10話 グレイウルフ
「ん、また地層が変わってきた?」
絶賛地中を掘削中の僕らは、あれから更に数時間掘り進めていた。
これまで硬い岩と比較的柔らかい岩が何度か交互に入れ替わり、その度に多種多様な感触が爪先に伝わってくる。
岩にも色々な種類があるんだなと少し感心。
そのまま掘っていると、今度はズブズブと壁に爪が吸い込まれるような感覚に変わっていき、しばらくしてそれが粘土のような地層だと気づく。
「これは粘土層ってやつかな?
それにしても……」
粘土層はそれまでの岩石層とは比べ物にならないほど掘削自体には力は必要ない。
だが、力は要らなくても掻き分けるのが地味に大変だった。
岩なら一点に力を加えれば一斉に周囲にヒビが入ってある程度を崩落させられるが、衝撃吸収性が抜群な粘土となるとそうはいかない。
掘進スピードは少々低下。
むしろ岩の方が楽だったかもしれない。
「まさか岩より粘土の方が手強いなんて!」
【いや、それお前だけだから】
……しかし、あのほぼ生き埋め状態だった場所から今まで相当掘ってきた。
ずっと岩だった地層がここに来て急に変わり出したということは。
そう思いながら掘り続けると、次第に厄介だった粘土層も終わり、今度はボロボロと崩れ落ちる地層に変わる。
これも力は要らないが、先の粘土層のような反発力は無い。
手応えは更に軽くなり、この掘削作業中最も楽なフェーズに差し掛かったといっても過言ではない。
これはもしや。
その崩れ落ちていく物質をよく見ると、非常に細かい砂のようなものに小石類や粘土が混じり合ったもので、独特の香りがする。
そしてその色はとてもよく見慣れている色だった。
恐らく……これは土。
となれば、ここは既にかなりの表層なのでは!?
そんな期待が膨らみ、流行る気持ちが手の動きをこれまで以上に加速させ、前方を塞いでいる土を掻き分けていく。
ただひたすらに地上の光だけを目指して。
それから30分くらい掘っただろうか。
突如目の前の土壁が一気に崩落し、ウィルはその勢いに飲まれる。
完全な暗闇でも見えていた暗視能力があるのにも関わらず、一瞬のうちに視界が効かなくなった。
なんだ!?
急に目が見えなくなって!
……いや、これは。
単に埋もれているだけ?
体は動くな、なら両手を前に出して周囲の土を掻き分けて……。
そうやってもがいてるうちにバサっと手が外気に触れたのを感じる。
そのまま次は頭を突き出す。
【だ、大丈夫か?】
「ガハッ!
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ。
ッペ!ッペ!ッペ!
口の中にいっぱい入った!
うへぇ最悪だ、ジャリジャリする。
全く何だよもう」
どうやら小規模な土砂崩れに遭ったらしい。
全身はすっかり土埃まみれ。
口内いっぱいに入った土を仕切りに吐き捨て、瞼の周りの埃を払い落として目を開けてみる。
「うあっ!?」
【っ!?】
目を開けた瞬間、眩い強烈な光が眼球に入ってきた。
そのあまりに強い光量に、開けたばかりの目を思わず反射的に閉じてしまう。
長時間に渡って暗黒空間に慣れきっていた瞳孔は、久方ぶりに経験するその明るさに悲鳴を上げる。
【お、おい!
これって!】
彼の歓喜に溢れる声が聞こえ、しばらく閉じていた瞼をゆっくりと開け始める。
少し開けるだけでもまだ凄く眩しい。
一瞬かなり驚きはしたものの、冷静になればなるほど彼と同じようにこちらも似たような感情が溢れ出てくる。
地中内部にこれほどまでに強い光源なんてあるはずもない。
間違いない、これは。
地上だ!!!!!
最初はただの真っ白で丸い光にしか見えていなかったものが、徐々に目が慣れ始めると次第に輪郭が映り始める。
地中の穴越しに青々とした木々の鮮やかな緑が見え、中央には思わず吸い込まれそうになるほどの青空。
地表付近まで下から掘っていたことによって、その場が陥没。
その陥没穴から薄緑色の肌をした人間のような姿をしたウィルが這い出てくる。
この光景、急に地面に開いた穴から未知の地底人が現れたかのような、もし側から見れば何とも不気味な絵面であったのは間違いない。
全身を地上に出し終えると、本当に戻って来れたのだという実感が湧いてくる。
地中の湿った空気ではなくカラッと乾燥した空気、黒や茶色といった単色ばかりだった世界とは一線を画すほどの色彩豊かな自然の色、風になびく草や鳥の声。
目に映るもの耳に聞こえるもの全てが新鮮に感じ、ウィルの頬には自然と涙が流れる。
つい先日までこんな光景は何とも思わなかったのに。
「も、戻れた。
や、やった、やったんだ!」
【まさか本当に戻ってこれるとはな……】
そこはジスト鉱山に潜入した時の入口周辺と似たような景色が広がる、背の高い木が生い茂った森の中だった。
周囲を見渡してみるも、あの入口の近くではないらしい。
まぁ、そんな奇跡は流石に起こらないか。
そこまで離れているってことではなさそうだけど、相変わらずこの森は視界が悪くて今の居場所が分からない。
さて、どうしたものか。
地上に戻れたのは喜ばしいことに違いはないけど、むしろ本当に悩むべきはここからだ。
とりあえず何とか村へ戻ってみようかとは思う。
でも、その前にこの力をいくつか試してもみたい。
……あ、いや、兎にも角にも、まずは融合を解除してゴブリンの彼を解放してあげたい。
どうしよう、もうこの辺でも良いのかな?
