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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
本編

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ある鍛冶師の誇り

クラフトたちは、街の片隅にある小さな鍛冶工房の前で足を止めた。


鉄と煤の匂いが立ち込める扉の前で、クラフトが軽くノックする。その隣で、リリーが手帳を手にメモを取りながら、ブラスは気怠そうに腰をさすっていた。


「次、ここで十件目だな……」


「うん、でも何件目でも、ちゃんと話せば伝わるって。……たぶん」


クラフトが微笑んだ直後、ギィと音を立てて扉が開いた。現れたのは、年配の職人。煤けたエプロンに深く刻まれた皺、厳しい目つきが印象的だった。


「……なんだ、また勧誘か? ヴェルシュトラの新支部のやつか?」


クラフトが一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。


「いや、俺たちはノクスの冒険者だ。少しだけ、お時間をくれないか? 魔導石のスキルを活用して、今とは違う流通の形を……」


だが、その言葉は最後まで届かなかった。


「悪いが、うちはヴェルシュトラの専売契約だ。破ったら取引停止、街から追い出されるって脅されてる。ありがたい話だが、命あっての仕事だ。帰ってくれ」


「……そう、か」


クラフトは小さく頭を下げた。その後ろでリリーが静かにページを一つめくり、次の訪問先を確認する。


ブラスは軽く肩をすくめた。

「次だな」


三人は次の工房へと足を運ぶ。だが、結果は変わらなかった。


「うちも契約してるんでね」

「すまんな、応援はしたいが……」

「ヴェルシュトラ相手に逆らうなんて無茶だ」


どこへ行っても、契約、制約、罰則——同じ言葉が繰り返された。


夕暮れが迫る頃、三人は街の中心へと戻ってきていた。人通りはあるのに、どこか空気が淀んでいる。


道端に腰を下ろした冒険者たちが、うつろな目で街を眺めていた。装備もなく、仕事もなく、ただ時間だけが過ぎていく。


すれ違いざまに聞こえたその言葉に、クラフトの足が止まった。


「……最近さ、魔導石スキル使った盗難、増えてるんだってよ」


「そりゃそうだろ。ヴェルシュトラに締め出された連中が行き場を失ってるんだ、治安が悪くなるのも当然だ」


リリーとブラスも、自然と振り返る。


クラフトは視線を落とし、手にしていた資料の束をぎゅっと握りしめる。


その脳裏に、かつてキールと決別した時の言葉がよみがえった。


——「あなたのその理想は、いつか取り返しのつかない間違いを犯しますよ」


冷ややかで、それでもどこか哀しみを含んでいた声。あのときのキールの目が、今もはっきりと思い出せた。


「……それでも、やるって決めたんだ」


クラフトは静かに呟いた。


その横で、リリーが静かに頷き、ブラスは腕を組んで空を見上げる。


街の喧騒の中で、三人の影が長く伸びていた。希望と現実、その狭間で。それでも彼らは、前を向いていた。





日もすっかり傾き、夕焼けの色が街の壁を朱に染めていた。


クラフト、リリー、ブラスの三人は、ひときわ古びた鍛冶屋の前で足を止めていた。


木製の看板は色褪せて判読困難。扉は斜めに傾き、片方の蝶番が今にも外れそうな音を立てていた。


「……開いてるよな?これで“準備中”だったら俺、泣くぞ」

ブラスが半ば本気でぼやく。


「なんか、隠れ家みたいでちょっとワクワクするね!」

リリーは目を輝かせて、建物の古びた雰囲気をどこか探検気分で楽しんでいるようだった。


「……まぁ、とにかく入ってみよう」


クラフトは少し苦笑しながら、扉に手をかけた。


「……なんだここ……?」


中に入った瞬間、クラフトは思わず声を漏らした。


壁一面にびっしりと飾られた剣、剣、剣。床から天井まで、何百本という数の剣が、整然と、あるいは雑然と並んでいる。まるで“剣の巣”に迷い込んだかのようだった。


その瞬間、店の奥から勢いよく飛び出してきた影がクラフトに向かって走り寄った。


「素晴らしいッ!!」


「理想的だッ!!」


現れたのは、白衣に煤汚れが染み込んだ痩せた男。眼鏡の奥で目をギラギラと光らせ、狂喜乱舞の表情でクラフトに迫る。


「ちょっと失礼!!」


「え、ちょっ……!?」


男はクラフトの肩を掴むと、そのまま手で胸筋、腹筋、背中へと触り回す。指先がまるで測定器のように的確に筋肉を撫で、指圧する。


「無駄な筋肉が一切ない!それでいて、必要な箇所には完璧な発達が見られる!関節の可動域は——」


「うわちょっ、ちょっと待て、本気でやめてくれ!!」


クラフトは顔を真っ赤にしながら逃れようとするが、鍛冶士は構わず腕を取り、肘と肩をぐいっと曲げ伸ばした。


「この可動域ッ……!完璧だ……!戦闘者としてここまで理想的な構造が……」


眼鏡の奥で涙が滲んでいる。


「えぇえ……!?」


クラフトは完全にパニックだった。


すると鍛冶士はふいにぴたりと動きを止め、別の方向へと目を向けた。


