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全てを失った女性エンジニアはスピードに魅せられる

作者: 衛府 恵

少し長い短編ですが、読みやすく書けたと思います。


※死や暴力などの描写が含まれるシーンがあります。できる限り穏やかに描いておりますが、苦手な方はご注意ください。

――あと5周……このまま持ちこたえて……!


チーム・ルッジョの魔輪車、カーナンバー34がピット前を駆け抜ける。順位は2位。まだ、優勝の可能性はある。


「いっけええええ!!」


ステラは拳を振り上げて感情を爆発させた。


バランスに致命的な欠陥を抱えたマシン――それがどれほど危ういか、チーフメカニックの彼女が一番よく分かっていた。


それでもその魔輪車は、ライダーであるキッポリーノの巧みなテクニックに支えられ奇跡的な爆走を披露してきたのだが。


そのマシンが第1コーナーに消えた、その時――


カッ!


その先で激しい魔力光が弾けた。


運営からの通信を受け、チーム総監督のルミーノが怒声を吐き捨てた。


「畜生!キッポリーノだ!」


ホームストレートを駆け抜けたばかりの34号車がクラッシュしたのだ。


「そんな……」


ステラは興奮から一転、顔面蒼白となって立ち尽くしていた。



ルッジョ社はティーダル帝国で少し名の知られた魔道具メーカーで、先の戦争中は軍用の魔道運搬車を製造した軍需企業の一つだった。


そのルッジョ社がなぜ、魔輪車のレースに出場しているのか。


そのきっかけは、敗戦により国名が帝国から共和国に変えられた頃、たった一つ所有する工場が火災に見舞われたことである。


戦災ではなく、戦後の火災ということで保険金は下りた。しかしインフレのため工場の再建にはとても足りなかった。


従業員も離散して行き詰った社長、ルミーノは金策に駆け回ったが、どの銀行も融資してはくれなかった。


「御社の経営規模、技術力では、とても融資は無理ですな」


軍に納めていた運搬車が他社製品のコピーだったこと。それは軍の命令で仕方なかったのだが、そのために自社の製品開発能力を疑われてしまったのだ。


ルミーノは戦後の復興に技術で貢献したい、と熱い想いを抱いていたが、それどころではない。


そこで、会社を宣伝し出資元や提携先を募ること、ティーダルの技術力を世界に知らしめティーダル人を元気付けること、その一石二鳥を狙って魔輪車の世界的レースへの参戦を決意したのだ。


そのためにスカウトしたのがステラである。


そのレースの半年前、ルミーノは実家の畑で土にまみれて芋を収穫していたステラを訪ね、こう切り出した。


「元カペラ社のステラさんですな。しがない運搬車メーカーをやっています、ルミーノ・ルッジョと申します。あなたに力を貸していただきたく、こちらに参りました」


ステラは作業の手を止めもしなかった。


「お引き取りください。私は、もうエンジニアとして仕事をするつもりはありません」


「なぜです?あなたは解体されたカペラ社で唯一、収監されなかったエンジニアでしょう。荒廃したこの国のためにその力を活かさないでどうします?」


その言葉を受けても、ステラの手は止まらず、感情の感じられない平坦な声で答えた。


「敗戦で会社は解体。携わってきた飛行魔道具の資料は没収。今後の開発製造は禁止されました。挙句、魔法薬研究をしていた婚約者は戦争犯罪人として銃殺刑。もう、私には何も残っていません」


ルミーノはしばし押し黙ったが、意を決したように口を開いた。


「……悔しくは、ないのですか」


初めて彼女は作業を止め、ゆっくりとルミーノに向き直った。


「もう、何もかもどうでもいいんです」


言葉とは裏腹に、一筋の涙が頬を伝った。その手は強く握り締められ、小刻みに震えている。何もかもを諦めた無気力とは程遠い、悲哀と憎悪が漏れ出ていた。


「クララントの連中は女性に手荒なことはしないってあなたを釈放したそうですがね、違いますよ。あいつらは女に何もできるわけがないとバカにしているんです。そういう奴らなんですよ!」


「女だろうが男だろうが、どうにもできやしないでしょう!もう帰って」


とうとうステラが涙声で叫んだが、ルミーノはそれを遮って叫び返した。


「できるんです!絶対に、やってみせるんです!


