漆黒の絆と、物流戦線
数週間の交渉の末、クラフトたちが構築しようとしていた新たな経済網は、少しずつ形になり始めていた。
職人、加工業者、薬師——これまでヴェルシュトラの影に怯えていた彼らが、魔導石によるスキルの力とクラフトたちの熱意に動かされ、ついに協力を約束してくれたのだ。
ヴィスのギルド拠点。陽の光が傾きはじめた頃、テーブルを囲んでクラフトたちは次の課題に向き合っていた。
「……加工側との交渉はひと通り終わった。あとは、流通をどうするかだな」
資料をまとめながら、クラフトがぼそりと呟く。
「そこだよな……」
ブラスが腕を組み、天井を見上げる。
「こればっかりは人手がいる。物ができても、届けられなきゃ意味がねぇ。失業した冒険者に地道に声をかけるか……あいつら、素材の扱いには慣れてるしな」
そのときだった。
「クラフト!! 大変!!」
扉が勢いよく開かれ、リリーが駆け込んできた。顔は真っ青で、手は震えていた。
「ど、どうした!?」
「黒炎の使徒さんが……!」
息を切らしながら、リリーが叫ぶ。
次の瞬間、扉の奥から現れたのは、あの全身黒装束の男——黒炎の使徒だった。
「同胞よ……っ、あの、その……ま、マジで助けてくれ……!!」
完全に涙目だった。
「えっ!? ちょ、どうした!?」
クラフトが立ち上がるより早く、男はクラフトの手を取り、半ば引きずるようにしてギルドの外へ連れ出した。
「何が——」
扉を開けた瞬間、クラフトは言葉を失った。
ギルドの前の広場が、黒一色で埋め尽くされていた。
黒いフード、黒いマント、黒いベルト、黒い鞄——そして全員、どこかで見たような“あのポーズ”で待機している。
「……なんだこれは……?」
「……いや、あの、気づいたら……増えてて……俺の呼びかけに……反応しすぎたというか……」
黒炎の使徒はクラフトの袖を握りしめながら、小声で必死に状況を説明しようとしていた。
「これ……全部、あんたの“同胞”……?」
「……そう……だと思う……」
黒マントの大群は、まるでクラフトを救世主でも見るかのような視線を一斉に向けてきた。
ブラスがクラフトの背後から顔を出し、ぽつりと呟いた。
「……お前、マジで変なのに好かれる才能、あるんじゃねぇか?」
クラフトは黙って、頭を抱えた。
ギルド前の広場を埋め尽くす黒マントの大群。
その中には、自作の紋章を縫い込んだ者や、柄にもない漆黒の仮面をつけた者まで現れ始めていた。
なぜかそれぞれが妙に姿勢よく直立しており、風もないのにマントだけはやたらとなびいているような気がした。
「……わっ我らが導かれし者よ、きっ聞け……」
黒炎の使徒が壇上のような段差に立ち、顔を真っ青にしながら語り出す。
「この人、あっじゃなくてこの者こそが、わっ我らの進むべき道を示す同胞の……えっと、クラフトだ!」
「あぁ……」
クラフトは顔を覆った。
「黒炎さん、なんでこんなことに……?」
ぼそりと問うと、黒炎の使徒は気まずそうに目を逸らした。
「……あのな……最初はただ、型紙を渡しただけなんだ……マントの……」
「型紙?」
「ああ……“この布の長さで切って縫えば、我のマントと同じものができるぞ”って。それだけだったはずなんだが……」
クラフトが聞いている横で、黒炎の使徒は目を細めて遠い記憶を思い出すように語った。
「気づいたら……なんか、同じマント着てる奴が、増えてきてな……。最初は一人、二人……だがある日、通りすがりに声をかけられた」
「“あなた、あの黒炎の使徒さんですよね!”って……」
「で、どうしたんだ?」
「それっぽく返したんだ……」
黒炎の使徒は、胸元に手を当て、かっこよく顎を引いて言った。
「“……心配するな。我が同胞、クラフトが導いてくれる”ってな」
「なんでだ!!」
