11話 一難去ってまた一難
「じゃあ……この辺で大丈夫かな?」
【あぁ、問題ないよ】
グレイウルフの撃退後、ゴブリンと融合状態であるウィルは付近を流れる川を見つけ、川岸のスペースにてここまで共にしてきた彼を解放しようとしていた。
「その……色々と助かったよ。
ここまでありがとう。
住処のことは残念だったね」
このまま融合を解除すると魔物の彼とは意思疎通が不可能になるため、融合状態のままで別れを済ませる。
彼にはここまで本当に世話になった。
あそこに彼がいたからこそ、地下から脱出できたし、グレイウルフも撃退できた。
いくらこの神妙な力が宿ったからといって、融合対象がいなければ結局以前の何もできない自分と何ら変わらない。
ほんと、このゴブリンには感謝だな。
まさか魔物にこんな感情を抱く時がくるなんて。
僕ら人間とぶつかる時もあれど、彼らも自然の中で生活している種の1つなのは変わらないんだ。
出来れば上手く共存していけると良いんだけど。
【もう済んだ話さ。
気にするなって言っただろ?
それよりお前、これからどうすんだ?】
「まだ決まりきってはいないけど、とりあえず自分の村に戻る予定だよ。
仲間にも無事を知らせたいし。
君の方こそどうするの?」
【そうか。
俺もとりあえず近くに同族がいないか探してみるよ。
もし見つけた時はお前の村のことを伝えて、あまり近づかないように言っておいてやるよ】
今回の一件で彼とも少し打ち解ける事ができ、仲間を見つけた際には付近に人間の村があっても、不用意に近づかないように言伝をしてもらえる事となった。
同様にこちらも、村の近くでゴブリンを見つけてもなるべく下手に相手しないよう伝えてみることにする。
これまでのお互いの衝突は言葉が通じないが故に起こっていた部分が大きい。
『魔物』と『魔物ならざる者』。
普通では意思疎通が叶わないために当然のこと。
でも、今は違う。
今後は少なくとも、この周辺地域の村とゴブリンとの衝突は避けられるだろう。
この融合という力。
単に直接的な力を振るうだけが全てではないのかもしれない。
先程、ゴブリンとの融合状態でグレイウルフとも会話が可能だった点から見て、恐らく魔物であれば他の種でもコミュニケーションは可能なはず。
不可能だった意思疎通が可能になるだけでお互いの平和が保たれるようになるなら、こんなに良いこともない。
「そっか。
分かった、ありがとう。
それじゃあ……元気でね。
仲間が見つかることを祈ってるよ」
【あぁ、お前もな。
その力も、上手く使っていけると良いな】
短い間ながら、彼とはかなりの時間を一緒に過ごしていたような気がする。
これまでのことを振り返りながら、しばしの会話を経てウィルは力を解いた。
『融合解除』
黄緑色の魔物とも人間ともとれる姿が光に包まれ、1つだったシルエットが次第に2つに分かれ出す。
少し縮んでいた身長が元のものへと伸び出し、鋭く伸びた爪は見慣れた大人しいものへと戻っていく。
自分の中にいたもう1つの存在が離れていく何とも形容し難い感覚。
自分の本来の体のシルエットが完全に浮かび上がると、周りを包んでいた光は消えていき元の姿が現れた。
目を開けるとゴブリンが1匹。
最初の地下空間で試しに解除した瞬間は力の効力が消えて真っ暗で何も見えなかったけど、そこにいるのは確かにあの崩落空間で目にしたゴブリンだ。
「ゲギャ、ゲギャギャ。
ギャーギャー!」
彼は去り際に何か言葉を発していたが……。
うん、やっぱり何喋ってるのか全然分からない。
解除する前に別れをしっかり済ませておいて正解だった。
僕は手を振って最後の別れのジェスチャーをし、彼が森の中へ消えていくのを見送った。
「さて、と……。
僕も移動するか」
彼を見送った後、横を流れている川沿いに向かってウィルは歩き始めた。
この川には見覚えがあり、幸いなことに左手にも見覚えのある山脈がそびえている。
ファスト村の近くにも似たような幅の川が海まで流れている。
これらの位置関係から想像するに、恐らく最初に潜った山の麓の入口から南西方向の地上に出てきてしまっている。
つまり、この川沿いに東方向に歩けばいずれ村の近くまで戻れるはずだ。
時間は日の位置から見て多分まだ朝。
朝の澄み切った空気の中、小鳥たちが鳴いている。
正確な現在位置は分からないものの、左手に見えるあの山脈の角度からして恐らく1日中歩き通せば、ギリギリ今日中に村に着けるはず。
とにかくもう地上には出られたことだし、あとは焦らずに一歩一歩確実に歩みを進めれば良い。
そんな事を考えながら歩いていると、不意に服の中から何かが地面に落ちる音がした。
「ん?」
立ち止まって視線を足下にやると、1cm程度の石が転がっていた。
拾い上げてみると、それは黒紫色に煌めいている石で、小指の先端くらいの非常に小さなサイズながら確かな存在感を放っている。