ウィルがそんな事を考えてると、さっきまでの喜びに満ちた声とは一変した深刻そうな雰囲気で彼が言葉をかけてくる。
【なぁ、せっかく地上に出て喜んでいるところ悪いが。
何かいるぞ】
「ん」
その瞬間、ウィルも感じ取る。
背後の茂みの奥から何かの気配。
これは……魔素?
でも魔石から感じていたものとは少し違う。
もっと濃いというか、凝縮されて更に別の何かに変異しているかのような……。
【来るぞ!】
彼の声と共に茂みの中から1頭の大きな四つ足の獣が現れ、こちらに猛進を開始。
「うあっ!?」
かなりのスピードながら、予め気配を察知していたウィルは直前で真横に大きく跳躍してなんとかそれを回避。
突進して体当たりを決めようとしていたそれは虚空に向かって大きく空振りをする。
「グルッ!?」
相手にとってはどうやら相当驚いたようだ。
こちらは完全に死角からの、しかも完璧な奇襲だったはず。
それを見事に見破られたばかりか、直前まで視界の中央に捉えていた敵が一瞬のうちに視界外への消失。
【今のよく避けれたな。
しかしグレイウルフ……。
これはまた、厄介な奴に出会したな】
「な、何とか助かった。
でも確かその名は……」
その名にウィルは聞き覚えがあった。
一度距離を取って再度間合いをはかろうとしているそれは、全身が灰色な4つ足の獣。
体長は2m以上あり、綺麗な毛並みに黄色い目。
体格は狼に非常に似たもので、鋭い牙を生やしている。
深い森で少数の群れで生活している魔物の1種で、滅多に人里には近付かないために目撃例は少ない。
「あいつがグレイウルフ!
ここでまた魔物だなんて、せっかく地上に戻れたのに!?」
僕は今まで見たことは無かったけど、村の人に一度話を聞いたことがある。
彼らもゴブリンと同じように群れで生活しているらしいけど、1つの群れの頭数はゴブリンよりは少ないと聞く。
1匹1匹の力がそれなりに大きく、そこまでの集団ではないらしい。
その武器は数km先まで獲物を捉える嗅覚と、鋭く伸びた牙。
相手の様子を見るに相当に警戒している模様で、敵意をむき出しにしているのが分かる。
普段は群れで生活しているはずの彼らだが、今はたまたまなのか鉢合わせたのは目の前にいる1頭のみ。
【あれは俺らゴブリンも何度かやり合ったことがある。
狙った獲物は必ず仕留めようとする執着心の高さに、あの牙だ。
あれで噛み砕かれたらお終いだな。
奴ら1頭相手に俺ら数匹がかりでやっと対等に相手できる強敵だ。
気をつけろ!】
ゴブリンが爪なら、グレイウルフは牙らしい。
……ど、どうする!
気をつけろもなにも、僕は魔物を倒せた試しなんかこれまで1度もない!
なんせゴブリン相手だって村の中で唯一負傷していたくらいだ。
ましてや、それより強い相手を僕1人なんかで!?