クラフトが思わず叫ぶが、時すでに遅かった。
「……でも、そこから……もっと増えた」
彼は少し震える声で付け加えた。
「なんか、伝説っぽくなってきて、止めるに止められなくて……今に至る」
そのときだった。
集団の中から、ざわめきが起こった。
「……あれが……!」
「黒炎の使徒の“同胞”……!」
「“漆黒の牙”・クラフト……本当に存在していたのか……!」
気づけばクラフトは完全に注目の的となっていた。
次の瞬間、黒マントたちが一斉に動き出す。
「漆黒の牙、命じてくれ!」
「我らは何をすればいい!どこへ向かえばいい!」
「同胞よ、我らに運命の焔を……!」
黒マントの群れが次々とクラフトにひざまずき、手を掲げ、神託を待つ者のような視線を向けてくる。
クラフトは完全に囲まれた状態で、頭を抱えながら呟いた。
「……なんだこれ……いやほんと、なんなんだこれ……」
その背後で、黒炎の使徒が申し訳なさそうに小さくなっていた。
クラフトは、完全に囲まれた状況から逃げ出すこともできず、意を決したように咳払いをした。
「ええと……じゃあ、お願いがある」
黒マントの集団が一斉に身を乗り出す。
「流通を、頼みたい」
——沈黙。
その場に、風すら止まったような空気が流れる。
「……流通?」
黒マントの一人がぽつりと口にした。周囲の者たちも顔を見合わせ、困惑したような空気が広がる。
クラフトは少し焦ったように手を上げて補足した。
「《無限収納》と《迅行術》のスキルを使って、各地の職人や加工業者に魔物の素材を運んでほしいんだ。正確に、迅速に、安定的に……」
再び沈黙。
「……配送?」
微妙な間をおいて、別のマントが問い返す。語気には明らかに“思ってたのと違う”という空気が滲んでいた。
クラフトはごくりと喉を鳴らし、苦し紛れに手を広げて言った。
「つまり……これは、スキルを駆使した、全く新しい……流通網の構築。物流の概念を塗り替える——流通の革命だ」
その瞬間。
黒マントたちの目が、光った。
「……革命……!!」
「スキルを使った……新時代の流通……ッ!!」
「我らが、その一翼を担うのか……!」
「これはもう、黒炎の使徒様が言っていた“運命の役割”……!」
突如として黒マントたちは両手を天に掲げ、口々に叫び始めた。
「運ぶぞォォ!!」
「闇より早く! 風より正確に!」
「“黒き翼の流通部隊”、始動だあああ!!」
歓声が、まるで軍の士気高揚のように街路に響き渡った。
クラフトはひとり、群衆の中心でぼそりと呟いた。
「……これ、なにか……なにか違う……」
その声は、喝采と決意の叫びにかき消されていった。
広場の黒マントたちは、いまだ歓喜と決意に包まれていた。彼らは「配送部隊」として新たな使命に燃え、勝手に組織名を決め、配送ルートの確保とマントの追加注文に取り掛かっていた。
そんな騒がしさを背に、クラフトたちはギルドの屋根に登り、街を見下ろしていた。
ブラスが腕を組んで、にやりと笑う。
「……これで流通網も完成だな」
その言葉に、リリーがぱっと顔を輝かせた。
「やっぱりすごいねブラス! 前に言ってたもんね。“……なんかネズミみたいに増えていきそうだな、あいつら”って!」
「つまりこの流れも、ぜんぶ計算済みだったってことね!」
リリーは尊敬の眼差しでブラスを見上げる。
ブラスは得意げに鼻を鳴らした。
「まぁな。言霊ってやつだ」
「……違うんだよ」
クラフトが思わずため息混じりに呟く。
「こいつの発言……なんかこの世界に干渉してるんだよ。現実が、変な方向に引きずられるんだ……」
「ん?なんか言ったか?」
「いや……もういい……」
空には星が瞬き、街路には黒マントたちの動きがひたすら滑稽で、それでもなぜか整然としていた。
——こうして、クラフトたちの独立経済網が、ついに成立した。