「おい、そこの……オーガの出来損ないみたいなの!」


「……へ? 俺か?」


急に話を振られたブラスがきょとんと目を丸くする。


「左の壁の、四段目、右から八列目……その剣を取れ!!」


「なんだよそのピンポイント指定……」ブラスは唸りながらも、異様な迫力に押されて棚へと向かい、言われた通りの剣を取り出した。


「重っ……なんだこの剣……」


剣を手渡され、クラフトは困惑しながら受け取った。両手で支えると、ずしりと重みが伝わってくる。


「……振ってみろ」


「え、いや、振るって……」


意味がわからないまま、クラフトは剣を構え、試しに一振り。


——スッ。


驚くほど滑らかに、軽く剣が空を切った。


「……え?」


もう一度、ゆっくりと振る。


「……なんだこれ、軽い……!? 最初は重かったのに……」


クラフトの手の中で、剣はまるで意志を持つかのように重さを消し去っていた。


鍛冶士の眼鏡がキラリと光り満足そうにニヤリと笑った。



「やはり……やはり貴様は“分かる”側の人間だな!!」


突然叫び出し、クラフトの腕をガシッと掴む。


「な、なんだ急に!?」


「その軽さ、驚いたろう!? だがそれは“軽くした”のではない……“軽く感じさせた”のだ!!」


興奮で頬が紅潮し、言葉が止まらない。


「まず、重心だ! いいか、どれだけ刀身が重くても、重心を柄の近くに寄せるだけで、振り出しの初動は段違いに軽くなる!つまりな、実際の重量ではなく“体感の重さ”を操るのが真のバランス設計ってやつだ!」


「え、ええと……なるほど?」


「まだまだだッ!!」


鍛冶士はさらにクラフトの肩を揺さぶるように前のめりになりながら続ける。


「次に、モーメント! お前、モーメントって言葉は知ってるか!?」


「いや、知らないです」


「知らなくていい!!だが聞けッ!! 剣を振るときに発生する“慣性”だ! これを抑えるために、刀身の先端を少し薄く、少しだけ細くしてある……だが見た目の迫力はそのままだ!」


鍛冶士は両手を広げて、まるで舞台の演者のように言い放つ。


「これは“剣に騙される”構造だ! 持った瞬間に『重そう』と思わせ、振った瞬間に『軽い!?』と驚かせる……これぞ演出! ロマン!」


(なるほど……ロマンが重量に影響を与えるのね……)


リリーが熱心にメモを取り始める。


鍛冶士の語りは止まらない。


「さらにだ! 素材だ!!」


鍛冶士は自らの胸を拳で叩く。


「この刀は、低密度かつ高強度な希少鋼を混ぜて鍛えてある。同じサイズでも、重量を抑えられるんだ。しかも、見た目や肌触りからは絶対にわからん。だが俺には、わかる! 素材が、語っている!!」


(語っている……?つまり……この剣、ほめると性能上がるタイプだ。朝は“今日も鋭いね”って言わないと不機嫌になるのね)

リリーはひたすらメモを取り続ける。


「そして、最後にして最高のこだわりが——柄だ!!」


鍛冶士はクラフトの手元を指差す。


「少し太めに作ってあるだろう? しかも、手のひらに沿うような微妙なカーブ。これによって、手に吸い付くような感触と、力の伝達効率が飛躍的に上がる! まるで“意思を伝えるための回路”だ!!」


「そ、そこまで考えて……」


「考えるか!? 否!! 感じるんだ!! 俺の鍛冶は“思考”ではなく“共鳴”だ!!!」


鍛冶士は両腕を天に突き上げるように叫んだ。


「さあ!その剣で世界を切り拓け!! いや、お前とその剣が、もう一つの世界を生み出すのだ!!」


「え、ええと……ありがとうございます」


引きつった笑顔でクラフトが頭を下げたとき、ブラスが後ろでぼそりと呟いた。


「……あいつ、熱血すぎて溶けそうだな」


リリーはこくこくと頷いていて満足げにメモを取り終えた。


「おっと、失礼した。自己紹介がまだだったな」


急に我に返ったように、鍛冶士が手をパンと打ち鳴らす。


「私の名前はエルマー。この工房の主にして、最も剣を愛する者だ!」


そう高らかに名乗ると、彼は工具だらけの作業台へと向かいながら言葉を継いだ。


「すぐに見積もり書を出す!お前に合う剣のオプションを——」


だがその途中で、ブラスが手を挙げて割って入る。


「いや、ちょっと待て。俺たちは客じゃない。今日はあんたに新しい流通の話を——」


その言葉を聞いた瞬間、エルマーの顔から一気に熱が引いた。


「……なんだ。客じゃないのか」


エルマーはぴたりと動きを止めると、冷え切った声で言い捨てた。


「つまらん。なら帰ってくれ」


「えっ、そんな……!」


リリーが慌てて一歩踏み出す。


「ちょっと待って。話だけでも、聞いてもらえませんか? お願いです」


だがエルマーは、道具を投げるように机に放り出した。


「この間も来たぞ。ヴェルシュトラとかいう奴らが。契約だの提携だの……鍛冶の“ノイズ”をまき散らすだけの連中だ。俺には関係ない。俺は、俺の剣だけを鍛える」


その背は、もう完全にこちらを向いていなかった。


空気が重くなる中、クラフトがずっと黙っていた口をゆっくりと開いた。


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