私は、技術で連中に勝ちたい。


クララントが誇る魔輪車を、ティーダル人が、ティーダル製の魔輪車で追い抜いてやる。そして、魔輪車レース最高峰の、“アシュパTT”で優勝してやるんです!


そのために、あなたの力が欲しい!お願いだ、どうか力を貸してください!!」


何を言うのか。


クララント連邦は魔輪車発祥の地で、世界で最も多くの魔輪車が走る国だ。魔輪車が不良の乗り物としか思われていないティーダルとは、技術力の差は歴然としている。この男は正気なのだろうか?


唖然とするステラに、畑に下りてきたルミーノは機械油で薄汚れた封筒を押し付けた。


「うちのテストコースの地図と、バスと鉄道のチケットを入れています。開発中の魔輪車をお見せしますから、いつでもおいでください」



その1週間後、ステラはルッジョ社のテストコースにやってきた。ルミーノの「……悔しくは、ないのですか」という言葉が頭をぐるぐると巡るようでどうにも落ち着かなかったのだ。


社長を名乗る胡散臭い男は大口を叩いていたが、どうせ大したものではないだろう、見て、そうと分かればスッキリするに違いないと思った。


「本当にここなのかしら。荒地にしか見えないわ」


地図を頼りにたどり着いたその現場は、柵で囲われてこそいたが、雑草が生い茂り、放棄された牧場か何かのようだった。遠くに粗末な掘立小屋があり、人が出入りしているようだ。


ステラがそちらに近付くと、気づいたらしい人物が大きな身振り手振りで何かを伝えようとしている。


(一体なんなのかしら?)


それは危険を伝えるサインだった。しかし、ステラにはそれがよく分からず、ただ、その様子を訝しんでいると、後ろから微かに


シュイィィィィーーーン


と音がしてくる。何の音かと振り返ろうとしたその時、彼女を追い越すように、低い位置を何かが一瞬で通り抜け、一拍遅れて激しい風圧が襲った。


ステラは息を呑み、瞬きを忘れて通過した鈍色のそれを目で追った。


魔輪車――それは、伝統的な飛行魔道具「空飛ぶ箒」から発展した乗り物である。


地上スレスレを飛行する箒。その穂先にあたる部分に車輪を取り付け、魔法により回転させ走行するのだ。


ライダーは箒の柄にあたる部分に腹ばいになって乗る。現代的な魔輪車はライダーの姿勢を支えるサドルや操作を補助するためのハンドルを備えるようになった。


柄の先には低速時に接地するための小さな車輪も付いているが、走行中、柄は地面とほぼ平行に、空中に浮いた状態になる。


そのため魔輪車は非常に低い高さを這うように走行する。それが、ステラを追い抜いたものの正体だ。


テストコースになっていたのは柵の向こう側ではなく、今まさに自分が歩いていた場所だったのだ。


通り過ぎた魔輪車を見つめるステラは、その「地を這う箒」が自分の心臓を貫いていったのだと思った。


魔輪車は空こそ飛ばないが、その走りはほとんど地表を飛行しているようなものだ。自分が心から愛した飛行用魔道具――それと共通するものを感じた彼女の心に小さな炎が灯った。



ほどなくルッジョ社に迎えられたステラは、魔法により回転力を発生する魔道機関の出力向上と、飛行用魔道具で培った空力的ノウハウのフィードバックに取り掛かった。


「とりあえず組み上がったわ。駆駆皆電四型の誕生ね」


魔輪車には駆動力を大きくすると柄を地面に押し付ける力がかかるため、やみくもにパワーを上げることができないという構造的欠陥がある。


この問題を、柄の先端に小さな翼を取り付け、揚力を得ることで解決する――彼女が作り上げたのはそんな野心作だ。


しかし、この前翼は車の速度に応じた繊細な角度調整を必要とする。その役割を担う魔法流路のチューニングは困難を極めた。


ライダーであるキッポリーノに鎧のような保護服を着せ、事故時の危険を減らすため搭載する人工魔石の容量を小さくしてテストを重ねた。


マシンのクラッシュと修理は数知れず。キッポリーノが軍の魔輪車偵察隊で鍛えられており、肉体的に頑強で転倒時の受け身も上手いのは幸いだったが、それでも彼は何度も治癒魔法の世話になった。


