理想の名を借りた暴力、現実の名を借りた支配
ギルドの一室。窓は開いているのに、空気はどこか重苦しく張り詰めていた。
向かい合うクラフトとキール。その間には、かつての信頼と、今にも崩れそうな価値観の亀裂が横たわっている。
「クラフト、あなた……本当に、今のやり方が“正しい”と思ってますか?」
キールの声は低く落ち着いていたが、どこか張り詰めたものがにじんでいた。
クラフトはゆっくりと顔を上げる。視線が交わる。
「……何が言いたい?」
「魔導石を無差別にばらまいた結果、スキルを悪用する連中が増えてます。街では犯罪が急増、あなただって気づいてるはずです」
「……ああ」
「このままじゃ、収拾がつかなくなる。だから私は、この魔導石を利益に変える。莫大な利益がでるはずですその利益で、リスクに備えることができるはずです」
キールの目は真っ直ぐだった。
「この状況を防ぐには、こっちが先に金を動かすしかない」
クラフトの眉がわずかに寄った。
「……だから利益か」
「否定はしません。むしろ正面から稼ぐ。私が得た利益で、犯罪者を取り締まり、必要な人たちに支援を回す。善意じゃ守れない現実があるんです」
「……結局、力で黙らせるって話だろ」
「現実はそうです。金がければ、誰も守れません。スキルも運用も、コストがかかる。だったら稼ぐしかない」
クラフトはしばらく沈黙し、口を開いた。
「……それって、ヴェルシュトラと何が違うんだ?」
キールは一瞬だけ目を伏せ、だがすぐに言い返した。
「奴らは“挑戦する者”だけを見てる。私は、“倒れそうな人”を見てる。それが私の戦い方です」
「でも“金がすべて”って価値観を認めた時点で、根っこは同じだ。お前がやってるのは、“正しさ”じゃなく“採算性”だ」
「正しさだけで世界が回るなら、とっくに誰も苦しみません」
静寂が落ちる。
机の上に、キールの拳がそっと置かれた。
クラフトは目を伏せた。静かだった。だが、その沈黙は、納得を示すものではなかった。
「……俺は、そんなことをしたいわけじゃない」
キールの表情がこわばる。
「じゃあ、お前は何がしたい?」
「キール、それで助かるのは、結局“恵まれた人間”だけだ」
「違う」
声が、鋭く跳ねた。キールの目が細くなり、唇が強く結ばれる。
「すべてを救えなくても、確実に届く方法を選ぶべきです。善意よりも、計算された分配の方が現実的です」
「……俺は、いつか、魔導石のスキルで暮らす街があってもいいと思ってる。
学校に通えない子どもたちが、スキルで稼いで、自分の足で夢を選べるような――そんな場所を作りたいんだ」
クラフトの目は、まっすぐキールを見据えていた。
「それが、俺の“したいこと”だ」」
クラフトはゆっくりと顔を上げる。その目には、揺るぎない光が宿っていた。
「お前が築こうとしてるのは、“新しい支配”だ」
クラフトが短く息を吐いた。目だけが鋭く、まっすぐにキールを射抜く。
「……結局、お前のやりたいことは“金儲け”じゃないのか?」
沈黙が落ちた。
キールはわずかに肩を揺らすと、静かに言い返した。
「それの何が問題なんですか?」
「お前は“金”を使って、社会を仕切ろうとしてる。回すのも、配るのも、結局“金のあるやつ”の論理だ」
「……だったら、逆に聞く。金を使わずに、どうやって社会を動かす?」
キールの声には、怒りよりも疲れがにじんでいた。
「魔導石の配布? 自由な選択? そのすべてが、金の論理から逃れられるとでも思ってるんですか?」
「俺は――」
クラフトが何かを言いかけるが、言葉がつかえた。
キールはわずかに声を落とし、言った。
「……金は、憎むべきものじゃない。無関心より、よほどマシだ」
キールはふっと笑った。だが、それは嘲笑でも勝利の笑みでもなかった。
「クラフト……あなたに一つ聞きたい。空腹で眠れない夜を、過ごしたことがありますか?」
クラフトが言葉を詰まらせた。
キールの瞳は、どこか遠いものを見つめていた。
「……あなたが子供の頃、孤児院にお菓子を持ってきてくれたことがありましたね。笑いながら“これ、おいしいよ”って渡してきた」
静かに、喉の奥で笑う。
「今でも覚えてる。あのとき、私は──空腹に負けて、あなたの差し出したお菓子を受け取った。感謝してる。でも……あれを受け取った瞬間、胸の奥で何かが潰れる音がしました」
クラフトが眉をひそめる。キールは、それに目を向けず続ける。
「子供だった私には、どうしても“施しを受けた”って感覚が拭えなかった。嬉しさと悔しさがぐちゃぐちゃに混ざって……あの夜、ひとりで泣いた」
沈黙。
「だから私は、あのときの悔しさを、誰かの現実に繰り返させたくなかった。ただ、それだけなんだ」
クラフトが沈黙を破る。
「……じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ」
ゆっくりと、絞り出すように言葉を続ける。