「グルルルルル!!!」
しばし観察しながら相手の出方を伺っていると、再度こちらに唸りを上げながら突進を仕掛けてくる。
迷ってる暇はない。
「くっ!」
直前まで引きつけ、再度横に素早くステップして回避。
「え!?」
【は!?】
一か八かだったながら、また成功。
……しかし、驚いたのはそこではない。
この体、機動性が異常に高い。
移動できる速度が人間だった頃の何倍も高い。
元の体の感覚で横ステップをすると、想像以上に距離を稼げてしまい逆に焦ってしまった。
【おいおい、マジかよ。
暗視や爪だけじゃないのかよ!】
ある程度の暗視能力と元々持っていた鋭い爪という武器以外に、もう1つゴブリンが持っている特性がある。
それは小柄で軽量な体を活かしたすばしっこい動きが可能な敏捷性だ。
ゴブリンは武器になる爪は持っていても、力自体はそこまで強くはない。
それだけだと獲物を狩るのには集団でもかなりの消耗を強いられるという。
しかし、その素早い動きで相手を翻弄することで、自分らより少し格上の相手程度なら十分戦闘ができる見込みが生まれるとのこと。
今までは集団で素早く動き相手の背後を取って、そこに爪の一撃をお見舞いするという戦闘スタイルが主流だったらしい。
「穴を掘ってる時は気づかなかったけど、体がめちゃくちゃに軽い。
ちょっと動くだけでこんなにも早く移動できるなんて。
……これなら!」
奇襲だけでなく、今度は正面からの突撃も呆気なく回避された。
その事実に頭に血を上らせたのか、今まで以上に力強く地面を蹴って3度目の突進。
「グルルルルル!!!」
その勢いは人間がいくら全力で逃げようとも決して敵わない速度に見える。
普通だったら絶対に助からない。
でもーー
「よっよっよっ!」
次は単にステップして攻撃を回避するだけでなく、移動した先で方向を変えつつ更に移動を重ねていく多段ステップを試す。
横を通過していった相手を背後から追いかけ、立ち止まり背後を振り返るのと同時にこちらも背後に回る。
「グルッ!!!?」
グレイウルフに寒気が走る。
3度目も回避されたばかりか、振り返ると敵の姿がいない。
否、いないのではなく、既にこちらの背後に回られている。
「これだけ背後を取れれば、あとは爪でやれそうかな?」
そう言いながら特徴的な獣の耳元をゆっくりと爪で撫でてみる。
すると相手は背筋をゾクッと振るわせ、汗を滲ませた驚愕の表情を浮かべながら咄嗟に前方へ駆け出して距離を取ろうとする。
その後ろ姿は先程までのスピード感は見るからに落ちており、既に戦意を喪失しつつある立ち振る舞い。
こうなるともはや小細工は必要ない。
ウィルは猛スピードで駆けている最中の相手の真正面に移動し、その進路を塞ぐ。
「グッッッッッル!?」
相手の側を離れようと走っていたところ、背後にあったはずの敵影が唐突に視界正面に現れる。
その様に、グレイウルフは完全に硬直。
己の認識が間違っていたのかもしれない。
狩ろうとしていたのに、いつの間にか己が狩られる側に回っていたことを。
その足はガクガクと震え、完全に怯えの態度に変わってしまっている。
その様子を前にウィルは静かに口を開く。
「ごめん。
ここは君の縄張りか何かだったのかな。
だとしたら急に現れた僕の方にも非がある。
だからここは、このまま去ってくれないかな」
!?
その瞬間、相手の表情がピクリと動く。
しばし何かを考えているような間を置いた後、向こうも口を開く。
「き、貴様……。
一体何者だ......。
なぜその様な奇妙な姿を、それにその身体能力は!
ただのゴブリンではないのか!?」
喋った!?
…………と思ったけど、これは恐らく今の姿のお陰だろう。
魔物であるゴブリンと融合しているから、同じ魔物である彼とも意思疎通が可能なのか。
随分驚いている様子だけど、ここで色々話しても無駄な気がする。
もう少し脅かせばそれで帰ってもらえないかな。
こちらは質問には答えることなく、黙ったまま爪を相手の額に突きつける。
「…………く、くそ。
どうやら只者ではないようだが、獲物をみすみす逃してやるその甘さ。
後に必ず後悔させてやる。
覚えていろ!」
そう吐き捨て、グレイウルフは震えがまだ収まりきっていない足を無理やり奮い立たせ、頼りない足取りで森の中へと消えていった。
ウィルは安堵したように地面に座り一息つく。
「はぁ、はぁ、はぁ。
と、とりあえずなんとかなった!
一時はどうなるかと思ったけど、またこの体のおかげで助かった。
僕1人だけだったらどうなっていたことか……」
【おい!
なんで殺らなかったんだ!
お前なら止めを刺せただろ!?】
ゴブリンの彼はウィルの戦闘には驚きつつも、その対応は気に入らなかった模様。
「まぁ、僕らは別に戦いにきた訳じゃないから。
元々ここは彼らの縄張りだったのかもしれないし。
彼らにも家族はいるでしょ」
あんなほぼ脅しに近い状態ではあったけど、何とか話を聞いてもらえて良かった。
あれでも諦めてくれなかったら、もう他に方法は思い付かなかった。
相手が例え魔物であっても、無闇に殺すっていうのは気が引ける。
【はぁ。
それだけの力を持っておきながら、何て甘っちょろい性格してんだ。
そんなんじゃいつ死んでもおかしくないぞ?】
「はははは。
でも、次は気をつけるよ。
付き合ってくれてありがとね。」
ゴブリンの力を使うウィルとグレイウルフが対峙していた同時刻。
そこより南に数km離れた森に、1本の剣を腰に下げ、全身にローブを羽織った旅人が1人。
異様な魔力の衝突の気配。
一方はただの魔物のそれで特に変ではない。
問題は、もう片方。
「……今のは?」