ!
まさかアレもこの辺に住処を移してきていたのか……】
「ロック……ボアー?」
【文字通り全身が岩みてぇに硬い皮膚に覆われた大型の魔獣だ。
図体のデカい割にすばしっこくもある。
特徴は何と言っても、あの体表と素早さから繰り出される全てを破壊する突進。
あれを正面から食らったらまず命はないぜ】
「え……そんなのまで森にいるの!?
確かにそんなのに突っ込まれたらヤバそうだけど、それにしてもヤケに詳しいんだね?」
【アレは元々俺らの住処よりも更に山の上に居座ってた奴だ。
流石にあいつを狩るには単独じゃ無理で、群れ全体でかかる必要がある。
それでも、あの何も通さない皮膚のお陰で勝機は薄い。
撃退させるだけで御の字ってもんだ。
要するに、とんでもない厄介者なんだよ。
相手するだけ時間の無駄って訳だ。
……それだってのに、そんな奴を片腕で殴り飛ばした挙句、出血までさせちまうとは……】
「なるほど、相当危険な魔物みたいだね。
これも全部アレが起因している事なのかな。
……とりあえず、このままここに放置はまずいから倒さないと。
殴るだけじゃ厳しそうだったし、やっぱり噛み付けば良いかな?」
【っ!?
おいおい、何言ってやがる!?
確かに俺らの牙は大抵は安易と噛み砕けるが、流石にアイツは無理だ!
噛みついた瞬間、こっち牙が折れちまうぞ。
お前がどんな術を使ってるのかは知らねぇが、ここは一旦──】
そこまで喋ると、獣人らしき者は私に気付き言葉を掛けてきた。
「あ、君大丈夫だった?
ごめん、もう少し早く駆け付けられていれば……」
姿は明らかに狼のような獣人。
外見上は至って普通だ。
特に違和感や脅威は感じない。
なのに……圧倒的におかしい点が1つある。
この馬鹿みたいに大きな魔力は何!?
本人はどこか腑抜けた態度をしているけど、この肌を突き刺してくるような強烈な魔力。
普通じゃないのは間違いない。
獣人は人間より多少五感や力が強い者が種によって存在しているけど、逆に言えば普通はそれだけのはず。
魔力適性は人間と同じく限りなく低いし、扱える者は基本いないはず。
私みたいな例外を除いて。
だけど、こいつは狂ってる。
およそ1人の獣人が持ち合わせていられるような魔力量なんかじゃない!
「……あ、あなたは一体──」
「フギイイイイイイィ!!!」
目を大きく血走らせたロックボアーが2人目掛け渾身の突進を開始。
己の最大級のものなのであろう猛進は、地面を踏み込む力があまりにも凄まじいのか、大量の土煙を巻き上げながら突き進んでくる。
まさに絶体絶命。
「っ!
だ、駄目!
貴方だけでも逃げて!」
少女は最後の力を振り絞り、彼に対して圧縮空気を打ち付けようとしたが、彼はただ一言。
「ちょっと待ってて」
直後、彼は矢のような速度で突進してくるロックボアーの真横に移動し、相手の喉元を目掛け盛大に噛み付いた。
途端にロックボアーの巨体が大きく跳躍する。
体勢を崩したのか頭から地面に突っ込み、残った突進の勢いによりそのまま数十m滑り続けた後、ようやく停止。
喉元でさえ頑丈そうに見えるそこには、ぽっかりとした牙の貫通痕が残り、大量の血が流れ出ている。
その後、ロックボアーの巨体が立ち上がることは二度となかった。
「ふぅー……。
多少硬さは感じたけど、何とか上手くいった!」
【な、な、何だそりゃあああああぁぁぁぁぁ!!!】
「……………………!!?」