「俺だって、好き好んで裕福な家に生まれたわけじゃない。気づいたら、周りより“恵まれてる”って見られてて……それが当たり前だと思ってた」
キールが黙って耳を傾ける。
「だから、気づけなかったんだ。……リディアが、どんなに苦しかったか。あいつの苦悩に、馬鹿で鈍感だったから。もっと早くにわかってたら、あんな風に──」
言葉を切って、クラフトは唇を噛む。
「だからこそ、今こうしてる。正しいかなんて分からない。でも、何もしないままでいたら、俺は──」
言葉が途切れた。喉が詰まり、声が出なかった。
「……俺は、リディアに顔向けできない」
静かな沈黙が落ちる。クラフトの声が、ようやく最後にかすかに届いた。
「……理想論って、言われてもいい。でも、それしかできないんだよ……」
「だから進む。理想でも幻想でも、それが俺に課せられた、唯一の責任だと思ってる」
キールは沈黙したまま、机の上の一点を見つめていた。
クラフトの言葉が、真正面から心に届いていたはずだった。あのとき、リディアのことで何もできなかったという悔恨。その重さを、キールも知らないわけではない。
だが──。
キールはゆっくりと顔を上げる。その目に、哀れみも共感もなかった。ただ、燃えるような怒気を押し殺すような静けさがあった。
「……それでも、あなたは“選ばれた側”なんです」
クラフトの眉が動く。
「生まれた家も、立場も、環境も、あらゆるものが“気づいた時には”整っていた。たとえその苦悩が本物でも、世界はあなたに、最初から選択肢を与えていた」
キールの声が、徐々に低くなる。
「リディアには、それがなかったんです。最初から、選ぶ自由なんて──」
言葉を飲み込むように、キールは一拍おいた。そして、吐き捨てるように言った。
「――あなたは、リディアの死から何も学ばなかったんですか!?」
その言葉は、刃のように鋭く、深く、クラフトの胸を突いた。
室内の空気が凍りついたように感じられた。クラフトはゆっくりと、目を細める。
「……どういう意味だ」
その声は冷静だった。だが、その奥にあるものは、明らかに怒りだった。
「力がなければ、弱者は踏み躙られる。あなたも知ってるはずだ。リディアだって――あんなに必死に頑張ったのに、力が足りなかったから死んだんだ!」
キールの声が震えた。感情が決壊する一歩手前だった。
「だから必要なんです、力が!統治が!」
「――お前が、リディアを語るなッ!!」
クラフトの怒号が部屋を揺らした。
「リディアの死を、都合のいい材料に使うな!」
「材料?違う、これは事実だ!彼女が死んだのは、弱かったからだ!もっと強かったら――あのとき、守れたかもしれないだろ!」
「……っ!!」
クラフトの拳が震え、指先が白くなるほどに握りしめられる。
その瞬間、ドアが勢いよく開いた。
「おい、何があった!?」
ブラスの低い声が飛び込んでくる。重い足音を響かせながら、彼が部屋に踏み込む。
「クラフトもキールも…..落ち着いて!」
リリーの声が、それに続いた。声を張り上げ、両手を広げてふたりの間に割って入ろうとする。
「ふたりとも、やめて……お願いだから!!」
息を切らしながら、リリーは震える声で叫んだ。
だが、彼女の声は届かない。怒りと後悔と、積み重ねた理想がぶつかり合うその中心に、言葉は落ちていった。
キールもクラフトも、目を逸らさなかった。
拳を握ったまま、ブラスは動けずにいた。リリーもまた、どうすることもできずに――ただ、止めたかった。
「そんなものは、ただの言い訳だ!」
クラフトが絞り出すように言う。
「結局、お前はこの社会の“支配者”になりたいだけだろう!」
「違う。私が稼ぐ。それで支える。守りたい場所があるからです」
キールの声が静かに返る。その無機質な響きが、余計に冷たく感じられた。
「あなたの理想が、ただの幻想であることを、いつか痛感するでしょう」
沈黙が落ちた。数秒の、息が詰まるような静寂。
そして――
「……出ていけ」
クラフトの声は、低く、はっきりしていた。
キールが眉をひそめる。
「……なんですか?」
「お前の理屈でしか考えられないところ、本当にうんざりだ」
「……私も、あなたの理想論にはついていけません」
キールは淡々と言った。
「あなたのその理想は、いつか取り返しのつかない間違いを犯しますよ」
「好きにしろ」
「ええ、そうさせてもらいます」
キールが身を翻す。扉へ向かって歩き出すその背に、クラフトは、わずかに声をかけかけた。
「……キール」
だが、その名を呼びきることはなかった。
キールは一瞬、足を止めた。だが振り返らず、そのまま扉を開け、静かに去っていった。
扉の閉まる音が、やけに遠くに響いた。
しんとした空間に、誰の声も届かない。
リリーは、立ち尽くしていた。肩を震わせ、か細い声でつぶやく。
「……私じゃ、ダメなの?……お姉ちゃんがいてくれたら……」
取り返しのつかない衝突。それを止められたはずの彼女は、今、その場にいない。