「あ、あの時の魔石か。
改めて明るい所で見ると結構綺麗なもんなんだな。
よく見るとガイルさん達が掘り当てたものより透明度が高いような……。
あの時感じた魔素は今は全然分からないけど、やっぱり少し変わった種類なのかな?」
魔石を発見した際には力の影響で感じられていた石から漏れ出す魔素も、ただの人間に戻ったウィルには何も感じれず、今は只の綺麗なだけの小さな石ころだ。
まぁでも小さくても魔石は魔石なんだろうと自分を納得させ、次は落とすまいとズボンのポケットに仕舞い込み再度歩き始めた。
ウィルは歩きながら考える。
とりあえず村には向かうとして、まずはこの力を更に試したい。
現状分かっている最大の要点。
融合対象の能力を更に引き出して自分のものとして扱えること。
他にも色々と細かい点はあるだろうけど、一番分かりやすいのはやっぱりここだな。
ゴブリンとの融合はできた。
ゴブリンは魔物。
という事は魔物なら他の種類でも融合できる可能性は高い。
魔物は僕ら普通の人間よりは断然強いし、あのゴブリンでさえ融合したらあそこまでの力を発揮できた。
機会があれば他の魔物でもやってみるか。
で、問題は魔物以外。
こっちも色々実験してみたいけど、流石にこれは慎重にならざるを得ない。
魔物は融合対象に特に害が無いのは分かったけど、それ以外も大丈夫なのかはやってみないと分からないし、そもそもこの力を他人に明かすタイミングが難しすぎる。
突然こんな力手に入れました!
だから、貴方で試させて下さい!
って、そんなこと村の人にだって頭おかしくなったと思われそうだし、まして他人になんてどう説明したら良いのやら。
地下を掘っている最中も少し考えてみたけど、やっぱり今のところは魔物でコッソリ試すしかないかな?
……あー!もう!
考えても仕方ない、とりあえず今は村を目指して歩くんだ!
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
村を目指し、1人歩き始めてから1時間ほど。
ウィルは呼吸を荒らげ、額には汗を滲ませていた。
その足取りは石のように重くなり、歩行スピードは最初よりも随分と落ちていた。
「まだ……歩き始めてから……1時間くらいしか……経ってないのに。
体が尋常じゃないくらいに怠いし、重い。
おまけにめちゃくちゃに眠い。
何でだろ……」
あの融合が何か影響した?
いや、そもそも思い返せば地下で目を覚ましてからここまで、ずっと飲まず食わずだった。
加えて一睡もせずに来ている。
力を使っている最中は特に問題なかったけど、解除して少し動いただけで今まで忘れていた疲労が一気に押し寄せている感じがする。
このまま今日1日は歩き通さないといけないのに、こんなペースじゃ今日中どころか明日でも間に合うかどうか……。
川の水を幾度も飲みながらウィルは全身の倦怠感と睡魔を堪えながら頭を悩ませる。
どこか一旦休憩を取ろうと周囲を見渡すも、ただただ広がる森の中。
そう都合良く身を隠せそうな場所も無い。
そうこうしている間にも症状は悪化の一途を辿り、遂には視界がぼやけ始める。
「まずいな……思った以上に体が……」
半ば気合いで何とか歩かせていた足もとうとう止まってしまい、地面に膝を付く。
厄介な事に、もはや思考すらもまともにままならなくなってきている。
こんな所でのんびりしている場合じゃない。
どうする?
とは言っても、この状況では流石に休まざるを得ない。
「仕方ないか……どこかその辺で……。
うっ!?」
せめて林の中に移動して少し横になろうかと無理に立ち上がろうとした瞬間、ぼやけていた視界が今度は二重に重なりだし、平衡感覚を失ったウィルは一気に地面へ倒れ込んでしまう。
「うぁ……駄目だ。
もう動けない。
視界が……」
徐々にそれまで目に映っていた森と川の鮮やかな風景から色が失われていき、音も次第に聞こえてなくなっていく。
意識がじわじわと遠のいていく。
ウィルはそのまま気を失ってしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ん……」
川の流れる音が間近で聞こえている。
どこだここ?
瞼をゆっくりと開けると、紅に染まった川辺と森の風景が目に入ってきた。
しばし目の前に映る光景を虚ろに眺めていたが、徐々に記憶が戻り始める。
今、自分は地面にうつ伏せで倒れている。
そして周囲のこの光景には見覚えがある。
突然思い出したかのようにウィルは体を起こし、辺りを見渡す。
場所は全く変わっていない。
先程まで歩いていた森の中だ。
「ここは……あのまま気絶していたのか。
少しは体が動くようになったけど、それよりも一体どれだけ長い間倒れていたんだろう?