当のキッポリーノは明るくこう言った。


「この動きにくい服でテストをしているから、俺のライディングスキルがゴリゴリ上がっていくぜ……」


「頼もしいわね。それじゃあ、こちらもそれにふさわしいマシンを完成させないといけないわ」


思えばこれが魔輪車のクララント・ツアーの第1戦、ドーラムグランプリ――2位に追い上げるまでにマシンが実力を発揮したあのレースである――のわずか1月前の会話だった。


結局、前翼の制御の問題が根本的には解決しないまま、レースの幕が上がったのだ。



人工魔石、それは魔力を魔法により時空間的に圧縮したものである。特に空間圧縮の技術は画期的で、魔石に蓄えられる魔力量を大幅に引き上げることになった。


しかし、大きなエネルギーを小さな空間に圧縮したものというのは、例外なく危険物だ。


ドーラムサーキットの第1コーナー。空力的な不安定さから激しく転倒した駆駆皆電四型は、レース用に特別に高圧縮化された人工魔石に損傷を受け、そのエネルギーが一気に放出された。


それが、ステラが見たあの光である。


魔力の奔流に晒されたキッポリーノは、サーキットの露と消えた。


キッポリーノを失ったルッジョ社の面々は、深く嘆き悲しんだ。


「……ああ、キッポリーノ、許してくれ、俺がレーサーにしなければ……」


「私が悪いんです。理論的にはうまくいくからと、難しい設計にこだわったから……この度のことは、どうお詫びしてよいか分かりません……」


彼の葬儀でルミーノとステラは泣いて彼の両親に謝罪した。キッポリーノの父は涙ながらに言った。


「あの悪ガキだったキッポリーノときたら、軍でも素行不良で何度も懲罰を受けていました……それがレーサーになって、どんなに変わったか分かりますか?


