効率では測れないもの
酒場の扉を開けた瞬間、店内のざわめきが一瞬止まった。
「おい、あいつら……!」
「マジかよ、ノクスの連中じゃねえか!」
「オーガを仕留めたって本当だったのか!?」
次の瞬間、店内の空気が一変し、歓声が巻き起こる。
「ブラス!! お前、本当にオーガを倒したのか!? すげえじゃねえか!」
「てめぇ、どこまで強くなりゃ気が済むんだよ!」
「今度、俺にも戦い方教えてくれよ!」
次々と冒険者たちが駆け寄り、肩を叩いたり、腕を組んだり、ブラスに向かって話しかける。
中には酒を掲げて祝杯を挙げる者もいた。
「さすがブラスだぜ! ここは一杯奢らせてくれ!」
「お前が本気出せば、ヴェルシュトラだってひっくり返せるんじゃねぇか?」
「ははっ、まぁな!」ブラスは豪快に笑いながら、次々と肩を叩かれる。
「ちょっと待て、お前ら。飲むなら俺の奢りだ!」
ブラスはそう言うと、カウンターにどんっと袋を投げ出した。
「酒場の酒代、俺が出すぜ! みんな、飲め飲めー!!」
「おおおお!!」
「さすがブラス! 気前がいいな!!」
ブラスは酒場を見回しながら「1人で飲んでいる冒険者」や「元気のない新人」にも近づき、「お前も飲めよ!」と気軽に話しかけて行く
酒場の空気が熱を帯びる。ジョッキを掲げる者、笑いながら肩を組む者、次々と祝杯の声が響く。
ブラスの周囲には、仲間や顔見知りの冒険者たちが次々と集まり、まるで彼を中心に渦が生まれたかのようだった。
「……お前、また無駄遣いして」リディアが呆れたように言う。
「いいんだよ!」ブラスは豪快に笑った。「こういうのは気持ちが大事だろ?」
「……ほんと、そういうとこ変わらないわね」
リディアは肩をすくめたが、その表情はどこか微笑ましかった。
クラフトたちは奥のテーブルに陣取り、料理や酒を注文する。
「いやー、しかし、マジでよくやったよな!」ブラスがジョッキを掲げる。「オーガ討伐! 乾杯だ!」
「乾杯!」
一同が杯を合わせ、喉を潤す。リリーもジュースを手に、小さく「乾杯」と言って微笑んだ。
「さて、せっかく金も手に入ったことだし……」ブラスが楽しげにジョッキを傾ける。「お前ら、今回の報酬、何に使うんだ?」
「私は貯金よ」リディアが即答する。「リリーの学費をちゃんと確保しておかないと」
「お姉ちゃん、あんまり無理しないでね……」リリーが心配そうに言う。
姉と同じ、柔らかく輝く金の髪。月の光をまとったかのように艶やかに揺れ、穏やかな気品を漂わせる。しかし、リディアとは違い、ウェーブのかかった癖っ毛が、どこか柔らかな印象を与えていた。
細く繊細な指が、そっとジョッキを包み込む。その控えめな仕草には、慎ましさを物語っている。
車椅子に腰掛けたまま、彼女は優しく微笑み、店内を静かに見渡していた。賑わう酒場の喧騒の中で、彼女の存在だけが、まるで時間の流れを少しだけ緩めているようだった。
「大丈夫よ」リディアは優しく笑った。「今回の報酬で、かなり貯まったから」
「すごいなリディアは」
クラフトが感心したように言う。
「俺は……新しい装備を買うのと、あとは両親にアカデミアの学費を返すかな」
「……クラフトの家は、裕福な方ですよね?」
キールがふと問いかけた。
「わざわざ返す必要あるんですか?」
「金の問題じゃない」
クラフトは真剣な表情で言った。
「俺は自分の力で学費を払いたいんだ」
キールはクラフトをじっと見つめ、ふっと鼻で笑った。
「……まぁ、あなたらしいですね」
「俺は決めてるぜ!」
ブラスが楽しげにジョッキを傾ける。
「今のスキルを売って、もっと派手で威力もバカでかいスキルを手に入れる!」
「せめて味方が無事でいられるスキルにしてくれよ……」
クラフトが呆れた顔をする。
「何言ってんだ!」
ブラスは誇らしげに胸を叩く。
「戦場でド派手に暴れた方がカッコいいだろ? 一撃で地形が変わるようなスキルが欲しいぜ!」
「そのうち ブラスが通った跡には何も残らない って言われそうね……」
リディアが苦笑する。
「……まぁ、ブラスらしいですが」
キールは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「んで、お前は?」ブラスがジョッキを傾けながら、キールを見た。
「お前の報酬の使い道は?」
「おや、私ですか?」キールは少し考えるふりをし、それから口角を上げた。
「そうですね……」
彼はワインを一口飲み、まるで取るに足らない話でもするように、さらりと言った。