確かさっきはまだ朝だったはず」
かろうじて無事だったことに安堵するも、同時に焦りの思いも湧いてくる。
青かった空は赤く染まり、鳥たちが華やかに響かせていた声も今は静まり返っている。
まだ大して進んでいないのに既に夕暮れ時。
見知らぬ森で1人夜を明かすのは危険だし、加えてお腹も空いた。
「参ったな、また今日も村に戻れそうにない。
とりあえず身を隠せる所がないか探すか……」
そう思いながら、まだ若干の疲れが残る体を起こし、川岸から一旦離れて森の中へ入ろうとしたその時、周囲の草木が一斉に騒めき始める。
「何だ?」
最初は風の音かと思った。
しかし、体にぶつかってくる風の流れは全く無く、騒めきは次第に勢いを増し、更には数も増えていくような気がする。
明らかにおかしい。
これは……何かいる。
「グルルルルル……」
ウィルが得体の知れない違和感を感じ始めた時、遂にその正体が正面の木々の間から堂々と姿を現す。
それは、今朝方にも自分を襲ってきた4つ足の魔物だった。
「お、お前は、まさかさっきの!?」
間違いない。
あの時撃退したグレイウルフだ。
敵対した場所からは多少なりとも離れてきていたのに何故?とも思ったが、奴は嗅覚も優れているらしく、臭いで自分をここまで追ってきたのかもしれない。
「まずいな、これ。
......タイミングが最悪すぎる。
グレイウルフはしきりに低い唸り声を上げ、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきている。
鋭い眼光でこちらを威圧してきており、視線を自分から外す気配は一切無い。
奴らの走るスピードは戦闘の時に既に知っている。
ゴブリンの一緒だった時は問題なかったが、今は無力の一言。
到底自分の走り程度で逃げ切れる訳がない。
一か八か、川に飛び込んで流れに乗って逃げられないか?
そんな事を考えていた矢先、目の前の奴とは別の個体が今度は3頭現れた。
体格はほぼ同じようにどれも2mを超えている。
「っ!?
そ、そんな……。
まさか、仲間を呼んできたのか?」
顔を青く染め始めるウィルに、最初に現れた相手が遠吠えを開始した。
「ワオオオォォォーーーン!」
狼の遠吠えの意味は仲間とのコミュニケーションを図ったり、縄張りの主張など様々な意味があるとされている。
が、この場合は恐らく......狩りの合図。
初手の遠吠えに呼応するかのように、4匹は等間隔に並びこちらへジワジワと歩み寄り始める。
ウィルは洞窟以来の絶望を覚えた。
【獲物をみすみす逃してやるその甘さ。
後に必ず後悔させてやる】
【そんなんじゃいつ死んでもおかしくないぞ?】
あの時に言われたグレイウルフとゴブリンのセリフが脳裏に浮かぶ。
「くっ!」
群れを成してこちらに迫ってくるのを前に、ただただ汗を滲ませながら後退りすることしかできないウィル。
これはいくらなんでも無理だ。
1匹だけでも無理なのに、複数もいたら……。
「「「グルルルルル!」」」
奴らはゴブリン数匹がかりでやっと対等に渡り合える魔物。
今朝はゴブリンと一緒だったから良かったものの、今は自分の体のみ。
つまり、到底敵う相手ではない。
ど、どうする。
このままだと確実に殺される!
…………ん、ゴブリンと一緒?
そ、そうだ。
融合だ。
ここでまたやればいいんだ。
というか、それしか方法がない。
この中の相手のどれか1匹とここで融合して全員相手をするか、そのまま逃げられれば……。
複数の対象がいる場合はどうすればいいのかは分からない。
でも、悩んでいる時間はない。
とにかく今は目の前の相手を融合対象とする。
そう、今朝地上に出てきた時に真っ先に襲われた。
お前だ!
「融ご……」
最初にここに現れたグレイウルフに意識を向け、集中して叫びかけたその時。
「グルラアアアァァァッ!!!」
突如として背後から新たな1匹が現れ、その鋭く尖った牙を持つ口を大きく開け、ウィルの首を目掛けて飛び掛かってきた。
「しまっ!?
後ろにも!?
融合が……駄目だ間に合わない!」
一瞬の出来事。
早すぎる再開と集団での報復。
絶望感と恐怖心で判断が遅れてしまった。
あの牙で首を噛み砕かれたら、恐らく即死。
あぁ、今度こそ終わりだ。
せっかく、せっかくここまで戻ってきたのに。
彼の言葉、聞いておけば良かったかな。
ガイルさん……村の皆んな……!
万策尽きたことに覚悟を決め、歯を食いしばり目を瞑ったその時ーー。
「やっと何か見つけたかと思えば……。
この状況は何だ?」
「!?」