息子は死にましたが、確かに輝きを放っていた。私たちは、レースに感謝しているんです。


ルミーノさん、ステラさん、まさかとは思いますが、レースを止めるなんて仰らないでしょうね!息子は言っていましたよ、絶対にアシュパで優勝するのだと。


もし、息子に悪いと思っているのなら、勝って、優勝トロフィーを墓前に供えてやってください……うううぅ……それこそが、償いってやつですよ……」


ステラはもう、レースマシンに関わるのは止めようと思っていたが、その言葉は彼女の心に新たな闘志を芽生えさせた。


――もう、迷いはしない。

必ず理想のマシンを完成させ、アシュパTTで優勝してみせる。



葬儀後、業務を再開したルッジョ社に珍客が現れた。


けたたましい爆音に驚いて外に飛び出したルミーノとステラが見たのは、原形を留めないまでに改造された魔輪車と、それに跨る派手な服の男——いわゆる暴走族だった。


「こらぁ!キッポリーノの兄貴を死なせたのはてめえらだっていうのは本当かあ!!」


男が魔輪車から降りようとするのを見た2人は、恐怖して建物に駆け込み扉を閉めた。男は鉄パイプでガンガンと扉を殴って更に騒ぎ立てる。


ルミーノは「け、警察だ」と慌てて店の奥に駆け込んだ。ステラも恐ろしさに震えていたが、何度も扉を殴られ、死なせた、殺したと叫ばれるのでだんだん腹を立てた。


確かにキッポリーノを殺したのは自分たちかもしれないが、そのように話を単純化されることは彼の死を汚すことのように思えてきたのだ。


意を決したステラは窓の鎧戸を開けて男に怒鳴りつけた。


「叩いたり叫んだりするのは止めなさい!」


「なんだ、てめえは。女がしゃしゃって来るんじゃねえよ!」


凶相で睨みつけてきた男に対し、ステラも負けてはいない。


「私は、キッポリーノさんの死に、責任を負う者の一人です!いったい、何のご用ですか!」


「俺はキッポリーノさんを殺した野郎をぶち殺しに来たんだよ!おめえみたいな女に用はねえ!」


そのセリフにステラはキレた。


「何よ、女、女って!私はここのチーフメカニックよ!」


男はステラが顔を出している窓に詰め寄りながら、なおも因縁をつけた。


「てめえみたいな女がメカニックだとぉ?ショボいやつが組んだマシンに乗ったから兄貴は死んだんじゃねえのか?ああん??」


「確かにマシンは未完成だったわ。でも彼はそれを承知で乗ったのよ。本当にライディングが上手くて、勇敢で……あなたとは大違いだったわ」


「俺が臆病だとでも言うのか、てめえ!」


「臆病だわ。ぶっ殺すだなんて言って、私が女だから、その鉄パイプで殴れないんでしょう?」


ステラは柄にもなく挑発した。キッポリーノの葬儀で新たにした闘志。それが、精神的に不安定だった彼女の中で暴走してしまったのだ。


男は一瞬言葉に詰まったが、次第に顔を真っ赤にして叫んだ。


「うるせえ!そんなに死にたいならやってやるよ!!」


ステラは振り下ろされた鉄パイプをとっさに左腕で受けた。ゴキ、と嫌な音。しかし激痛を無視して言った。


「本当に勇敢だっていうなら、あなた、レースマシンに乗ってごらんなさいよ。あのキッポリーノさんの弟分なんでしょう?」


鬼気迫る表情の彼女を前に、男は後ずさった。


「なんだこの女、まともじゃねえ」


「ええ、まともじゃないわ。アシュパTTで優勝することは彼の悲願だったの。そのためには何だってするのよ。


あなたに彼の代わりが務まるか見てあげるから、早く乗りなさいな。駆駆皆電四型はもう組み上がっているわ」



テストコースを走る駆駆皆電を見たステラとルミーノは舌を巻いた。


マシンは慣らし運転が済んでいないのでリミッターがかかった状態だ。それでも男が乗り付けた族車とは別次元のパワーとスピード。それを曲がりなりにも乗りこなしてみせたことは驚嘆に値した。


「た、たいしたことないじゃねえか」


男は虚勢を張ったが、その顔面は恐怖で蒼白だ。ステラはルミーノが左腕に当ててくれた添え木をさすりながら答えた。


「見所あるじゃない。あなた、名前は?」


「ウルヴァン・ファルティス」


「そのマシンは予備部品から組み上げたばかりだから本来の速さには程遠いわ。調整しておくから3日後にまたいらっしゃい」


「……マジかよ」



約束の3日後、ウルヴァンは来た。彼は保護服を嫌がったが、キッポリーノの遺品だと伝えると渋々着用してマシンに跨った。


前翼が取り付けられ、調整が完了した駆駆皆電。極端にバランスの悪いそれを、ウルヴァンはまっすぐ走らせるのにさえ苦労した。


だが、かつてのキッポリーノでさえ、前翼を取り付けたマシンに乗った当初は似たようなものだった。


彼にライダーとしてのポテンシャルがあると判断したルミーノはウルヴァンを口説きにかかった。初めは反発した彼だったが、


「逃げるのですか?」


の一言で承諾に転じた。


この日には、ルッジョ社にとってもう一つの重要な出会いがあった。ステラの元婚約者、ザイノーの妹であるアイトリーが訪ねて来たのだ。


「お久しぶり、義姉さん」


ステラはザイノーとは婚約関係だったが、結婚はまだだったから、義姉と呼ばれるのは本来はおかしい。


しかし、戦争で両親を亡くし、兄も処刑されて天涯孤独となったアイトリーにとって、ステラは唯一の家族と言って良い存在なのだ。


「元気そうで良かったわ。急にどうしたの?」


「義姉さんこそ、その腕どうしたの?」


「ああこれ?ちょっと躾の悪い犬に噛まれたのよ」


久々に再会した2人は四方山話に花を咲かせたが、やがてアイトリーが本題を告げた。


「実はね、大学をクビになってしまって……戦犯の妹が教鞭を振るうというのは、やっぱり問題だったみたい。


数学の研究はどこでもできるから、アトリウムあたりにでも亡命しようと思って……それで挨拶に来たの」


「そうなのね、寂しくなるわ。しばらく会えなくなりそうなら、この機会に相談したいことがあるのだけれども――」


ステラは駆駆皆電が抱える問題を説明した。数学者であるアイトリーにこのような相談をするのはお門違いのような気もしたが、せっかく賢い人が訪ねて来たので物は試しと思ったのだ。


