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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
本編

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焼け跡の中の約束

夜の帳が街を覆うころ、静まり返った裏路地に黒い影がうごめいていた。


それは、ヴェルシュトラの軍旗も階級章も持たぬ者たち——

ハイネセンが密かに養成した私兵部隊、《影》。

正式な軍ではない。組織記録にも存在しない。だが、その動きには明確な意図と冷酷さがあった。


目的はひとつ。

クラフトたちが築いた新たな市場網の“信頼”を崩すこと。


その夜、街の南端にある小さな鍛冶工房の窓が、外からの衝撃で粉々に砕けた。

侵入者たちは何も言わず、何も奪わず、ただ内部の設備だけを容赦なく破壊していった。

炉は壊され、金床は倒され、工具は歪められ、作りかけの武具は無惨に踏み潰された。


そして、その翌日。


「……クラフトと取引すると、狙われる」


そんな囁きが、職人たちのあいだを駆け巡る。


見せしめは、一つでは終わらなかった。


薬師の工房も襲われた。

老いた調合師が倒れていた。

複雑な調合装置が破壊され、薬草棚は荒らされ、彼自身も右腕に重傷を負い、再起不能とさえ噂された。


「これは……警告だ」


誰かがそう呟く。


間もなく、さらに別の事件が起きる。


クラフトと新たに取引を結ぼうとしていた若い商人が、取引当日の朝に血だらけで路地裏に倒れているのが見つかった。

顔に打撲、口には布を詰められ、胸元の服にはナイフで刻まれたような文字が浮かんでいた。


「ヴェルシュトラと取引しないなら、お前の未来はない」


そう刻まれていた。


目撃者はない。

だが、皆が知っていた。

「正式な犯人」はいないが、真の加害者がどこにいるかを。


徐々に、職人たちの心に沈黙が広がりはじめる。


「クラフトと組めば、狙われるかもしれない」

「この市場は……長くは持たないんじゃないか」

「いずれ、ヴェルシュトラに踏み潰される」


そうした声が、誰からともなく囁かれ、やがて現実の選択となって表れ始める。


取引を見送る職人。

納品予定を延期する者。

クラフトとの連絡を断ち、元のヴェルシュトラ系に戻る者も出てきた。


だが同時に、別の声も静かに増えていく。


「……なぜ、ここまでされなければならない?」

「おかしいのは、どっちだ?」


ヴェルシュトラに対する不信感。

今はまだ声にならない怒り。

それがじわじわと、街の底に積もりはじめていた。




夜の闇が街を包み込む頃、突如として響いた爆音と赤い閃光が空を裂いた。


「……火事だ!」


クラフトが声を上げたのは、通りを歩いていた最中だった。煙が空へと伸び、燃え上がる炎が建物を照らしている。


「工房の方だ……!」


クラフト、ブラス、リリーの三人は、一斉に駆け出した。


夜の街を裂くように響いた爆音と赤い炎。クラフトたちが駆けつけた時には、すでに火はほとんど収まり、残されたのは瓦礫と黒煙だけだった。


「……エルマー……」


クラフトが呟くように名を呼ぶ。


その視線の先では、工房の前に一人立ち尽くす男の姿があった。エルマーは焼け落ちた建物を前に、肩を小さく震わせている。すすで汚れた背中が、風に打たれてなお、どこか必死に耐えているように見えた。


周囲には、もう誰もいない。隣家の住人も、通りがかりの人々も、炎と煙に追われて避難したのだろう。ただ、焼け跡にひとり残されたその男だけが、時間から置き去りにされたように、そこに佇んでいた。


「ひどい……」リリーが呆然と呟いた。

「これ……全部、燃えちゃってる……」


燃え崩れた壁、黒焦げになった工具棚。溶けた金属の塊が転がり、まだ微かに赤熱を帯びている。


「クソッ……!」ブラスは拳を握り、歯噛みした。

「見せしめか……ふざけやがって」


工房の前には、一人の男が立ち尽くしていた。この工房の主、エルマーだった。焼け落ちた建物の前で、背を丸め、肩を小刻みに震わせている。すすにまみれた姿が、まるで大切なものを喪った男の悲哀を象徴しているかのようだった。


「エルマー……っ」

クラフトは、瓦礫の中を慎重に踏み越えながら近づいた。胸の奥に鈍い痛みが広がる。長年、彼の技術と情熱が詰まっていたこの工房が、今や灰と瓦礫の山だ。


そして何より、彼の背中が……あまりにも痛々しかった。


(……言葉が、見つからない)


(全部、燃えてる……工具も、素材も、作品も……)


目の前の男は、ただ黙って立っていた。まるで、何かを……受け入れようとしているかのように。


何をかければいいのか分からなかった。ただ、近くまで歩み寄って、そっと声をかける。


「……エルマー、大丈夫か?……ケガは……」


ゆっくりと、エルマーが振り返る。


浮かんでいたのは、信じがたいほどの——笑みだった。


「見てくれクラフト……!この剣をッ!!」


すすけた顔に笑みを張り付かせ、エルマーは剣を高々と掲げた。

その姿は、焼け跡の中に立つ預言者か、あるいは神託に触れた者のようですらあった。


「普通ならな……この状態じゃ、終わってるんだよ!

