6.『村での日々/違和感の日々』
朝、朝日とともに起きることが出来る。
それは、夜、安心して眠れることと同じことだ。睡眠中であっても警戒をする必要がなく、深い眠りにつくことができる。
「おはよう、アルス」
そして、目覚めた朝に、朗らかな挨拶の言葉をくれる人がいる。
十分に清潔な水と布。それで顔を洗えば温かい朝食が待っている。
「おいしい、アルス」
そう、問いかけてくる顔は、笑顔だ。
幸せ、とはなんだろう。
恵まれている、とはなんだろう。
定義は時代や文化、経験によって異なってくるが、『アルス』のおかれた状況は、おおよその人は『不幸ではない』と言う。
だからこそ、少女にとって居心地は悪かった。
(この暖かい家も、優しい言葉も、本当は全部私のものじゃない……)
本当は死んでいる筈の人間が、本来は『アルス』に与えられるべき愛も安らぎを奪っている。
居心地の悪さを感じながらも、同時に、別の感情も持っている。
(でも……なんで何も言えないんだろう)
目覚めた日に内なる声に言われた、オーロラが悲しむから、と言う言葉。
確かに、真実を告げればオーロラは悲しむだろう。そして、その先、『アルス』はどうなるだろう。
今までと同じように、愛を受け取ることが出来るだろうか。
今までと同じような、温かい豊かな生活をおくることが出来るだろうか。
「どうしたの、アルスちゃん」
悩む彼女を前に、オーロラは優しく声をかける。
その言葉が暖かくて、失うことが怖くて――奪ってしまった罪の重さが胸をしめつけて、オーロラは困ったように微笑む事しか出来なかった。
◆◆◆
目覚めて十日目の朝だった。
いつのもように朝食の食卓についたアルスは、一つ、お願いをした。
「あ、あの……今日、天気がいいから、外に、行きたいな」
オーロラは手に持っていたパンを置くと、少し考える。
そして、心配するように声をかけた。
「もう、体は大丈夫なの?」
「うん……平気だと、思う」
そう伝えても、オーロラの顔はなおも心配そうだった。
『大丈夫よ、アタシから見ても十分に元気だと思うわ。なんて、お婆様には伝わってないか』
冗談めかした言葉であるが、アルスは申し訳なく思う。
「そう……そうね、過保護なのもよくないわね。
いい、三つのことは絶対に守りなさいよ」
オーロラは指を三本立てると、ゆっくりと語りながら指を折っていく。
「一つ、どんなに遅くても夕ご飯までには帰ること」
一つは、時間。
「二つ、村の皆さんに挨拶をされたのなら、元気よく挨拶をしなさい。
みんな、あなたのことを心配していたのだから」
一つは、挨拶。
「三つ、絶対に無事に帰って来なさい」
そして、最後の一つは約束。
『もう、お婆様、それは最初の約束と同じじゃない』
だが、アルスは真剣な面持ちで深く頷く。
オーロラの瞳は真剣そのもので、彼女の帰還を心から願っていたからだ。
◆◆◆
ドアを開けると、暖かな日差しがアルスを出迎えた。
『う~ん、やっぱり春の日差しは窓からじゃなくて直に浴びると気持ちいいわよね』
「うん、私もそう思う」
自然と深呼吸をして新鮮な空気を肺に吸い込む。それだけで、アルスは身体が軽くなったような気がした。
「あら、どうしたの? 誰かいたの」
後ろにはオーロラが居た。彼女には、内なる声は聞こえないのでアルスが独り言を言っているように見えた。
「ううん、独り言だよ。朝陽が気持ちいいって」
「そうね、せっかくだから私も外のお仕事にしようかしら」
それ以上深く追及はせず、オーロラも外の空気を吸いに出る。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
『行ってきま~す』
挨拶をして、遠慮がちに手を振って歩き出す。
石畳の隙間に生える若草の香りが噴きあがる。
朝日の下、村の人々も仕事を始めている。その合間を、アルスはゆっくりと歩いていく。
道の先から、若い女性が歩いて来る。その女性は、アルスの姿を見つけると、手を上げて挨拶をする。
「あら、アルスちゃん。大きな怪我をしたって聞いたけれど、もう大丈夫なの?」
「は、はい。おかげさまで……えーと」
なんて返事をしていいか迷っていると、内なる声が聞こえてくる。
『その人はアーマラさん。村の入り口の方に住んで、商店のお手伝いをしているの』
その人がどんな人であるかを教えてくれた。
「アーマラさん、ありがとうございます」
「アルスちゃんもね」
アーマラはアルスの様子をじっと眺める。
「それにしても、すっかり元気なのね。
そうよね、オーロラ様は錬金術師なんだから、怪我くらいすぐに治しちゃうからね」
その話に、通りすがりの青年が口を挟む。
「おいおい、子供が怪我をしたのにそれはないだろう」
「そ、そうよね。ごめんなさい」
「そ、そんな顔しないでください」
頭を下げる女性に、慌ててアルスは言葉をかける。
「アルスちゃんが元気みたいで本当によかったわ」
「そうだな」
そうして、軽いやりとりをして二人は去っていく。
――アルスちゃん、元気になったんだね――
ある時は、歳の近い子供が。
――おや、オーロラさんの……そうか――
ある時は、オーロラと歳の近い老婆が。
――や、オーロラさんによろしくね、アルス――
沢山の人が、アルスに声をかけた。
『今のは友達のミリルちゃん。それに、アスアドおじさんに――』
その一人一人を、教えてくれた。
転生したばかりの自分が知らなくて、身体を奪われたもう一人の自分が知っている名前を沢山教えてくれた。
その一つ一つを聞くたびに、アルスの胸の中に、痛みが溜まっていく。
本来は居るべきではない自分が、ここにいる――
気が付けば、逃げ出すように走り出していた。