そして、そのちょっとした思い付きが重大な転機をもたらすことになる。


「ふんふん、なるほど、それは待ち時間系の制御問題ね。実はこれ、兄さんの魔法薬製造を安定化させるために研究した問題に良く似ているの。


つい最近、理論は完成したのだけれど、なかなか学会の理解が得られなくて、論文を受け付けてもらえないのよね……」


婚約者だったザイノーのための研究が駆駆皆電の問題解決に繋がるかもしれない――そのことにステラは奇妙な縁を感じた。


「アイトリーさん、ちょっと、亡命は待ってもらってうちで仕事をしていかない?あんまりお給料は出せないけど」


「研究成果が試せるなら、無償でも喜んでやるわ」


こうしてルッジョ社はライダー候補のウルヴァン、数学者のアイトリーという心強い仲間を得たのだ。



その後、駆駆皆電へのアイトリー理論の実装は順調に進んだ。


前翼の傾斜角の調整には予測フィードバック制御が導入された。これにより、魔道機関のパワーによる車体角度の変化を予測して適切な傾斜角を設定できるようになり、特に旋回時の安定性が格段に向上した。


アイトリーは半ば呆れたように言った。


「これ、かなりの計算量になるのよ?私が言うのもなんだけれど、よく魔法流路に落とし込めたわね」


「私にはこれしかできないもの。それに、これはあの人のために研究した理論なのでしょう?だから、これが完成したら弔いになるような気がして……いくらでも無理できるのよ」


寝食を忘れて没頭するステラは目の下に濃い隈をつくり肌も髪もボロボロ。


左腕のケガも直りが遅く、アイトリーが無理やり病院に連れて行くたび、医者から「不摂生をしていてはいつまでたっても治りませんぞ」と叱られていた。


そんなところにやってきたのはウルヴァンだ。


「あら、ウルヴァン。タイムはどう?かなり乗れるようになってきたみたいだけど」


「ああ、キッポリーノの兄貴のタイムまであと少し」


その言葉に、アイトリーはウルヴァンに胡乱な目を向けた。


「ねえ、不良君。魔輪車っていうのは相当難しい乗り物だというけれど、君は暴走族上がりの素人なんでしょう?本当にそんなにいいタイムが出ているの?」


「ケッ、大学の先生様にはただの不良にしか見えねえかもしれねえがよ、俺らの族じゃあ兄貴に着いて走れたのは俺だけだったんだぜ。兄貴仕込みのライテクに文句つけるってんなら承知しねえぞ」


「喧嘩しに来たのなら戻って走行練習しなさい!」


ステラが窘めるとウルヴァンは眉を垂れて彼女に向き直った。


「いや……俺ぁ、あんたに謝らねえとと思って来たんだ。


ここのコースを走るとよ、何だか先に走る兄貴を追いかけているような気になって……あのマシンは兄貴が乗っていたのとは違うらしいけど、兄貴との繋がりを感じるっていうか、とにかく感謝してる。


でも、俺ときたらここに来た日にあんたのことを鉄パイプで殴っちまって……ケガ、まだ治ってないんだろう?この通りだ、許してくれ!」


深々と頭を下げたその姿に、ステラは呆気に取られた。


「おぉー。漢気だね。義姉さん、どうするの?」


「……あれは、私が挑発したのもいけなかったのよ。悪いと思うならタイムで報いてくれたらいいわ」


アイトリーが茶化そうとしたところで、ようやくステラはそう答えた。


翌日、ウルヴァンは長髪をスッキリと短く刈り込んでやって来た。乗りつけた魔輪車からも、走りと無関係な装飾の一切が取り外されていた。


……それからの彼の振る舞いは、人が変わったようだった。


走行の記録には欠かさず目を通し、メカニックとも真剣に話し合うようになり、技術的なフィードバックを求めることさえあった。


魔輪車についての基礎技術書を抱えている姿を見たステラは思わず吹き出しそうになったが、同時に胸が熱くなったりもした。


とうとうキッポリーノのコースレコードを塗り替えた日、彼はこうつぶやいた。


「ゴールラインで、兄貴が背中を押してくれた気がしたんだ……」


そして、ステラとアイトリーもまた、情熱を燃やしていた。機体を制御する魔法流路の洗練が進み、あらゆる状況で安定した、極めて転倒リスクの低いマシンを完成させたのだ。


ルッジョ社の再建を賭けたプロジェクトは、ついに最終局面を迎える。


アシュパTT――魔輪車レース最高峰の舞台。その開催に全てを間に合わせることができたのだ。



アシュパTTはクララント・ツアーの最終戦を飾るレースで、その特徴は何と言っても起伏に富んだコースレイアウトだ。


下り坂から逆バンクの左カーブを抜けて急な斜面を登る第3コーナー、緩い下り坂を超高速で左に回る第17コーナーが見どころで、それぞれ数多くのライダーをリタイアさせてきた。


