7.『私と語り合った日/私と出会った日』
逃げ出すように、少女は駆けだす。
気が付けば、村のはずれ。草原との境界線にアルスは立っていた。
『何やってるのよ。お婆様に言われたでしょ、夕飯までに無事に帰るって』
内なる声は、強く静止する。そこでようやく、アルスは一呼吸をおいて止まった。
『いい、草原には狂暴な魔物や盗賊が居るの。錬金術師のお婆様ならともかく、アタシたちは無事じゃ済まないわよ』
「うん、ごめんね……」
『分かればいいけど……』
アルスはその場に座り込むと、ボーっと空を見る。
遠く、村の賑わいが聞こえてくる。
草原からの風が吹く。若草の香りの空気を肺に取り込んで吐き出すと、ようやく心が落ち着いた。
「ねえ……私が転生した日に、『アルス』はどんな状態だったの?」
ずっと、疑問に思っていたことを口にした。
『どんな状態って……正直、分からないわ』
返す言葉には困惑が混ざっていた。
『前にもちょっと言ったわよね。アタシも死にかけてたって。
恥ずかしいけど、ちょっとドジちゃったの。あの日の数日前に、変な奴が村にやってきた。
そいつは暴れて……で、その時にアタシも巻き込まれちゃったの』
強盗か、あるいは狂気による犯行か。
一見穏やかな世界であるが、おかしな人間と言うのはどこにでも存在する。
そして、不幸な事件も起こる。
『怪我自体はすぐ治った。お婆様は錬金術師だから、薬だってすぐに作れる。
でも、よくない魔法か呪いのせいで魂が不安定になっていたみたいで……気が付いたら、アタシは肉体だけは生きて、魂だけは危ない状態だって……言われてた』
「それじゃあ……」
『たぶん、分かる。あれは本当に死んだんだと思う。身体は動かなくなって、自分の心も曖昧になって』
「わかるよ、私も、前の世界で死んだんだから」
二人は臨死体験をお互いにしていた。ともに、肉体と魂、違いはあるが、『死』と言うものを体験していたのだ。
『そこで、お婆様が錬金術の秘術を用いて魂を呼び戻してくれた』
「でも、そこに肉体に戻ったのは私だった」
ずっと心の中にたまっていた感情が、一斉に噴きあがった。
「やっぱり、事故だったんだ……私がここにいるべきじゃなかったんだ」
『アンタ、変なこと考えてないわよね!』
「でも!」
『でもじゃない!!』
内なる声は、弱い感情を吹き飛ばすように強い口調で話しかける。
だが、一度噴出した感情は止まらない。
「あそこで死んでるべきだったんだ……そうすれば」
気が付けば涙があふれていた。
「そうすれば、アナタは蘇って、みんなが幸せになれたんだ!
オーロラさんの笑顔も、温かい食事も、安らげる場所も、みんなみんな! 私が奪っちゃったんだ!」
『違う!!』
だが、内なる声は絶対に否定する。
『いい、二度とそんなことを言わないで! そんなのゼッタイに許さない』
「……っ!」
まだ吐き出しそうになる弱音を必死に押し止める。それでも涙は止まらない。
そうして、落ち着くまで待ってくれた。
『……そりゃあ、何も思ってないわけじゃないけど……アンタ、自分でやったんじゃないんでしょ』
「うん……」
生まれ変わったのは偶然でしかない。それは。確かだった。
『なら、それでいいよ……』
「……あり、が、とう」
ようやく、涙は止まった。
『ね……少しでも申し訳ないと思うなら、一つお願いを聞いてくれない?』
それは、少女からの初めての提案だった。
『アタシに名前をくれない?
アルス、は、肉体と人生ごと、あなたにあげたの。そう言うことにしておくから』
どこか強がりのような言葉を、アルスは静かに聞いている。
『だから、その代わりにアタシにちょうだいよ』
「……それで、いいの?」
『いいの!』
その念押しは、誰に向けたものだったろうか。
ただ、受け取ったアルスは、小さく頷く。
「……『マグナ』」
『マグナ?』
「うん……私の世界で、錬金術に関わる大事な言葉……到達すべき、大いなる術」
『アルスとマグナ、で一つの意味なのね。
いいじゃない。これからアタシたち、長い付き合いになるんだし』
マグナはケラケラと笑うと、新しい名を、肯定的に受け取ってくれた。
◆◆◆
夜の帳が降りる頃、アルスとマグナは家に帰って来た。
扉を開けて、ランプの証明が照らす道を歩く。
そして、食堂の扉を開けると、オーロラが食事を用意して待っていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
その言葉には、安堵と確かな愛があった。
(分からない、分からないことばかりだけど。私も、オーロラさんが悲しむところは見たくない)
その日、改めて少女は愛を知った。
少なくとも、愛があると知ったのなら。
なら、それに応えることは間違いではない筈だ、と。