「ヴェルシュトラの中央広場を個人所有にして キール・パークにするのもいいですね」
その言葉を聞いた瞬間、ブラスの目がキラリと輝いた。
「いいじゃねぇか! ついでに ブラス・スタジアム も作って、俺のスキルの発表会やろうぜ!」
まるで本気で実現するつもりかのように、拳を振り上げながら興奮気味に叫ぶ。
「……冗談ですよ」
キールは肩をすくめ、淡々とワインを傾ける。
「そんな金があるなら、もっと効率的な使い道を考えます」
ブラスの熱気とは対照的な冷静さ。その温度差に、リディアが呆れたように溜息をついた。
「まぁ、報酬の使い道は人それぞれですからね」
キールは淡々とした口調で言う。
「私は派手なことには使いませんよ」
その言葉に、クラフトとリディアは小さく目を細めた。
(こいつ、絶対に本当のことを言わないよな……)
「んで、お前は?」ブラスがリディアを見て尋ねる。「学費に貯めるって言ったけど、お前らの両親は? 仕送りとかしてねぇのか?」
その瞬間、テーブルの空気がわずかに変わった。
リディアは少し目を伏せ、それから静かに答えた。
「……もういないのよ」
「え?」ブラスが驚いた顔をする。
「うちの両親、ずっと前に亡くなったの」
「……そうだったのか」
ブラスは少し戸惑い、無遠慮な質問をしてしまったことを後悔するように頭をかく。
「知らなかった……悪ぃ」
「別に気にしてないわ」リディアは微笑んだ。
「もう随分前のことだし、今はリリーと二人でやっていけてるから」
「姉ちゃんが頑張ってくれてるからね!」
リリーが誇らしげに言う。
クラフトはそっとジョッキを掲げ、「じゃあ改めて」と言った。
「これからも、みんなで乗り越えていくってことで——乾杯」
リディアが微笑み、リリーも嬉しそうにジュースを掲げる。
「——乾杯!」
こうして、祝勝会は静かに続いていった。
酒場を出た後、キールは一人、街の外れへと足を向けた。
夜の静寂が広がる道を歩きながら、彼はふと懐を探り、袋の重みを確認する。報酬の一部だ。合理的に考えれば、他にもっと有意義な使い道がある。しかし、彼は無意識のうちに、その行き先を決めていた。
しばらくすると、一軒の古びた建物が見えてくる。壁はひび割れ、扉は何度も修理された痕跡がある。窓から漏れるわずかな灯りが、かろうじて「ここがまだ生きている」ことを示していた。
孤児院。
彼はしばし立ち止まり、建物を見上げた。
(相変わらず、みすぼらしいな……)
扉を押し開けると、木製の床が軋んだ。
「おや、キールか」
中から現れたのは、やせ細った老人だった。彼はキールを見ると、柔らかく微笑んだ。
「お前たちの活躍、聞いたぞ。オーガを倒したんだってな」
「運が良かっただけですよ」
キールは肩をすくめる。
「だからって、ここの状況が良くなるわけじゃない」
「ははは、そうだな」院長は温かく笑う。
「この孤児院の誇りだよ、お前は」
その言葉に、キールの眉が一瞬動いた。
誇り? くだらない。そんなものに価値はない。
そう思うはずだった。
しかし、胸の奥で、何かが引っかかる。
彼はふと、壁の修復跡を見た。かつて、同じように剥がれ落ちた壁を自分が直そうとしたことがあった。
釘を打つたびに手が震え、院長が隣で「よくやった」と微笑んだ。
(何を……思い出している?)
一瞬、目の前の光景が、昔のものと重なる。
痩せた子供たち。寒さに震える夜。食事の時間を待ちきれず、パンの欠片を分け合ったあの頃。
彼は唇を引き結び、感傷を振り払うように低く呟いた。
「誇りじゃ腹は膨れません」
そう言いながら、懐から袋を取り出し、院長に放る。
「今回は多めです」
院長は袋を受け取り、目を細めた。
「……お前は優しいな」
「冗談を言わないでください」キールは顔をしかめる。「合理的に考えたら、こんなことは無駄なんですから」
「なら、なぜ続けている?」
キールは答えなかった。
ただ、院長に背を向け、扉へと向かう。
扉の前で、一度だけ足を止めた。
振り返ろうとする。
何か言おうとする。
しかし、その言葉は喉の奥で消えた。
(……そんなことに、意味はない)
彼は扉を開け、夜の街へと消えていった。
歩きながら、彼は自問する。
(なぜ、こんな非合理なことをしている?)
夜風が静かに吹き抜ける中、キールは考え続けた。
彼の答えは、まだ出なかった。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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