第1戦でクラッシュによりリタイア、ライダーが死亡したチーム・ルッジョの出場は驚きをもって迎えられた。


「クララントに殴り込んできたティーダルの騎士」などと煽情的な報道もされているが、そのライダーの経験が浅いことも知られており、概ね様子見のための出場と思われていた。


――その予選タイムを見るまでは。


キッポリーノのナンバー、34を引き継いだ駆駆皆電四型改とウルヴァンは、1位からわずかコンマ03秒差の2位という結果を叩き出した。ウルヴァンはこの結果を見るなり


「すまねえ。マシンの実力通りなら1位だったろうに、俺の腕が付いていけてねえんだ」


と謝ったが、初めて走行するコースでこの順位というのは驚異的なことである。


上々の結果に喜ぶチーム……だが、彼らを待っていたのは賞賛ではなく不正を疑う声だった。


他のほとんどのチームから提出されたという訴えは、参戦初年度でこのようなタイムを出すからには、何らかの不正をしているに違いないというものだ。


レース運営により駆駆皆電四型改は徹底的に調べられ、チーフメカニックのステラは長時間の取り調べを受けた。結果、本戦までの間にマシンを調整する時間はほとんどなくなってしまった。


「くそ!連中、あからさまな妨害をしやがって!!」


ルミーノは毒づいた。運営は明らかに調査の時間を引き伸ばしていた。そこに、ティーダルのチームに対する差別的な意識があることは明白だ。


「私たちは戦争に来ているのよ。こんなことに負けてはいられないわ、あなたも手伝って!」


ステラは許されたわずかな時間でできる限りの調整を試みる。ルミーノや他のスタッフも必死でマシンに取りついた。



そして迎えた決勝。マシンの調整は済ませたが、完璧な状態とはいえない。だが、チームはやるしかないという緊張感に包まれていた。


ピットからコースに入った駆駆皆電を待っていたのは超満員の会場から浴びせられる激しいブーイングだった。


ステラはうろたえたが、族上がりのウルヴァンにとっては景気付けに丁度良い反応だ。観客を挑発するように片手を突き上げ、わざと蛇行しながらコースを1周し、スタート位置についた。


「あいつ、族に戻ったんじゃないのか」


呆れるルミーノ。ステラはウルヴァンに駆け寄り、最終調整を行う。


「調子に乗ってはいけないわ。レースでは、あのキッポリーノも命を失ったのよ。無理はしないで」


会場に挑発的なハンドサインを送っていたウルヴァンは、ハッとしたようにステラを見詰めた。


「クララントの連中はムカつくがよ、俺はマシンのことは何も心配してないぜ。無理なんかしなくても、ちゃぁんとこいつがゴールラインまで連れて行ってくれる」


その言葉にステラは笑みをこぼす。


「いいわね、行ってらっしゃい!」


それからのウルヴァンは、ただ、じっとスタートを待った。



いよいよ、スタートのシグナル。赤く灯っていたそれが消灯すると同時に、各マシンは一斉に飛び出した。


短いストレートの先はヘアピン状に右に曲がる第1コーナー。そこでウルヴァンは大きく順位を落とすことになる。


ポールポジションからスタートした車が、幅寄せしてきた。このレースは最終戦であり、年間チャンピオンは既に決まっていた。その選手が、自分の順位よりティーダル人への嫌がらせが大事とばかりに妨害を仕掛けてきたのだ。


ウルヴァンは態勢を崩しかけるが、巧みなブレーキングでかわす。後方から迫る別のマシンも、後ろに目が付いているかのようなライディングで避けてみせた。


だが、ポジションは最下位まで落ちてしまう。


「なんだあれは、ペナルティものだろう!」


ルミーノは吠えたが、運営はペナルティを課そうとしない。このようにあからさまに差別的な扱いは今では考えられないことであるが、当時は珍しくないことだった。


1周、また1周。マシンスペックで勝るウルヴァンは後方からオーバーテイクを続けるが、その度に妨害を受けた。


それらを全てかわし、残り5周。ついに2位の順位を取り返す。奇しくも第1戦と同じポジションとなった。


徐々に詰まる1位との間隔。ファイナルラップの第3コーナーにチャンピオンよりやや高いスピードで進入したウルヴァンは、コースアウト間際の危ういラインで通過し、ついにその先の上り坂になったストレートでチャンピオンに並んだ。観客席から悲鳴が上がる。


