理想は、ひとりで持つには重すぎる
クラフトはギルドの中庭の片隅、ベンチに腰掛けたまま、ずっと視線を落としたままだった。
その前に、ブラスが座る。酒の瓶を片手に、軽く息を吐いた。
「なあ、クラフト」
ブラスは少しだけ目を細め、まっすぐクラフトを見る。
「クラフト、てめぇの言ってることは、間違っちゃいねぇ。……誰だって、ガキの頃は“こうなったらいいのにな”って夢を持つ。大人になって、忘れちまうだけだ」
「でもな――夢を信じて突っ走るだけじゃ、周りの奴らが置いてかれんだよ」
ゆるやかに声をかけるその響きには、いつもの豪快さはなかった。
「お前、さっき“キールとはちゃんと話した”って言ってたよな?」
クラフトはうなずきかけて、ふと顔を上げる。ブラスは、まっすぐにその視線を受け止めなかった。ただ空を見上げたまま、言葉を続けた。
「……“ちゃんと”って、なんだろうな」
風が吹き抜ける。
「話し合いってのは、“意見をぶつけ合う”ことじゃねえ。“考え”を聞き合うことだろ」
「……」
「お前さ、キールの“提案”だけを見て、“こいつ間違ってる”って決めつけなかったか?その裏にある理由とか、思いとか……聞こうとしたか?」
クラフトの喉が、ごくりと動く。
「アイツのあの言葉、急に出てきたと思ってたら……違うぞ。ずっと、何か飲み込んでたんだ」
ブラスの声が、ほんの少しだけ低くなった。
「それに、お前……怖かったんだろ。キールが“金”を使って社会を動かそうとするのが。
でもな……お前のやってることも、“理想”って名前の力を使って、周りを動かそうとしてるように見える時がある」
「……!」
クラフトの目がわずかに見開かれる。
「理想を信じるのは、間違っちゃいねぇ。けどな、それを信じすぎて“他人の考えを聞く耳”をなくしたら……それはもう、理想じゃなくて、独善ってやつだ」
静かだった。まるで、長い旅の果てにたどり着いた言葉のように、ゆっくりと、胸の奥に落ちていく。
「お前の“正しさ”は立派だ。でも、それで人の声を押し潰したら……ヴェルシュトラと、何が違うんだ?」
クラフトは、何も言えなかった。
ただ、胸のどこか深い場所に、何かが音を立てて崩れるのを感じていた。
ギルドの中庭の片隅、クラフトは黙ってベンチに座っていた。
夕焼けが空を茜色に染め、風だけが静かに通り抜けていく。
リリーはそんな彼を少し離れた場所からじっと見つめていた。
(……空気、重い)
胸の中でつぶやいたリリーは、ふいに真顔になり、小さなノートを取り出す。
「この状況を打開するには……まずは現状分析よ!」
ぱらりとノートを開き、書き始める。
《現状:ノクスが重苦しい》《原因:クラフトとキールの仲違い》《結果:みんな沈黙》《副作用:空気が重い》《補足:私はお腹が空いた》
「よし、まずはSWOT分析ね」
ペンを走らせながら、口元を引き締める。
「S(強み):クラフトの理想は強い! みんなの信頼も厚い!
W(弱み):感情的すぎて論理性がない! キールと大喧嘩!
O(機会):市場に変革の兆し! 今が分水嶺!
T(脅威):空気が最悪。クラフトが夜ご飯を食べてない!
「……ん? 空気と夜ご飯って、SWOT分析に入れてよかったんだっけ?」
首をかしげるが、すぐに気を取り直す。
「気を取り直して……3C分析よ!」
Customer:ノクスのメンバー、そして市場全体。
Company:我らがギルド・ヴィス。
Competitor:ヴェルシュトラ……あと、ハイネセンはなんか嫌い
「市場の不安定、クラフトの精神、メンバーの団結力……この三つの“C”が交差すると……」
その瞬間、リリーの脳内で無数のシナプスが閃光のように弾けた。
数式、論理、感情の断片、そして謎の空腹感までが一気に走査されていく。
すべての情報が渦を巻き、的確な結論へと収束する。
——たったひとつの“答え”が浮かび上がる。
「C=Cooking!?」
「よし!」
クラフトが怪訝そうに振り向いた。
「……?」
「パーティ、やろう!」
「……は?」
近くで聞いていたブラスも驚いた顔をする。
「……え? 今“パーティ”って言った?」
「そう! パーティ! お祝いするの!」
「な、何を祝うんだよ……」
リリーは胸を張って言った。
「……クラフトの石頭がモース硬度10到達の記念のパーティよ!」
クラフトの顔が引きつった。
「……」
「おい、クラフトの顔が真っ青だぞ!」
「しかもそれ祝うのかよ?」
とブラスが茶化すように笑った。
「とにかく! 今このままだと、みんな顔が死んじゃいそうだし!」
「お姉ちゃんなら……こんな時、絶対“場を動かしてた”はずだから!」
リリーの言葉に、空気が少しだけ和らぐ。
「……分かった。手伝うよ」
クラフトが立ち上がると、リリーは拳を握ってガッツポーズを取る。
「よっしゃー! ブラス、お肉! クラフト、椅子並べて! リリーは料理する!」
「うし! 肉なら任せとけ! 俺が三キロくらい焼く!」
「ちょ、そんなに焼いてどうするんだ……」
夜になり、なんちゃってパーティが始まった。
ブラスは炭火を焚き、豪快に肉を焼く。煙がもうもうと立ち上がり、広場を包んでいく。
「煙が……っ、視界が……!」とクラフトが咳き込みながら肉を避ける。
「はい! 焦がしすぎスパイスカレー、完成!!!」とリリーが鍋を掲げる。
「えっと、これは……料理、なのか……?」とクラフトが眉をひそめた。
「食べれば分かる! たぶん平気!」
数分後、ブラスが皿を置きながら言う。
「……すげぇな、逆にクセになってきたぞ」
クラフトは苦笑しながらも、ほんの少し目を細めた。
「ふふっ……計算通り、計画成功ね!」
「本当に計算通りだったのか!?」とブラスが突っ込む。
笑い声と湯気が混じり、少しずつ、3人の空気が緩んでいった。
その片隅で、クラフトはリリーにだけ聞こえるように、小さくつぶやいた。
「……ありがとうな、リリー」