刃は焼き鈍しになって、柔らかくなってるはずだ……わかるか? 鋼は焼き入れで硬さを得るんだ。

でも火事の熱で再加熱されたら、それが戻っちまって……斬れ味も耐久性もガタ落ちだ。

“鈍った剣”なんて、ただの鉄の棒だ!」


興奮で言葉が途切れる。クラフトとブラスが目を見合わせる。


だがエルマーは止まらない。


「さらに! 酸化! 錆びや変色が出るんだ!

空気中の高温で被膜ができて、黒ずんだり、もろくなったりする……炭素も抜ける……素材として終わるんだよ!

でも! この剣は……全く錆びてないッ!! 美しいままだ!!」


彼は剣を握り直し、今度は柄を見せる。


「見てくれ、グリップ部分……木も、革巻きも、焼けてない。剥がれてもいない。

普通なら真っ先に燃える部分だぞ!? 鍔も曲がってない、芯棒のバランスも……完全だ!」


「さらにさらに!」

エルマーの声はどこかで裏返りそうになりながら、歓喜に震えていた。


「火事の高温からの急冷で、内部に応力が発生して、刃が歪んだり、ひび割れたりするのが“当然”なんだよ!?

だが、この子には……一切の歪みも、微細な亀裂すらも、ないんだ……!」


エルマーは剣を抱きしめるように、そっと目を閉じた。


「……わかるかクラフト……俺は今、見たんだよ。

鍛治の頂きの、そのさらに向こう側を……!」


エルマーが剣を抱きしめ、空を見上げたまま陶酔している。

クラフトもブラスも何も言えず、ただ沈黙していた。


そんな中、リリーがほんのり微笑んで、ぽつりと呟いた。


「……よかったね、工房が全焼して!」


クラフトが一瞬で振り返る。

ブラスがむせた。

エルマーだけが、嬉しそうに頷いていた。


焼け跡の中に立ち尽くすクラフトたちのもとで、エルマーは未だ剣を抱きしめていた。


だが次の瞬間、ふと顔を上げると、何かを思い出したように目を見開いた。


「……そうだ、クラフト。君に渡したいものがあった」


「え?」


エルマーはそう言うと、まるで何事もなかったかのように、焼け落ちた工房の中へと足を踏み入れていく。崩れた梁をまたぎ、まだ燻っている瓦礫を、素手で無造作にどかし始めた。


「ちょ、ちょっとエルマー!? さっきまで“浄化された”とか言ってなかったか!?」


「火傷するぞ!? やめといた方が──」


クラフトとブラスが慌てて止めようとするが、エルマーは聞いちゃいない。目をギラつかせながら、瓦礫の山をかき分けるその様子は、もはや発掘作業というより個人の信仰に近かった。


「……あった」


数分後、すすだらけの中から、彼は一振りの剣を取り出した。


「クラフト」


重々しく名を呼ぶと、エルマーはその剣を両手で差し出した。


「君の体格、筋肉量、柔軟性、関節の可動域──すべてを計算して作った、完全なオーダーメイドだ。君に渡すと決めていた」


クラフトは一歩踏み出したまま、言葉を失っていた。。


「これ……本当に、俺のために?」


「もちろんだとも」


エルマーはその目に、微塵の迷いもなく頷いた。


「すべてにおいて到達しうる究極の形に近づいた……俺はそう信じてる。そして君にこそ、これを託す資格がある」


「……でも……」


クラフトは、ちらりと背後の焼け跡を見やった。


黒く煤けた壁、瓦礫と化した作業台、炭になった工具。


そして、その中心で静かに差し出された一本の剣。


あまりにも対照的なその光景に、クラフトはしばし沈黙する。


やがて、ゆっくりと手を伸ばし、剣を受け取った。


それは、驚くほど手に馴染んだ。


「……本当に、いいのか?」


「君なら、きっと正しく使ってくれると信じている」


エルマーの顔には、どこか満ち足りたような笑みが浮かんでいた。


クラフトは、剣を静かに見つめる。


その刃には、エルマーの技術と執念、そして信頼が詰まっていた。


「……ありがとう、エルマー」


ゆっくりと目を上げて、まっすぐに彼を見据える。


「俺が、この剣を“百年残る剣”にするよ」


剣に、そしてそれを生み出した男に誓うように。


ブラスがそれを聞いて、「クサいな」と苦笑しつつも、どこか誇らしげに頷いた。


リリーはそっと微笑み、クラフトの横顔を見つめていた。


瓦礫の中で、ただ一振り、確かに残された剣。


それは“焼け跡の中から生まれた未来”だった。



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