だが、チャンピオンは巧みなライン取りでストレートエンドの第6コーナーに進入し、ウルヴァンに順位を譲らない。


その後の区間でも攻防は続き、第16コーナー。チャンピオンがほんの少し態勢を崩した瞬間を、ウルヴァンは見逃さなかった。


コーナーをわずかに早く抜け出した駆駆皆電は全開走行に移行する。さらにややブレーキングして超高速の左コーナーに進入。


観客席からは再びの悲鳴。ステラは言葉もなく、食い入るように成り行きを見守った。


強烈な横Gに耐えながら全開で走るウルヴァンに、スリップストリームに入って追うチャンピオン。そしてその先に待ち受けるシケインでのブレーキ勝負。


その時チャンピオンがブレーキを遅らせ、意図的にウルヴァンに突っ込んだ。必死で避けようとするウルヴァンだが、高速コーナーからのブレーキング中、姿勢を変えることは難しい。


誰もが追突する!と思った瞬間、チャンピオンは突然転倒、マシンはコース外へ滑り出して行った。


「なっ、あれ、ワザと転んだ!?」


ルミーノが言うように、あまりに不自然な転倒。観客席のあちこちから上がる怒号。そしてそれが事実上の結着だった。


ウルヴァンはシケインをクリアしてホームストレートに入り、そのままチェッカーフラッグ。ここに、史上初めて、ティーダルのチームによるアシュパTTの優勝が成し遂げられたのである。


チーム・ルッジョの面々はウィニングランから戻ったウルヴァンに駆け寄り歓喜を爆発させているが、観客席は騒然。転倒したチャンピオン、そしてティーダル人の優勝という事態に動揺しているのだ。



表彰式、ポディウムの頂点に立つウルヴァンにメダルが与えられる。


会場からはまばらな拍手。その雰囲気にウルヴァンは持ち前のふてぶてしさを発揮してガッツポーズを決めて見せた。そこに現れたのは包帯を巻いたチャンピオンだった。


『俺が認めてやる。こいつが今日のヒーローだ。俺は、こいつに幅寄せもしたし、最後はわざと追突してリタイアさせようとした。それがクララントのためだと指示されたからだ。


でも、この神聖なアシュパTTでそんなことをすることを、俺自身が許せなかったからわざとリタイアしたんだ。


ティーダルの坊主、済まなかった。そしておめでとう!さあ、みんなも認めてやろうぜ。こいつらは頑張った。一番速かったのはこいつらだ!』


訛りの強いクララント語で語られたそれは、ウルヴァンやステラには理解できなかった。が、それを聞いた会場から贈られた割れんばかりの拍手に、何かいいことを言われたのだろうと分かった。


『くそやろう!ありがとう!』


ウルヴァンが、知っているたった2つのクララント語を叫ぶと会場の盛り上がりは頂点に達した。


ステラは涙が止まらなかった。


絶望していた自分を救ってくれたレースマシン、キッポリーノの死、新たな出会い、必死にマシン開発を進めた日々、そしてレース中の妨害やティーダルに対する差別――


様々なことがあったが、チームは目標を達成し、今、拍手を浴びていた。

 

魔輪車の歴史、ティーダルの歴史に刻まれる偉業。それを成し遂げた――そんな復讐心が満たされたのでも、優越感に浸るのでもなく、ただ、達成感だけがあった。


(ザイノー、キッポリーノ、見ていますか。ついにやり遂げました。ティーダル人がクララントのレースで勝ち、クララント人から拍手を浴びるなんて、想像もしていませんでしたね……)



このニュースはいち早くティーダル共和国に伝えられ、国中が歓喜に沸いた。ティーダル人でもやれる、クララントに勝てる。ルミーノの思った通り、彼らの挑戦は国民に勇気と希望をもたらしたのだ。


ルッジョ社には投資の申し出が殺到、会社は魔道運搬車の製造をきっぱりと止め、魔輪車専業として再出発した。その後の魔輪車メーカーとしてのルッジョ社の発展は、今や常識として語るまでもないだろう。


敗戦により廃墟なったティーダルに希望をもたらした女性エンジニア、ステラ・チェシィの名はティーダルの小学校で道徳の教材として広く知られ、ライダーの神、キッポリーノの名とともに戦後復興のシンボルと見なされている。



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