殺さずに勝つという反逆
ヴェルシュトラの精鋭部隊が、通りの先にずらりと集結していた。銀の鎧に身を包み、魔力を帯びた槍と盾を構えた彼らの姿は、まさしく都市国家の威光そのものだった。市民たちの避難はすでに完了し、今やここは戦場となる運命にあった。
その対岸。
広場の入り口に、数百人の革命軍が押し寄せていた。
だが、前線に立っているのは——たった一人。
ブラスだった。
漆黒の鎧に身を包み、背には巨大な斧《震雷斧》。その姿は、まるで軍神の化身のように、群衆の前に立っていた。
「……なんだあれは……」
「前線、ひとりだけか?」
ヴェルシュトラ軍の列に、ざわめきが走る。練度の高い兵士たちの表情に、戸惑いが浮かぶのをブラスは見逃さなかった。
「……チャンスだな」
静かに息を吸い込む。
次の瞬間——
「《震雷斧》!!」
ブラスの叫びが響いた。
その巨体からは想像もつかない速度で、地を蹴る。土煙を巻き上げ、音すら置き去りにする加速。圧倒的な質量が、猛然とヴェルシュトラの前衛に突っ込んだ。
「来るぞ——! 防げッ!」
叫ぶ声が上がるよりも早く、斧が振り抜かれた。
重厚な一撃が、正面の盾兵を弾き飛ばす。斧の一撃は殺傷ではなく“打ち砕く”。鎧の継ぎ目を狙い、意識を刈り取るように正確に叩き込まれる。
「ぐぅ……!」
「なに……この重さ……っ!」
倒れた兵士たちは呻きながらも生きていた。ただ力を抜かれるように地に伏す。
ブラスは構わず前進する。
左へ、右へ、無駄のない足運びで敵の懐に入り、一撃で薙ぐ。刃を振るうたびに、衝撃波のような風圧が巻き起こり、兵たちの集中を乱した。
——だが、誰一人として致命傷は負っていない。
それでも圧倒的な存在感だった。
「……おい、どうした?」
ブラスは斧を肩に担ぎ、嘲るように口角を上げる。
「その程度かよ? だったら、レッスンしてやる。戦場の作法ってやつをな」
彼の言葉に、ヴェルシュトラの前線がざわつく。
殺意なき無双。それが、ブラスの信念。
後方で見守っていた民衆たちは、息を呑む。
その背に、盾はいない。ただ斧を振るう、一人の戦士だけが、彼らを守る壁となっていた。
「何をしている、基本を忘れるな! 補助スキルで動きを止めろ!」
ヴェルシュトラ側の指揮官が怒鳴る声が、喧騒の中で響き渡った。
魔法職たちが一斉に詠唱に入ろうとしたその瞬間——
影が蠢いた。
「なっ——」
ブラスの2つ目の作戦は、補助や回復、遠距離攻撃を担う後衛を真っ先に叩くことだった。
ただでさえ手に負えないブラスの動きに、支援や妨害が加われば被害は拡大する。
それを封じることで、戦況を一気に革命軍に傾けようというのが狙いだった。
空中から突き刺すように、無数の《影槍》が降り注ぐ。ヴェルシュトラの後衛に向かって放たれたその一撃は、正確に補助職と回復職を狙っていた。
「舐めてるのか、こんな低威力の——っ!?」
余裕を見せて弾こうとした魔法職のひとりが、異変に気づく。槍が、妙に重い。速度、軌道、威力——どれもが不規則。
「っぐ……!?」
避けきれず、肩に一撃を受ける。衝撃とともに魔力制御が崩れ、膝をついた。
「なんだ、あれ……同じスキルなのに、速度も威力もバラバラ……」
周囲の魔法職たちも次々に倒れていく。
ブラスの3つ目の作戦は、5人1組で同じスキルを同時に放つというものだった。
民衆たちは魔力の練り方も未熟で、個々の威力や速度にはバラつきがある。
だがブラスは、それを“欠点”ではなく“攪乱”として活かした。
タイミングのずれた連続攻撃が、敵の反応と防御を遅らせ、着実に打撃を与えていく。
第二射の《影槍》が走った。目をつぶった魔法職は、死を覚悟する。
——だが、次の瞬間、倒れたのは隣の仲間だった。
「誰か……誰か、来てくれ……! 歩けん……!」
呻く声が戦場に響く。
ブラスの4つ目の作戦は、“敵を殺すな、戦闘不能に留めろ”というものだった。
敵を倒せば、その場からは消える。だが、生きていれば誰かが手当てし、運ばねばならない。
つまり、負傷兵を増やせばそれだけで敵の戦力はじわじわと削れていく。
戦場に混乱と足止めを生み出す、無駄のない“損耗戦”だった。
そしてただの寄せ集めだったはずの軍勢が、今や整然と動き、統率すら感じさせていた。
その異様な中心に立っていたのが、ブラスだった。
大斧を振るい、敵を蹴散らすその最前線から——
「三列目、右に下がれ! そこの射線、被ってるぞ!」
「五番隊、次弾の準備急げ。合図は俺の斧の着地だ!」
斧の一撃と同時に、命令が飛ぶ。怒号のなかでも通るその声に、革命軍の動きは一糸乱れぬものとなっていく。
常識的に考えれば不可能だった。前衛で暴れながら、同時に後衛までを掌握するなど。
だがその「不可能」が、今この戦場では現実となっていた。
革命軍を“軍”たらしめているのは、ブラスという男そのものだった。
戦況は明らかに革命軍優勢へと傾いていた。
街を震わせるような咆哮とともに、革命軍は進軍を続けていた。
各所でヴェルシュトラ軍が後退を余儀なくされ、砦として構えた路地やバリケードは、次々と突破されていく。街路を埋め尽くす魔導石の輝きが、夜の闇を昼のように照らし出し、スキルの残響が空に弾けていた。
「押せぇぇぇっ!」
「あと少しだ! 本部は目の前だぞ!!」
民衆たちの叫びは熱を帯び、歓声は希望の色を含んでいた。その中心に、ひときわ異彩を放つ巨躯があった。ブラス——まさに軍の“楔”だった。斧を振るい、先陣を切るその姿は、まるで“突撃”という言葉を具現化したかのようだった。